瞬間冷凍された過去としてのトラウマ

スポンサーリンク

間主観的な概念としてのトラウマ(心的外傷)
トラウマとなり得る危機的・脅威的な恐怖状況
トラウマの持つ『反復性・侵入性・強迫性』
瞬間冷凍される過去のトラウマ体験
トラウマと防衛機制

間主観的な概念としてのトラウマ(心的外傷)

トラウマの原因となるショック体験には、生命の危機を感じるような事件・事故・犯罪への遭遇、圧倒的な破壊力を持つ自然災害(地震・津波・土砂崩れ・火災など)の体験、死の恐怖をリアルに感じる戦争体験などがあります。また、直接、脅威的な事態や危機的な状況に遭遇しなくても、自我の発達が未熟な子どもなどの場合には、自分自身が対処不能な恐ろしい事件や事態を目撃するだけでもトラウマになることがあります。

ある強烈な外傷体験がトラウマになるかどうかには大きな個人差があり、ある人にとって生命を喪失するような絶望的な体験が生涯忘れられないトラウマになっても、別の人にとっては比較的短い時間で、ショック反応から立ち直ることのできる体験である場合もあります。

圧倒的な恐怖や危険の体験によって心に刻まれる深い傷としてのトラウマは、『体験者のストレス・トレランス(ストレス耐性)を大幅に超えた恐怖事態』『体験者の問題対処能力では全く対応できない危機的状況』によって生み出されると考えられています。

トラウマが精神医学領域の問題として認知され始めた19世紀頃には、トラウマが脳の器質的病変によって生み出される病態なのか、純粋に心理的衝撃(ショック)によって生み出される心因性の病態なのかという議論が巻き起こりました。
20世紀に入って、残虐な大量殺戮の様相を見せた世界大戦やベトナム戦争を人類は経験することになります。そして、それらの戦争の極限状況によって生み出された戦争神経症やトラウマ神経症の患者の研究から、脳が直接的外傷による器質的障害を受けていなくても、トラウマによって激しい混乱や恐怖を見せる兵士が多数存在することが明らかとなりました。

実際に戦闘行為に参加していない兵士や塹壕内で激しい爆風(シェル・ショック)を受けていない兵士にもトラウマ神経症による精神症状や問題行動が見られることが分かったのです。この事から、トラウマとは、主観的な圧倒的恐怖体験によって生み出される脳内の機能障害であると考えられるようになりました。つまり、脳の器質的損傷や障害を前提としない、心理的な外傷体験による機能障害や刺激過敏性がトラウマなのです。

トラウマそのものは科学的研究法によって直接、外部から客観的な観察をしたり、そのトラウマの深刻度を数量化したりすることはできません。その為、トラウマは、精神疾患の病因として仮定される精神医学的概念であると同時に、『内省的・共感的な間主観的理解に基づく心理学的な概念』でもあります。

内省的な理解とは、体験者が自分の感情や記憶を見つめることで過去の時間軸において何らかの強烈な外傷体験があることを確認するということです。共感的な理解とは、体験者が語る過去の圧倒的な恐怖や苦痛の体験を、カウンセラーや精神科医が観察可能な症状や行動から推測して、確かにそのような強烈な過去の外傷体験があったと認識し、相手の立場になってその苦痛や衝撃を理解しようと努めることです。

カウンセリング場面において、カウンセラーとクライアントは、“内省的・共感的・推測的”にクライアントのトラウマを理解するのですが、その理解はカウンセラーの主観とクライアントの主観が重なり合う境界領域において起こります。このように、ある人間の主観とある人間の主観の間で、ある事象や問題に対する共通理解が成り立ち、円滑にお互いの意志や気持ちを伝え合うことができることを『間主観的な理解の成立』といいます。
まさに、トラウマとは、カウンセラー(第三者)とクライアントの間主観的な相互理解を前提として、初めてその存在が明らかになる心理概念であり過去の体験なのです。その事から、本格的なカウンセリングや治療効果の高い心理療法を受けるためには、まず、トラウマの存在をカウンセラーに共感的に知ってもらわなければならないという事が分かります。

スポンサーリンク

トラウマとなり得る危機的・脅威的な恐怖状況

トラウマとなり得る危機的・脅威的な恐怖状況には、以下のようなものがあります。大部分のトラウマ体験については、それがトラウマになる可能性があるという事を多くの人が共感的に理解できる一方で、多くの人がそれほど恐怖や苦痛を感じないような事態でもその人の性格傾向や問題対処能力によってはトラウマの原因となることもあるので一定の配慮・注意が必要です。

一般的なトラウマ体験としては、『死ぬかもしれないような生命を喪失する危険のある事態』『重傷の外傷や絶望的な心の傷を負うような自己存在を圧倒されるような状況』が考えられます。
トラウマとは、言い換えれば『自己の精神や身体の存在や統合を障害される恐怖』であるといえ、外部の他者や事態によって、生命を奪われそうになったり、身体を傷つけられたり、自尊心を激しく貶められたときにトラウマ(心的外傷)がつくられる危険性が生じます。

トラウマの持つ『反復性・侵入性・強迫性』

先ほど、トラウマとは『自己の生命の維持や精神の統合性を脅かす体験』であるという話をしましたが、自己の統合性は、『過去から現在に至るまで、私の存在は一貫していて連続している』というアイデンティティの意識に支えられています。
トラウマ体験とは、『今まで自分が生きていた世界の常識』を大きく覆す異常で異質な体験ですから、その体験は人に大きなショックを与えるだけでなく、その人の精神の統合性を揺るがすのです。

『思考・感情・記憶・学習・行動』といった精神の諸機能が一定のまとまりをもって働くことによって、私たちは通常の日常生活を送り、他者と良好な人間関係を維持していくことができます。
この精神機能のまとまりや自我意識の連続性のことを『精神の統合性』というのですが、この精神の統合性が崩れると様々な精神症状がでてきたり、生活環境への不適応の問題が起こってきたりします。

トラウマは、それまで生きてきた世界に対するスキーマ(認知的枠組み・理論的枠組み)のアンチテーゼ(否定)として働くものですから、トラウマを受けた人は、『異質な恐怖体験』を何とか自分のスキーマに取り込んで苦痛や戦慄を和らげようとする防衛機制を働かせることになります。

非日常的な強烈なショック体験をした人は、それを何とか日常的な恐怖や不安のレベルとして認知しようとします。つまり、外界の現象を認識する為の『スキーマ(認知的枠組み)』を再構成して、自分の精神機能でトラウマ体験を処理できるようにしようとするのです。

このような『非日常的なトラウマ体験』を、『日常的な恐怖体験』へと認識しなおそうとする心的防衛機制によって、幾つかの精神症状や心理現象が発生してきます。
その代表的なものが、『反復性・侵入性・強迫性』の精神症状です。

人間は圧倒的な恐怖や強い不安を伴う孤独を感じる時に、『他者にその不安や恐怖を語ることで、その不安を緩和しよう』とします。脅威的な事態であるトラウマ体験をした人の場合にも、その強い恐怖や苦痛を他人に語ってカタルシスや共感の心理的効果を得たいとする欲求が見られます。

トラウマ体験をした人によく見られる反復的な想起は、意識的である場合と無意識的である場合があります。
意識的に、何度も繰り返しトラウマを思い出して他人に語る行為には、『自分の抱えるトラウマの苦悩や恐怖』を他人に共感的に聴いて貰うことによって、トラウマのショックや脅威を希釈する(薄める)効果があります。

無意識的に、何度も繰り返しトラウマを想起してしまうというのは、強迫性障害による強迫観念に似た症状で、『過去の終わったトラウマについて考える事は無意味である』と考えていても、それを思い出すことを止めることができない症状です。この場合には、表層の意識による『トラウマの無意味性の認知』と深層の無意識による『トラウマの有意味性の認知』が矛盾してせめぎ合っていると推測されます。

しかし、意識的にトラウマを思い出して言葉で表現する場合でも、無意識的にトラウマ体験が強迫観念となって思い出される場合でも、その『反復的な想起の目的』は共通しています。それは、『トラウマ体験をした当時の衝撃や脅威を和らげたいとする自己防衛的な目的』であり、非日常的なトラウマ体験を薄めて日常的なショック体験に置き換えたいとする防衛機制なのです。
『トラウマの特徴である反復性』には、確かにトラウマを体験した当時のショック・恐怖・苦痛を段階的に少しずつ和らげる効果があります。トラウマ体験当初の強烈な情動反応は、トラウマを繰り返し想起して再体験することで、ある程度まで希釈することが可能なのですが、トラウマが余りに強烈過ぎて、自己の歴史の一部として受け容れられない場合には不快な情動反応を緩和できないこともあります。

この外傷体験にまつわる記憶や感情の反復的な想起、強迫的な侵入は、精神病理学で定義されるPTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)の精神症状であるフラッシュバックやトラウマの強迫的侵入、反復性のある悪夢と同じ心的メカニズムで発生すると考えてよいでしょう。

トラウマが根本原因となって種々の精神症状や心理的苦悩が形成されている場合、トラウマは正に『今現在、直面している危機』として主観的に経験されています。反対に、トラウマが和らいで治癒に近い状態になった場合には、トラウマは『自分の過去の記憶の一部』『自分の人生の物語の断片』として認知され、自我意識やスキーマに取り込まれて受容されています。

トラウマは過去の記憶としてその痛みや不快を和らげて日常生活に支障のないものにすることが出来ますが、トラウマそのものを完全に無かったものとして治癒することはおそらく不可能ではないかと考えられます。私たちは記憶の一貫性を維持している限りにおいて、『過去のある記憶』について触れないようにすることは出来ますが、その過去自体がはじめから存在しなかったとすることは出来ません。

トラウマの存在自体を完全否定して、全てを忘却しようとすると、反対に、『自己の意識・記憶・感情・認知の統合性』が解体して、心因性健忘や離人症的な現実感覚の喪失、多重人格の形成、生活環境からの蒸発などの解離性障害の問題が出てくる恐れがあります。

また、トラウマが『個人の問題処理能力の限界』を圧倒的に上回っている場合に、PTSDや解離性障害といった精神疾患や対人関係の問題、社会への不適応といった問題が生起してきます。ですから、トラウマが自己の認知的枠組みにうまく組み込まれて、過去の記憶として受容されれば、特別な精神疾患や不適応、心身の不調といった問題は消失していきます。

事件・事故・犯罪・災害などの外傷体験がトラウマとなるかどうかは、『外傷体験の強度』と『個人の問題処理能力』『個人のストレス・トレランス』の相互作用によって決まってきます。つまり、ある人が非常に強烈で圧倒的な外傷体験をして、その体験を認知的・情緒的にうまく処理できない場合やその体験に耐えるだけの自我のトレランスがない場合に、トラウマになってしまうということです。

しかし、どういった性格傾向や価値観の人が、トラウマを負いやすいのかという事について一義的な回答を示すことは出来ません。表面的に観察できる性格傾向だけでは、その人がトラウマを負いやすいタイプなのか多少の苦痛や恐怖の体験には動じないタイプなのかを判断することはできません。
ある研究結果では、一見トラウマとは無縁に思える『明るく社交的で自己主張の強いタイプの人』『社会的に高い地位についていて、有能な職業活動を行っている自己肯定感の強い人』のほうが、そうでない人よりもトラウマ体験に対するトレランスが弱いという報告もあり、『外見上の強さ・有能性』だけではトラウマに対する耐性の強さを正確に推定することはできません。

瞬間冷凍される過去のトラウマ体験

神経症や神経疾患、原因不明の慢性疾患などを専門に研究していたパリの19世紀の医師シャルコー(Jean Martin Charcot 1825~93)は、フロイトの指導医としても有名ですが、精神疾患の病因としてのトラウマの研究もしていました。
シャルコーは、トラウマを心に長期間巣食って悪影響を与える異物として認識し、『心の寄生虫(parasite of mind)』といった呼び方をしています。

ある衝撃的な出来事が、その人にとってトラウマとなるか否かは、さきほど述べたように『外傷体験の強度』と『問題処理能力』によって決まってきます。
外傷体験の強さが、圧倒的に個人の問題処理能力を上回っている場合には、心は自我防衛機制を働かせて、その『体験にまつわる記憶・感情・感覚・思考・認知』を意識の領域から排除します。精神分析的に解釈すれば、トラウマ体験は無意識領域へと抑圧されることにより、自分とは無関係なものとされることになります。

このトラウマを自分とは無関係なものだと思い込み、トラウマの存在など初めからなかったものとしようとする自我防衛機制を『否認(denial)』といいます。

この無意識領域への抑圧は、言葉を換えると、体験にまつわる心理状態を瞬間冷凍するという風に表現することが出来ます。しかし、このトラウマの瞬間冷凍という防衛機制は、不完全なものであり、一時的に、苦痛や恐怖から自分を守ってくれるものに過ぎません。
瞬間冷凍された記憶は完全に消えてしまうことはなく、『トラウマにまつわる感覚・記憶・感情・情動・思考・認知』は、トラウマを思い起こさせるような刺激や状況によって解凍される危険性が絶えずあるのです。

感じたり考えたり記憶したりする意識の領域から排除されて、瞬間冷凍されたトラウマは、その鮮度を落とすことなく保存されます。そして、ふとしたきっかけで解凍されることがあります。トラウマが解凍された時には、過去の悲惨で苦痛なトラウマ体験の感情や記憶が生々しく甦ってきて、フラッシュバックパニック発作といったつらい症状が起きてきます。
フラッシュバックとは、過去の苦痛なトラウマのショックや光景が、生々しく甦ってくる症状で、フラッシュバックが起きた時には、それが正に今現実として起こっている出来事のように感じられることもあります。

フラッシュバックの多くは、『今、現実として展開されている体験』として起こることが特徴で、強度のトラウマは、自然な時間経過では治癒しないということを示しています。新鮮さを失わずに瞬間冷凍されたトラウマは、自我意識から排除され自分の過去の一部として受け容れることのできない記憶ですから、日常生活では解離の状態(意識に含まれていない状態)に置かれています。
トラウマに関連するような情況や感覚がトリガー(引き金)となって反復的に甦り、精神的・身体的・行動的な症状となるメカニズムは、PTSDや解離性障害の病理メカニズムと共通するものです。

トラウマと防衛機制

トラウマは、私たちの精神と生活に深刻な苦痛や障害をもたらすものなので、私たちの精神は何とかしてトラウマの悪影響から逃れようとします。その結果、発動される自我防衛機制が、前述した『否認(denial)』『抑圧(repression)』です。
『抑圧』とは、意識領域にあると苦しみや恐怖を感じるトラウマ体験を無意識領域へと押しやる機制です。
『否認』とは、圧倒的な破壊力を持つトラウマを、現実には無かった出来事として否定し、自分とは全く無関係なものであると思い込もうとする機制です。

トラウマを受けた場合に特に問題となってくる機制は、『否認』なのですが、否認は大きく分けて二つの種類の否認があります。

一つは、『全否定の否認』で、トラウマ体験となった過去の出来事そのものを全て否定して、はじめからそんな事件や事故は起こっていなかったのだとする否認です。
もう一つは、『感情機能の否認』で、過去のトラウマ体験に付属する感情・情緒の記憶だけを否定するものです。強烈なトラウマの恐怖やショックを忘却するために、感情的要素を否認するわけですが、この否認が出来事の記憶にも及ぶようになると『心因性健忘』という解離性障害の症状が発症することがあります。

トラウマによって生じる不快な刺激や苦痛なフラッシュバックから自分の心を防衛する為の機制として、『切り離し(isolation)』『疎隔化(alienation)』というものもあります。
切り離しというのは、トラウマ体験にまつわる感情や記憶を、それ以外の精神機能と切り離して恐怖や不快を和らげる防衛機制で、『疎隔化』というのは、トラウマ体験を自分の存在とはあまり関係のないものと認知することで意識から遠ざけようとする防衛機制です。

トラウマ体験は、自然な時間経過に従って完全消滅はしないが、『否認』と『侵入』を反復的に繰り返すことで、少しずつ意識の経験や記憶に統合されて有害性が弱められていくことになります。

瞬間冷凍された過去の記憶としてのトラウマについての概説的な記述はここで終わりますが、トラウマに関連した精神障害や自傷行為について知りたい方は、『トラウマと自傷行為の相関関係』にも目を通してみてください。
但し、実際にトラウマによる精神症状や自傷行為、解離現象で悩んでいる人は、ここの文章を読みこむことによって症状を悪化させる恐れもありますので、出来るだけ早い段階で適切な治療やカウンセリングを受けることをお薦め致します。

スポンサーリンク
Copyright(C) 2006- Es Discovery All Rights Reserved