社会秩序(日常生活)を支える要因と社会理論

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このウェブページでは、『社会秩序(日常生活)を支える要因と社会理論』の用語解説をしています。

トマス・ホッブズ、ジョン・ロックの『社会契約論』と公権力による秩序形成
社会秩序はどのように形成されるのか?:権力・利害・価値観・コミュニケーション


トマス・ホッブズ、ジョン・ロックの『社会契約論』と公権力による秩序形成

私たちは朝に起きてから朝食を食べて歯磨きをし、会社(学校)に出勤(登校)したり家で家事・育児をしたりして日中を過ごし、夕方に帰ってきて夕食を食べてネットをしたりテレビを見たりして休養し(あるいは仕事・勉強をしたりもして)、夜になると眠るという日常生活を繰り返している。日常生活の行動パターンは人それぞれで個人差があるが、それでも今日は会社に行くが明日はハワイに旅行に行って、明後日は繁華街をうろうろする、その次の日はまた会社に行くことにしようというような『毎日異なる行動パターン』を取っている人はまずいない。日常生活は暗黙の了解や規範に従っており、その人の行為の実践が毎日繰り返されることによって、ピエール・ブルデューのいう『安定的な慣習的行動(プラティーク)』に収斂していくことになる。

社会学者のアンソニー・ギデンズ『ハイ・モダニティ(後期近代)における構造の二重性』で指摘したように、近代社会で生きている人間の行動は、教育や規範、同調、価値観などによって構造化・パターン化されている。各個人のパターン化された行動と構造化された社会文化的環境によって『秩序(社会秩序)』が形成されるのだが、各個人の行動を一定の範囲内に抑制して秩序を形成している要因にはどのようなものがあるのだろうか。社会学における『秩序問題』は権力と利害、教育、習慣、規範、価値観などと複雑に関連しているが、近代社会における最も根本的な秩序は啓蒙思想家のトマス・ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588-1679)ジョン・ロック(John Locke, 1632-1704)が提唱した『社会契約』にあると考えられている。

公権力を有効化する政府・法律が確立していない『自然状態』では、個人は自分の生存を維持して生活に必要な資源(利益)を得るための『自然権』を保有しているが、各個人が自衛のための暴力を自然権として行使してしまうと、いつ自分が殺されるか分からないという『万人闘争状態(万人の万人に対する闘争)』に陥ってしまう。万人闘争の不安な状態を変えるためには、各個人が畏怖したり納得したりして従属する『共通の公権力(政治権力)』が要請されるしかないとホッブズはいう。自衛・生存のために何でもできる『自然権』を行使できるという自由な個人のあり方をそのままにしておけば、強者が弱者を支配したり略奪したりする『弱肉強食の世界』に陥ることを避けられないからである。

個人同士が絶えず疑って恐怖と暴力を恐れなければならない『万人闘争の自然状態』を離脱するためには、各個人が同時に自分の持つ『自然権』を放棄してその自然権に含まれる権限を『共通の公権力(専制的な権力者・民主的な政府や合議体の統治機関)』に委譲しなければならない。この自然権をお互いに放棄して公権力に委譲するという契約が『社会契約』なのである。トマス・ホッブズは人間は相手を恐れさせて奪おうとするという『性悪説の人間観』を持っていたが、社会契約という個人間の相互契約によって自然権を国家権力(リヴァイアサン)に譲渡することで、すべての社会構成員が承認する『社会秩序の基本ルール』が設定されると考えたのである。

ジョン・ロックの『社会契約論』はT.ホッブズと比較すると人間は生まれながらに自由で平等だとする『性善説的な人間観』に基づいているが、社会構成員のすべてが自然権を国家権力に納得の上で委譲して、議会による民主主義的な意思決定を行えるようにするという社会秩序形成の民主主義的なモデルを考案した。T.ホッブズは社会契約論の中で、各個人が自然権を譲渡しようとする国家権力の政治体制は問わなかったが(むしろ専制的な君主政治の絶対権力に肯定的でもあったが)、J.ロックの社会契約論では明確に『自由民主主義の政治体制』が理想的な体制として前提にされているのである。

人々が無意識的に従っている社会秩序がどのように形成されるのかという『秩序問題』に対する一つの答えが、上記したホッブズやロックが主張した『権力(正統性や強制力を有する権力・人々の合意を受けた権力)』なのである。トマス・ホッブズやジョン・ロックの社会契約論を『事実的秩序・規範的秩序』の立場から強く批判したのが、機能主義で知られるアメリカの社会学者タルコット・パーソンズであった。

タルコット・パーソンズは特にホッブズらの社会契約論の『方法論的個人主義・目的のランダム性・功利主義的な合理性』を否定した。日常生活で繰り返される規則性のような安定した秩序は社会契約などとは無関係な『事実的秩序(既にそこにある秩序)』であり、事実的秩序を支えているのは社会構成員に共通する価値観に制御された『規範的秩序(当然に守るべきものとされている秩序)』だというのである。フィクション(例え話)としての『自然状態』や自然状態における『相互的な社会契約』などを持ち出さなくても、『既に社会に共通している制度化された価値観』と『構成員のパーソナリティに内面化された規範意識』とを統合すれば、社会秩序を規定している『動態的な秩序形成原理』をスムーズに抽出できるとT.パーソンズは考えたのである。

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社会秩序はどのように形成されるのか?:権力・利害・価値観・コミュニケーション

社会秩序形成の要因は、大きく分けると以下の4つに分類することができる。

1.権力

2.利害の一致

3.価値観の共有

4.コミュニケーションによる合意

近代的社会学の確立者とされるドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは、『支配の社会学』において政治権力の正統性が承認される根拠を『伝統的支配(伝統慣習)・合法的支配(法律)・カリスマ的支配(大衆支持)』に分類したが、社会秩序の形成要因としてヴェーバーやホッブズのように『権力(国家権力・政治権力など)』を仮定する視点は現在でも有効である。

社会学における権力は『政治的・法律的な権力』だけではなく、親が子に対してしつけをしたり教師が生徒に対して生活指導したりする『関係性・役割規範における権力』も含んでいる。通常は後者の『関係性の権力(私はAさんには逆らいにくい立場にあるという権力)』のほうが社会秩序形成に大きな役割を果たしていると考えられる。権力の強制による社会秩序形成は、『上位者(優位者)による下位者(劣位者)の支配』という形態で実現されている。両者の間には『資源・経済・権力の格差』があり、その格差によって利害関係や価値判断の対立・葛藤が生まれるが、こういった社会秩序の中に不満と対立を見出す『コンフリクト理論(葛藤理論)』は、資本家と労働者の階級闘争を前提にしたマルクス主義者が頻繁に訴えていた理論である。

社会秩序はお互いが合意できる条件交渉や仕事に対する利益(報酬)の提供、仕事(作業)の進め方の話し合いなどによっても形成される。行為者の間でその仕事や義務、利益、報酬、待遇などに関する『一定の合意・相互理解』が成立すれば、『権力による強制(脅し)』よりもスムーズかつ安定的に社会秩序が形成され、更に『自発的な従属・協力』を引き出すことも可能になる。権力による強制(脅し)を用いれば下位者は不満(自尊心の傷つき)を覚えて反発しやすくなるが、『双方の合意・相互理解』であれば能動的な協力や積極的な貢献を期待することができ、仕事の効率性や現場の士気も格段に上がるのである。

『君主論』で統治のストラテジーを説いた政治思想家のニコロ・マキャベリにせよ、『フランス革命・アメリカ独立戦争』の歴史的な論評を詳細に行ったアレクシス・ド・トクヴィルにせよ、『権力・強制によるゴリ押しの恐怖政治』はいずれ大衆(被支配階層)の不満・反発・怒りを招いて既存の社会秩序が崩壊しやすくなると主張している。行為者がお互いにとって何らかの『経済的・精神的な利益』を得られるような状況、あるいは行為者それぞれの欲求・ニーズを満たすような行為の選択があるのであれば、人々は『利害の一致』に基づいて自発的・積極的に社会秩序を形成してそれに従うような行動パターンを示すようになるのである。

相互的な合意と利害の一致に基づく社会秩序の形成は、個人がその行為の結果として得られる利益を最大化して損失を最小化しようとしていると解釈できるので、『功利主義的な秩序観』を呈示していると考えることができる。個人主義と功利主義によって社会秩序の形成・維持を説明するのは、現代の社会学では主流になっているが、M.L.オルソンが指摘した社会的な責任・義務を果たさずに(自分が受ける便益に見合うコストを支払わずに)社会インフラにただ乗りしようとする『フリーライダー』が増えると、功利主義的な社会秩序は維持しづらくなってくる。

タルコット・パーソンズは『権力による強制(社会契約論的な説明)』や『合意による利害の一致(功利主義的な説明)』だけでは、人間社会に特有の長期的で安定的な最低限の社会秩序の形成を説明できないとして、『価値観の共有(制度化された価値観)』『社会規範の内面化(内面化された価値観)』によって社会秩序の成立を考えようとした。社会には大多数(マジョリティ)の人の間で共有されている価値や規範(ルール)、常識があるからこそ、権力による無理矢理の強制や利害関係による行動の調整がなくても、会社や学校、家庭、地域社会における『最低限の社会秩序』が完全に崩れることはないというのがT.パーソンズの『価値・規範的な秩序観』なのである。

ユルゲン・ハーバーマスは、市民が自由に参加できる『公共圏』で言語的コミュニケーションを行いながら相互了解が成り立つことによって、社会構成員が納得して従属する価値や規範(ルール)が生成するというモデルを提唱した。カフェやサロン、マスメディア、インターネットなどが具体的な『公共圏』を構成しており、こういった公共圏で誰もに開かれた公開の討議・議論を行うことによって、社会秩序の規定要因となる『社会的合意』が結ばれ、当事者意識が投影された『市民的公共性』が生成されることになるのである。

社会秩序は社会構成員の行為や意識の統合・調和によって形成されていくものだが、価値・規範に基づく合意をベースにしたものを『社会統合』、権力の強制・利害の一致をベースにしたものを『システム統合』として社会学では分類している。ハーバーマスは機械的で功利的な目的合理性によって運営される社会を『システム世界』と呼んだが、人間にとってより望ましい社会秩序は、言語的コミュニケーションを介した相互了解を模索する『生活世界』において形成されると考えた。

ユルゲン・ハーバーマスは、コミュニケーション行為による社会的合意を重視したが、更に市民(人々)が当事者意識を持って公共圏における合理的討議に参加するコミットメントの重要性を訴えた。それぞれが相手の世界観や意見・主張を受け容れて議論し合うコミュニケーション行為を行えば、主観と主観をぶつけてすり合わせる『共同主観性』が生まれるが、ハーバーマスはこの共同主観性こそが社会秩序の源泉になると理論的に構想したのである。

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