非社会的問題行動としてのひきこもり
自尊感情と対人スキル不足による不適応状態としてのひきこもり
ひきこもりに対する偏見と実際の違い
ひきこもりというのは、仕事や学業、対人関係といった社会的行為から退却した非社会的な性格行動パターンを持つ人を意味し、その生活上の特徴は自宅や自室の外に出て社会的な活動をしないことです。ひきこもりの人は、家庭の外における社会的活動を一切行わないので、必然的に家庭外部における人間関係が貧困になっていきます。他者とのコミュニケーションが断絶した生活状況になっていくことで、更に家の外部に出ていく契機や意欲を失ってしまい、ひきこもり状態が遷延して長期化してしまうケースも多く見られます。
他者とのコミュニケーション断絶の背景には社会不安障害(対人恐怖症)に類似した他者とのコミュニケーションに対する緊張や不安が見られることもありますが、実際に社会適応に支障を来たすほどの社会不安障害を持っているひきこもりはそれほど多くありません。日常生活の中で他者との関係を持たない理由を突き詰めていくと、その大半は『社会的評価に関する自尊心の保持』と『劣等感の補償に絡んだコンプレックス(感情複合体)』にあります。
他者との会話に特別な不安を感じることがなく、友人知人と遊びに出かける事が特別困難なわけではないのに、対人関係から完全に遠ざかっているというひきこもりのケースでは、特に傷つきやすい自尊感情や他者に優越していたいという欲望が顕著に見られます。社会環境からひきこもる以前には成績優秀だった人や周囲の友人から高い評価を受けていた人の場合には、病理水準の対人恐怖が見られることは殆どありません。
むしろ、『早く友人知人に会いに行かなければならない』という友人関係に対する責任感のようなものを強く感じていて、その一方で『現在の不甲斐ない生活状況や不安定な精神状態では友人に合わせる顔がない』という劣等感を抱え込んでいるのです。知人との交友関係を再開したいという欲求と現在のひきこもり(無為・失業・無気力など)の状態を知られたくないという感情の中で、激しく葛藤して苦悶している人は多くいます。
『人間関係への接近』と『人間関係からの回避の欲求』など二つの相反する欲求(両価的な正反対の感情)を抱え込んでいるというのが、ひきこもり状態の特徴でもあります。人間関係以外にも、『仕事をして親から自立しなければならないという自立欲求』と『仕事が出来ない自分は親に依存するしかないという依存欲求』の葛藤が見られたり、『社会参加して自分の能力や努力を認めてもらいたいという承認欲求』と『社会参加せずにひきこもって誰とも関わりたくないという隠遁欲求』の対立が見られたりします。
ひきこもりによく見られる二項対立的な心理的葛藤を総じていえば、『ひきこもり状態から脱却して社会生活へ適応したいという欲求』と『ひきこもり状態を維持して社会生活から退却したいという欲求』であるといえます。また、そういった社会生活に復帰したいという『正の欲求』と社会生活から逃避したいという『負の欲求』のせめぎ合いが見られる人のほうが、それらが全く見られない人よりもひきこもり離脱のきっかけを見つけやすいといえます。
ひきこもっている生活状況の問題を指摘されて社会参加するように家族から言われると、感情的に興奮したり、家族に暴力を振るったりするひきこもりのケースが多く見られます。確かに、大声で家族に怒鳴ったり、理不尽な暴力を振るったりする事自体は、解決しなければならない問題です。ひきこもっている人を無理矢理に社会復帰させようとすると、多くの場合、強硬な反発や抵抗を受けてまず上手くいきません。
こういったひきこもりの人の頑強な抵抗や暴力は、家族にとって非常に大きな負担や不安になりますが、そういった精神的苦悩の『行動化(アクティング・アウト)』から、家族やカウンセラーは幾つかの『肯定的な徴候』を見出すことが出来ます。ひきこもりの人は、ひきこもりの生活状況を改めるように言われると、何故、そんなに暴れて怒るのでしょうか。行動主義心理学でこの激越な感情や頑強な拒否行動を解釈すると、“社会参加強制の刺激(Stimulus)”に対する“社会参加拒否の反応(Response)”のS-R連合として理解することが出来ます。つまり、社会に参加して働くことや勉強すること、外部で他者と関係することが不快や苦痛を感じる負の強化子と結びついていることを意味しています。
『社会参加する結果として得る負の強化子(不快な刺激を与えるモノ・感情)』が何であるのかは、ひきこもりの人の話を共感的に受容しながらゆっくりと聴いてみなければ分かりません。同じひきこもり状態にある人でも『社会参加を阻む負の強化子』には大きな個人差があり、社会活動をしない特定の原因を指摘することは出来ないのです。社会参加を勧める刺激に対して強烈な反発や暴力の反応を返すのは何故なのかという理由を遡っていくと、『肯定的な徴候』をひきこもりの人に見出すことが出来ると前述しました。
それは、『社会参加強制の刺激』に対して強い不快感を露わにして怒りや暴力的な反発の抵抗を示すということが、正常な精神構造(社会適応を志向する欲求や感情)を持っていることの一つの現れであるという事です。『自分のひきこもりの現状が望ましくないという自己認識』を持っているからこそ、『ひきこもりから抜け出したいけど抜け出せないという両価的な感情の葛藤』を感じて激しく興奮し、それが時に家族に対する攻撃的な言動に変わることがあるのです。
但し、その暴力性が耐えられる限度を越えてしまい、家族に治療が必要な怪我を負わせるほど暴力が激しくなった場合や外部の人に対する殺人傷害や性犯罪など反社会的な犯罪行為の危険性を帯びてきた場合には、家族の緊急避難や警察の危機介入などが必要になるかもしれません。しかし、通常のひきこもりのケースで、家族に重傷の怪我を負わせたり、反社会的な犯罪行為に走ったりするケースは極めて稀であり、殆どのケースでは、力を加減してモノに八つ当たりしたり、怪我をしない程度に軽微な暴力を振るうといった反抗しか見られません。
他人に迷惑や被害を与える反社会性という観点から警戒すべき徴候としては、『刃物を持ち出して家族を殺すと恐喝すること』や『社会全体に打撃や恐怖を与える為に凶悪事件を起こしてやると宣言すること』などがあります。それが単なる脅しのレベルを超えていて、家族が現実的な身の危険を感じる場合や実際に凶悪な犯罪を起こす危険性が高い場合には、緊急対処としての医学的治療や心理学的対応が必要になってきます。しかし、ここまで事態が暴力的な方向へ悪化すると、非社会的特徴を示すひきこもりの問題というよりも、反社会性人格障害や善悪の道徳判断にまつわる発達障害(行為障害)の範疇の問題になってきます。ここでは、非社会的問題行動としてのひきこもりに焦点を当てていきますので、反社会性の人格特徴や犯罪心理学の範囲の問題には詳しく触れません。
また、視聴者の興味や注目を惹きつける為にマスメディアの報道では、過剰に生活状況の異常性や性格傾向の特殊性を強調した形でひきこもりの事例が紹介されたりします。あるいは、ペドフィリア(小児性愛)やフェチシズム(物神崇拝)などの性嗜好障害に基づく犯罪行為を起こした人が偶々ひきこもりの問題を抱えていた場合には、ひきこもりと性嗜好の異常性の結びつきを誇張して伝えることもあります。しかし、少数の事例を元にして、反社会的な犯罪行為と性嗜好の異常性をひきこもりの問題と関連付ける事は、ひきこもりに対する間違った認識や否定的な固定観念を生み出す原因となるので控えるべきでしょう。
『ひきこもりの人は、反社会的な性格特徴を持ち、歪んだ性欲や価値観を持っている』という誤解や偏見の多くは、テレビや雑誌などマスメディアの報道によって作り出されてきます。新潟県の少女監禁事件や少女連続殺害事件の宮崎勤被告など特殊な犯罪事例を引き合いにだして、ひきこもりの異常性や犯罪性を強調する報道には印象操作の心理的効果があります。その為、ひきこもり状態にある人による衝撃的な事件が起こる度に、人々にひきこもりに対するマイナスのイメージ(反社会性・異常性・特殊性)が付加されていってしまうのです。
しかし、実際のひきこもりの事例に接していると、犯罪につながるような反社会性や性嗜好の異常性が問題となっている人たちが中核群ではないことに気づきます。一般の社会参加している人にも様々な犯罪を犯す人や特殊な性嗜好の持ち主がいるように、ひきこもりで社会参加していない人にも種々の犯罪を犯す人や性嗜好の問題を抱えた人がいます。ひきこもりであるか否かを問わず、反社会的な問題行動には個別的に有効な対応をしていく必要があります。非社会性を中軸としたひきこもりの問題とそれ以外の問題(他者に危害を加える行為やセクシャリティの異常)を同一視すべきではありません。ひきこもりに対する偏見や誤解が世間一般に普及してしまうと、社会適応の努力を続けているひきこもりの人たちの劣等感や被害感を強めて回復を遅らせてしまう恐れがあります。
ひきこもりの問題の中核群は、飽くまでも『社会適応(社会参加)の困難・対人関係の葛藤・自我アイデンティティの拡散・家族関係の問題・挫折体験による自信喪失』を抱えて苦悩している人たちです。ここでは、社会活動からの退却や対人関係の回避といった特異的な非社会性を示すひきこもりの問題を対象として、『ひきこもり状態の実際と間違ったイメージ』について考えていきたいと思います。
ひきこもりの子どもを抱えた家族(両親)の心配や苦悩は非常に強いもので、何とかして自分の子どもを立ち直らせて社会に復帰させて上げたいという願いを持っています。このひきこもりからの離脱に関する願望の強さが、ひきこもり状態への過度な執着となって、ひきこもりの人の過敏な感情反応や劣等感の亢進を生み出すこともあります。家族や周囲の人たちが過度にひきこもり状態にこだわることによって生まれる悪循環やひきこもりへの意識集中による弊害についてはまた別の項目で詳述します。
ひきこもりの子どもを抱えた親の大きな心配や不安には、子どもの経済的自立や精神的成熟に関する現実的なものもありますが、その一方で、子どもが犯罪を起こすのではないか深刻な治らない病気なのではないかといった過剰な心配もあります。精神病特有の幻覚妄想など陽性症状が明らかに見られる場合や異常な攻撃性や危険な反社会的行動が見られる場合には、そういった親の心配は現実的なものですが、そうでない多くのひきこもりのケースでは非現実的な心配です。『対人関係への不安・社会参加への恐れ・職業選択の困難・モラトリアム遷延とアイデンティティの拡散』といった特徴を示すひきこもりの問題に対処するには、先入観に基づく偏見や間違ったイメージを捨てて、自分の子どもの精神的成長や経済的自立を推し進めていくコミュニケーションや環境調整を行っていくのがひきこもり離脱の一番の近道なのです。
犯罪と結びつけたマスメディアの報道や世間の偏見によって作り出された『極端に否定的なひきこもりのイメージ』にひきずられて、ひきこもり状態を必要以上に悲観して子どもの自立の可能性や社会参加への努力を頭から否定すべきではありません。ひきこもりの問題解決のとっかかりとして重要なのは、『病理性の薄いひきこもりと病理性の高いひきこもり』について正しく適切に理解することです。『病理性の高いひきこもり』については、各種精神疾患に適合した治療やカウンセリングを進めていくことになりますので、ここではその具体的な内容については書きません。
『病理性の薄いひきこもり(心因反応や自尊感情・自意識過剰による不適応)』は思春期~青年期に多く見られるもので、その非社会的問題の中心は『自我アイデンティティの拡散と連結した人生の選択の困難』にまつわるものです。人生の選択の困難とは、即ち、社会的自立につながる進路・職業の選択の困難であり、自分がどのような人生を歩んでいくべきなのかという決断が出来ずにひきこもってしまうのです。ひきこもりの状態とは、『社会環境において自分が何者であるのか。どのような役割や義務を社会で果たすべきなのか』というアイデンティティの確立が十分になされていない状態でもあるのです。
ひきこもりに対処する為には、まず、『ひきこもりの偏見と実際』について正確に理解した上で、子どもの社会的自立や精神的成長を促進する具体的なアプローチについて考えていくことになります。長期間に及ぶひきこもり状態から離脱する為には、一定以上の時間と努力が必要で、簡単な試みのみで一朝一夕に社会へ再適応するという訳にはいきません。もし、家族内部だけで問題の解決が難しいと感じた時には、ひきこもり(非社会的問題行動)の対処に熟達したカウンセラーや精神科医などに相談をしてみてください。
下記で説明する『ひきこもり状態の実際と先入観による偏見』は、病理性の殆どない自尊感情の過剰や対人関係の問題を主要因とするひきこもりについてのものですので、それを前提として読んでください。
マスメディアでひきこもりの人の病理性や異常性に着目した報道が為されることがありますが、その中には発症頻度の低い特殊な精神疾患が含まれている場合があり、そのことがひきこもりに対する否定的な固定観念や間違った偏見を生み出すことがあります。ここでは、そういったひきこもり状態に関する偏見や先入観を指摘して、平均的なひきこもりの状態像を描写してみたいと思います。
ひきこもりに対する先入観に基づく誤ったイメージ
1.ひきこもりは、反社会的で他者に危害を加える恐れがある。
上で述べてきたように、ひきこもりの心理状態の中心は「非社会性」であり、「反社会性」ではありませんので、このイメージは間違っています。対人関係に対する気後れや不安、社会参加に対する自信の無さや過剰な自尊感情、不完全な自分を許容できない完全主義的信念などがひきこもり状態の実際です。実際にひきこもり状態にある人の大部分は、生真面目過ぎるほどに真面目であり、社会の常識や規範に対しても従属的である人のほうが多いと言えます。
几帳面で繊細な完全主義タイプで、小さなミスや失敗でもすぐに挫折して落ち込んでしまう人が多く見られます。また、他人の否定的な評価や攻撃的な批判に対しても従順であり、自分の意見や考えを強く主張することが出来ない事に劣等コンプレックスを抱えていたりします。
外部からの刺激や言動に対して繊細な感受性を持っている為に傷つき易く、他者への攻撃性よりも自己防衛のほうが強く出ています。その為、積極的に外部に責任転嫁して攻撃性を露わにすることは殆どなく、自分自身の精神の脆弱性や意欲の減退に対して自責感や罪悪感を持っている場合のほうが多いといえます。
犯罪行為に行き着くような反社会性や衝動性、異常性欲がひきこもりの状態と偶然オーバーラップすることがあっても、基本的に両者に因果関係があるわけではありません。他者に危害を加える行動や社会不安につながるような行き過ぎた反社会的行動については、ひきこもりとは別個の精神疾患や人格障害として認識する必要があります。
2.ひきこもりは、社会環境に適応出来ない弱い人間で、能力的にも劣っている。
仕事や学業を通してその年代で果たすことが期待されている社会的責任を果たせないということで、ひきこもりはその能力や人格性を過小評価されやすくなります。ですが、実際のカウンセリング場面で出逢うひきこもりの多くは、知的な教養水準や他者への優しさなどの人格性において特別に劣っているわけではありません。
性格傾向としては、社交的で活発なわけではありませんが、温和で寛容性があり、他者への気配りが出来る性格で、何事にも一生懸命に真面目に取り組もうとします。過剰な配慮や気遣いをする一方で、家族や友人が自分をどのように評価しているかに対して非常に敏感であり、自分に対して低い評価をされるとそれまでのやる気を急速に失ってふさぎ込んだりすることがあります。
対人関係における感受性の強さと繊細で否定的な言動に傷つきやすい傾向を持っているので、一旦、人間関係で躓いて上手くいかなくなってしまうとなかなか気分を転換出来ない事があります。社会環境や対人関係に適応しようとしながらも、『他人から素晴らしい人間であると承認されたい』という過大な欲求を持っていることが逆に適応を妨げてしまうというのがひきこもりによく見られる状態です。
ひきこもりには、ひきこもる以前には周囲の友人から学業成績やリーダーシップなどの面で高く評価されていた人が多く含まれています。元々、社会に適応できないほどに弱い人間や無能な人間であるケースは少なく、何らかの挫折体験や小さな失敗によって、その自信やプライドが打ち砕かれたことがひきこもりの引き金になっているのです。
現在では通用しない高いエリート(選良)意識をいつまでもひきずり続けていることや幼児的全能感の延長から抜け出せないことが、ひきこもり状態を長期化させています。そこから抜け出す為に重要なのは、『過去の栄光や成功への根強い執着』から自分を解き放ち、現在ある自分の状況から何ができるのかを真剣に考えることであり、『圧倒的な成功や絶対的な幸福という幻想』を切り捨てて現実的に可能な行動から始めてみることです。
『完全な成功や評価が得られないならば何もせずにひきこもっていたほうがましだ』といった極端な二分法思考、全か無かの思考は、現実的状況に不適応な認知の歪みですので、まずその認知の歪みを現実的なものへと修正していかなければなりません。ひきこもりの人は弱くて無能なわけではなく、誰もが持っている不完全さという弱さや自分の能力の限界をいつまで経っても認められない人というように解釈することが出来ます。
自分の弱い部分や能力の限界を見極めて受け容れながら、自分の出来る行為から始めて強さや成功を求めていくことが大切なのです。『自分の弱さの受容』から『自分の強さへの欲求』へと自分の人生を発展させていこうとすることが、現実的な認知であり、前進的な人生の歩み方なのではないでしょうか。初めから何もかも完全にやりこなそうとして、全ての失敗や挫折から逃げようとすれば、何も出来なくなるのはある意味で当たり前のことなのです。失敗することや批判されることを恐れることなく、まずどんなことでもいいから自分を変える現実的な行動を始めてみることがひきこもり離脱の第一歩になり、自分を強くする試みのはじまりとなります。
3.ひきこもりは辛いことや困難なことから逃げる怠け者である。
ひきこもりは、一切の社会的責任を果たさず、義務的な活動から逃げている怠惰な人間であるという認識を持っている人は多くいますが、ひきこもりの多くは、自室に閉じこもって非生産的な趣味を行いながらも、どうすればこの状態から抜け出せるのか延々と悩み続けています。外見的には、怠惰な生活状況に埋没しながらも、その内面心理まで弛緩して穏やかにぼんやりし続けているというひきこもりの人はどちらかといえば少数派に属するでしょう。
ひきこもり状態にある人が、なかなかその怠惰で無為な生活状況から抜け出すことが出来ない一つの原因は、行動に移すまでに思考し苦悩する時間が非常に長いということがあります。ひきこもりの人は、将来悲観的な認知や自己否定的な信念、他者否定的な前提を元にして思い悩み続けるのですから、どんなに長い時間考え続けたとしても『やっぱり自分が社会に出て活動するのは無理だ。恥をかいたり馬鹿にされるような愚かな社会参加の選択はすべきじゃない』といった不適応な答えしかでてきません。あるいは、答えの出ない観念的な思考や哲学的な問題を無限にぐるぐると循環させてしまい、時間ばかりがどんどんと流れていってしまうのです。
ひきこもりの人たちはただ怠け者だから一切の社会的行為や経済活動を行わないわけではありません。次のような観念的な葛藤や苦悩に取り付かれて、延々と決断が出来ないから社会適応できないということが多いのです。この悲観的思考の無限ループから抜け出す為には、『将来悲観的な認知の歪み・自己否定的な認知の歪み・他者不信の認知の歪み』を時間をかけて段階的に修正していかなければならないでしょう。
ひきこもりを延期し循環させる不適応的な思考内容には以下のようなものがありますが、こういった思考を現実原則に適応した適切な水準の思考や悩みに変容させていくことがカウンセリングの実際となります。
『いつかは社会に出て働かなければならないが、どうすればこのひきこもり状況から抜け出るきっかけを掴めるのだろうか』『ひきこもっているのは確かに楽だが、自分の将来はどうなってしまうのだろうか』『家族に迷惑や心配を掛けているのは分かっているが、自分には社会に出て働く実力がないのだからどうすればいいのか』『こんなに長い期間ひきこもっていた自分を雇ってくれるような会社はあるのだろうか』『頑張って社会参加しても、他の人にひきこもりの時代があったことを知られて嘲笑されたり侮辱されたりしないだろうか』『何の資格も特技もない自分に一体どんな仕事が出来るというのだろうか』『親が死んでしまったら、自分は路頭に迷ってしまうがどうしたらいいのだろうか』『本来、エリートの職業に就いて周囲から賞讃されるはずだった自分は、一回挫折してしまったからもう何をやっても無駄だ。昔の友人からすっかり取り残されてしまい今更、平凡な仕事をしても恥の上塗りをするだけだ』といった思考や葛藤が多くのひきこもりの内面に見られます。
特に、最後に見られる誇大自己による自尊心の過剰な肥大、過去の栄光への強固なしがみつき、潔癖すぎる完全主義欲求などが根底にあるひきこもりの場合には、高すぎる自尊心に基づく要求水準を、ある程度現実的なものへと落としていく必要があります。自尊心の強いひきこもりの人は、『一回、妥協してしまったら人生全体が台無しになって取り返しがつかなくなる』といった強迫的な完全主義欲求に固着している場合が多いのですが、まずは一旦冷静になって現在の自分の状況から実現可能な目標を掲げるところから実際の行動を始めていくしかひきこもり離脱の方法はないということに気づいて貰わなければなりません。理想的な自己実現や社会的成功といった大きな目標は、ある程度、社会経済的自立を達成してから考えるべき問題であり、まずはバイトでもちょっとした仕事でもいいので、出来る範囲で社会復帰をしてみることが重要になってきます。
上述したように、ひきこもりになりやすい性格類型として『強迫的な完全主義傾向・環境への過剰適応・対人コミュニケーションの不得意』を上げる事が出来ます。うつ病の病前性格の一つである下田光造の執着性格にも通底する部分があります。
うつ病の病前性格としての執着性格は、自尊感情が過剰なひきこもり発生のリスクファクターとして考えることもできる。
1.一つの物事に執着して、最後まで徹底的にやり抜こうとする性格で、その場合には柔軟性がなくなり融通が効かなくなる。何かに熱中して没頭しやすい性格であり、凝り性な面が強い。
2.責任感が強くて真面目で仕事熱心であり、仕事や勉強の手を抜いたり怠けたりすることが出来ない完全主義の傾向がある。
3.周囲から模範的な素晴らしい人物であると評価されていて、頼りにされている。周囲の人への思いやりや配慮が強くて、周囲の期待に応えようとしてついつい無理をしてしまう。
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