心理学と社会学が研究対象にする『記憶』の違い:M.アルヴァックスの『生きている歴史』

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このウェブページでは、『心理学と社会学が研究対象にする『記憶』の違い:M.アルヴァックスの『生きている歴史』』の解説をしています。

M.アルヴァックスの『生きている歴史』と『歴史の正面図』

心理学と社会学の研究対象としての『記憶(memory)』の捉え方の違い


M.アルヴァックスの『生きている歴史』と『歴史の正面図』

社会学では『記憶(memory)』『歴史(history)』と深く相関していると考えられるようになってきている。特に集団(国家)に共有されて場所と結び付けられる『集合的記憶』は、他の集団国家・民族と対立しがちなナショナリズムの歴史を生み出す。フランスの社会学者モーリス・アルヴァックス(M.Halbwachs,1877-1945)は、学校・書物(本)で学ぶ『書かれた歴史』と複数の人間が共有していたり場所に刻印されたりしている集合的記憶から生成される『生きている歴史』を区別している。

哲学者の野家啓一(のえけいいち,1949-)は客観的な視点で歴史年表上の点として捉える自分と直接の関わりが感じられない歴史のことを『歴史の側面図』と呼び、現在から過去を振り返って、自分や仲間がその歴史プロセスの一部であるように共感できる歴史のことを『歴史の正面図』と呼んだ。歴史の正面図は『私自身の経験によって記憶されたもの・近しい誰かから私に伝聞されたもの・私が経験や学習、伝聞によって作り上げてきた過去のイメージ』によって描かれているが、歴史の正面図はM.アルヴァックスのいう『生きている歴史』に近いものでもある。

文章を読んで年表で年号を覚えて学ぶ形の歴史の側面図は『知識としての歴史・過ぎ去った過去』であり、ある意味で『死んでしまった歴史』なので『現在の自分の心理状態・(外国に対する)政治的な価値観・行動基準』に直接の影響を及ぼすことはない。それに対して生きている歴史である歴史の正面図は、現在から過去の出来事を振り返ることによって『歴史事象に関する自分(自集団)の当事者』を刺激するものであり、『現在の自分の心理状態・(外国に対する)政治的な価値観・行動基準』に直接の影響を及ぼすことも少なくないのである。

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心理学と社会学の研究対象としての『記憶(memory)』の捉え方の違い

社会学では『記憶(memory)』と『歴史(history)』が結びつけて考えられることが多いと書いたが、歴史学では過去の歴史を研究する際の史料の素材の一つである『記憶・伝承』『記録文書』よりも相当に価値が低く、あまり信用できないと考えられていることが多い。2000年代以降の歴史学では、人類の歴史そのものを記憶の一形態としての現れと解釈する『記憶の歴史学』も構想されるようにはなっている。記憶の歴史学では、『過去を認識しようとするあらゆる営み・記憶の学術的解釈によって得られた過去についての認識や価値判断のあり方』を記憶の定義にしている。

歴史学は基本的に『文書主義』の伝統と前提が強く、人間・集団の記憶は主観的で不正確なもの、時間の経過と共に改変・解釈されるものであると見なされやすいからである。近代の歴史学では特に、主観的で不正確な部分も多い『記憶』は前近代的・非科学的な歴史認識の一つとして軽視され、歴史学の研究者は『記憶(伝承)』『歴史(客観的な事実に近いもの)』を区別するように教育されてきたのである。

人間の『記憶(memory)』は今まで近代の学問のさまざまな分野で研究されてきて、医学・脳科学・解剖学・生物学では『脳機能と個人の経験によって記憶が形成される+脳器官の機能局在説+個人の記憶機能の分類(長期記憶・短期記憶・エピソード記憶・作業記憶など)』を前提にした科学的な記憶研究が進められている。ここでは歴史学・社会学における記憶研究を、アルヴァックスの集合的記憶を例にして解説してきたが、(歴史学も含む)社会学の記憶の定義と研究方法の特徴を知るためには、『社会学と心理学の記憶研究の違い』を考えてみると分かりやすいだろう。

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一般的に『記憶力が良い・悪い』と語られる場合には、心理学的な記憶の定義が前提にされていることが多く、記憶力の高低は『頭が良い・悪い』のメタファーのようにして使われることも多い。大雑把に言えば、心理学分野で研究対象にされる記憶は『個人的・実験室的・テスト的・脳機能的』なものであり、社会学分野で研究対象にされる記憶は『集合的・日常生活的・社会共有的・物質や場所と結合的』なものなのである。

心理学と社会学における『記憶』の定義とイメージ、研究法の違いを整理すると、以下の表のようになる。

心理学と社会学における『記憶』の扱い方(定義・イメージ)の違い
心理学における記憶社会学における記憶
『実験室・調整された環境』でテストされる記憶『日常生活・語り合う環境』でコミュニケーションの対象となる記憶
個人的記憶集合的記憶
個人単位で記銘・想起集団単位で記銘・想起・伝達
『記銘・保持・想起』で記憶の正誤をテストすることができる共有され変化する記憶の内容が重要で『記憶の正誤(正しいか否か)』をテストすることはない
脳の内部に記憶が保存される物質・空間・場所の中に記憶が保存される(それらが集団的記憶を想起するトリガーとなる)
当事者の記憶である当事者あるいは非当事者(内容を伝達された人)の記憶である

歴史社会学分野におけるアルヴァックスの集合的記憶に基づく歴史認識は『客観・公正・中立の歴史的事実』と一致する保証はないものであり、『集団で共有される記憶の枠組み』によって変化・歪曲を続けて再構成されていく歴史認識のことを指している。集団で共有される記憶の枠組みが変われば、『歴史認識の見え方・前景と後景の順序』もまた枠組みの変化に合わせて変わっていくということである。

心理学では記憶は『脳』の中で保持されると考えるが、社会学では記憶は『物質・空間・場所』の中に保持されると考える。この社会学における記憶の保存領域としての場について、フランスの歴史学者P.ノラ『記憶の場』という命名をしている。P.ノラの定義した『記憶の場』というのは、物質的なものであれ非物質的なものであれ集団社会において重要な含意を帯びた実在であり、人間の意志および時間経過の作用によって社会的共同体のメモリアルな遺産を象徴するようになった事物・イベント・組織団体などのことを指している。

具体的な『記憶の場』となるものの例を上げると、『史跡・歴史的建造物・記念碑・銅像・博物館や美術館・歴史的テーマのある芸術作品・歴史書・戦友会・同窓会・葬儀・巡礼・記念行事・映画・テレビや新聞のメディア』など無数のものがあり、人間はこれらの記憶の場を訪れたり参加したり観賞したりすることによって『歴史的・社会的な存在としての自己アイデンティティー』を強めたり、他者と歴史認識を共有するように(あるいは他者と歴史認識が対立するように)なりやすいのである。

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