『論語 里仁篇』の書き下し文と現代語訳:2

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の里仁(りじん)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の里仁篇は、以下の3つのページによって解説されています。

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[白文]10.子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之与比。

[書き下し文]子曰く、君子の天下に於けるや、適もなく、莫(ばく)もなし。義をこれ与(とも)に比しむ(したしむ)。

[口語訳]先生(孔子)がおっしゃった。『有徳の君子が天下の人に対する時、宿敵もなければ、愛着もない。ただ、正義の人と共に親しみ合う。』

[解説]君子が天下の人材に交わるときには、個人的な感情や利害によって相手を選ぶのではなく、その相手が正義を実践する高潔な人格を持っているかどうかを見ているものだということを孔子が述べた章である。

[白文]11.子曰、君子懐徳、小人懐土、君子懐刑、小人懐恵。

[書き下し文]子曰く、君子は徳を懐い(おもい)、小人は土(ど)を懐う。君子は刑を懐い、小人は恵を懐う。

[口語訳]先生が言われた。『君子は道徳(人徳)を強く思い、小人は土地(郷土)を強く思う。君子は刑罰(の行き過ぎ)を強く思い、小人は恩恵を強く思う。』

[解説]統治者である「有徳の君子」と被統治者である「無徳の小人」を比較した部分で、政治を行う君子は道徳の実践と普及を強く思い、小人は故郷の土地を強く思って道徳による教化などには興味を向けないという。仁の実践の大きな志を持って、生まれ故郷に安住しないのが「君子」の生き方であり、君子は庶民に下した刑罰を忘れず、必要以上の刑罰を下すべきではないとする孔子の思いが含まれている。小人が君子(為政者)から受けた刑罰(恐怖)よりも恩恵(安心)を強く意識しているような社会が、徳治が行き届いた理想の社会であると説く。

[白文]12.子曰、放於利而行、多怨。

[書き下し文]子曰く、利に放りて(よりて)行えば、怨み(うらみ)多し。

[口語訳]先生が言われた。『利益に従って行動すると、人から怨みを買うことが多い。』

[解説]孔子の処世訓を手短に述べたもので、自己中心的に利益ばかりを追い求めていると、他人の利害と衝突して争いあったり怨まれたりすることが多いということ。

[白文]13.子曰、能以礼譲為国乎、何有、不能以礼譲為国、如礼何。

[書き下し文]子曰く、能く礼譲(れいじょう)を以て国を為めん(おさめん)か、何かあらん。能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何(いかん)せん。

[口語訳]先生が言われた。『礼節と譲り合う精神で国を治めることができるだろうか?それは、難しいことではない(それが、どれほどのことがあろうか)。礼節と譲り合う気持ちで国が治められないのであれば、礼が何の役に立つというのか?(いや、何の役にも立たない)。』

[解説]孔子が徳治政治の根幹を説いた部分で、君主と人民それぞれが、礼容を身に付け譲り合う精神を持つことで、国家が上手く統治されるとしたもの。孔子は、「礼譲の徳」が政治にとって何の役にも立たないのであれば、そもそも礼そのものが全く無意味になると語っているのである。

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[白文]14.子曰、不患無位、患所以立、不患莫己知、求為可知也。

[書き下し文]子曰く、位なきことを患えず(うれえず)、立つ所以(ゆえん)を患う。己を知ること莫き(なき)を患えず、知らるべきことを為すを求む。

[口語訳]先生(孔子)がこうおっしゃった。『地位がないことを心配せず、その地位に立つべき理由(実力や人徳)について気にしなさい。自分を認める人がいないのを気にかけず、人に認められるような行動ができるように努力しなさい。』

[解説]地位や権力を得ることばかりを求めるのではなく、自分がその地位や権力に相応しい人間性を備えているか、その職責を十分にまっとうできる実力があるかを考えろと孔子は言っている。他人が自分を高く評価するかしないかばかりを気にかけるのではなく、他人が認めざるを得ないような大きな仕事や実績を残せるように努力することが肝心なのである。

[白文]15.子曰、参乎、吾道一以貫之哉、曾子曰、唯、子出、門人問曰、何謂也、曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。

[書き下し文]子曰く、参(しん)よ、吾が道は一(いつ)以てこれを貫く。曾子(そうじ)曰く、唯(い)。子出ず(いず)。門人問うて曰く、何の謂(いい)ぞや。曾子曰く、夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ。

[口語訳]先生が曾子にいわれた。『参(しん)よ、私の道は一つのことで貫かれている。』曾子は『はい。』と言った。先生がその場を出られた後で、門人が尋ねた。『どういう意味でしょうか。』曾子は言われた。『先生の道は忠恕(思いやりとまごころ)だけです。』

[解説]『論語』において最高の徳である「仁」を、自身の思いやりに正直である「忠」と他人の苦境に思いやりを持つ「恕(じょ)」によって解き明かし、それらをまとめて他人に対する温かな思いやりの情義で「忠恕」で説明している。孔子の人柄と生涯は、「忠恕」という「ただ一つの道(儒学の根本原理)」で貫かれているのである。

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[白文]16.子曰、君子喩於義、小人喩於利。

[書き下し文]子曰く、君子は義に喩り(さとり)、小人は利に喩る。

[口語訳]先生(孔子)がこうおっしゃった。『君子は正義(義務)に明るく、小人は利益に明るい。』

[解説]儒教的な世界観では、君子とは、仁徳を修めた為政者としての資格を持つ者のこととされ、小人とは、仁徳を意識することのないつまらない人間(人格的価値の低い人間)のこととされる。君子は正しい道の実践や義務的な行為の履行に目覚めているが、小人はただただ目先の利益を追いかけ続けるだけなのである。

[白文]17.子曰、見賢思斉焉、見不賢而内自省也。

[書き下し文]子曰く、賢(けん)を見ては斉し(ひとし)からんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。

[口語訳]先生がいわれた。「有徳の優れた人を見れば同じようになろうと思い、徳のない劣った人を見れば、(自分も同じように愚かなのではないかと)心の中で反省する。」

[解説]ここでいう「賢(けん)」とは、知的に賢いとか頭が良いとかいった意味ではなく、「道徳性や才能において優れている」といった意味である。孔子は、自分より優れた人物に会えば、嫉妬するのではなく尊敬して見習うように努め、自分より劣った人物に会えば、軽蔑するのではなく自分も同じような欠点があるのではないかと静かに反省したのである。

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[白文]18.子曰、事父母幾諌、見志不従、又敬不違、労而不怨。

[書き下し文]子曰く、父母に事えて(つかえて)は幾く(ようやく)諌め(いさめ)、志の従わざるを見ては、また敬んで(つつしんで)違わず、労えて(うれえて)も怨みざれ。

[口語訳]先生が言われた。『父母に仕えて(間違いを見つけた時には)遠まわしに穏やかに諌め、父母の考えが自分の諫言に従いそうにないと分かれば、更につつしみ深くして逆らわず、心配していても怨みに思わないようにしなさい。』

[解説]儒教の両親に対する孝道のあり方の基本を述べた部分で、両親に仕えていて親の過ちを見つけた場合にはやわらかく遠まわしに注意して、それでも聞き入れなければ静かに受け入れ、それに逆らわないようにしたほうがいいというものである。この章をそのまま解釈して実践することに現代的意義は乏しいが、「両親の人格や価値観を大切にしましょう」といった親孝行の基本について述べている。

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