孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の郷党篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の郷党篇は、以下の3つのページによって解説されています。
[白文]17.君命召、不俟駕行矣。
[書き下し文]君、命じて召せば、駕を俟たずして行く。
[口語訳]君主から招聘の命令を受ければ、馬車に駕籠をつける時間も待たずにすぐに歩きだされた。
[解説]君主からの命令を、全てに優先する『至上の命令』と受け取っていたところに、孔子の封建秩序に対する謹厳な感覚が窺われる。
[白文]18.入大廟、毎事問。
[書き下し文]大廟(たいびょう)に入り、事ごとに問う。
[口語訳]役人時代の先生が、魯の先祖の霊廟を参拝されたとき、お参りの方法を一つずつ(専門の役人に)質問された。
[解説]孔子は、宗廟の参拝や祭祀の礼制について誰よりも詳しく精通していたが、『正しい礼の道』へのこだわりが強く、必ずそこの担当の係に謙虚に質問をしていたようである。
[白文]19.朋友死無所帰、曰、於我殯、朋友之饋、雖車馬、非祭肉、不拝。
[書き下し文]朋友死して帰する所なし。曰く、我に於いて殯せよ(ひんせよ)。朋友の饋りもの(おくりもの)は車馬と雖も、祭肉にあらずんば拝せず。
[口語訳]友人が死んで絶望に打ちひしがれているときの心得として先生がおっしゃった。『私の家に棺を置いて、殯(もがり)をしなさい』と。友人からの贈り物は、たとえ車や馬のように豪華なものでも、祭祀の肉でなければ拝礼することがなかった。
[解説]親しい友人が死んでしまった時の絶望感や無力感を和らげる『葬礼の方法』として、孔子は、(遺体を埋葬する前に一定期間、棺の中で生きているように安置しておく)殯(もがり)を勧めているようである。
[白文]20.寝不尸、居不容。
[書き下し文]寝ぬる(いぬる)に尸(し)のごとくせず、居るに容らず(かたちつくらず)。
[口語訳]眠られる時にも死体のように仰向けにはならず、家に居るときも深刻な堅い表情をしなかった。
[解説]睡眠を取るときの礼儀作法と、家でくつろぐときの温雅な表情の作り方についての部分である。
[白文]21.子見斉衰者、雖狎必変、見冕者与瞽者、雖褻必以貌、凶服者式之、式負版者、有盛饌必変色而作、迅雷風烈必変。
[書き下し文]子、斉衰(しさい)の者を見ては、狎れ(なれ)たりと雖も必ず変ず。冕者(べんしゃ)と瞽者(こしゃ)とを見ては、褻れ(なれ)たりと雖も必ず貌(かたち)を以てす。凶服の者にはこれを式(しょく)す。負版者(ふばんしゃ)に式す。盛饌(せいせん)あれば必ず色を変じて作つ(たつ)。迅雷風烈しき(はげしき)ときも必ず変ず。
[口語訳]先生は官吏の喪服を着た人に出会うと、いつも親しい仲であっても顔色を変えて身なりを正された。麻の冠をかぶった人や盲目の薬師に出会うと、ふだん懇意にしている人でも、必ず表情を引き締められた。軽い喪服を着ていた人には、礼にのっとって拝礼された。戸籍台帳を背負っている人に会っても、礼に従った挨拶をされた。豪華なご馳走をしていただいたときには、顔色を引き締めて態度を改めて立ち上がった。雷雨や暴風は激しいときにも、先生は謹厳な態度をとられていた。
[解説]日常生活で遭遇する相手に対して、孔子がどのような礼の道を実践していたのかを示した章である。自然現象である雷雨や暴風をも敬虔に恐れて態度を正したのは、孔子が『天命思想』に基づいて礼制を守っていたからであろう。
[白文]22.升車、必正立執綏、車中不内顧、不疾言、不親指。
[書き下し文]車に升るときは必ず正しく立ちて綏(すい)を執る。車の中では内顧(ないこ)せず、疾言(しつげん)せず、親指(しんし)せず。
[口語訳]馬車に乗られるときには、必ずまっすぐに立って、落ちないように持つ綱をすっくと握られた。馬車の中では、後ろを振り返らず、大きな声で話をせず、他人を指さしたりされなかった。
[解説]馬車は貴人・大夫しか乗れない高貴な乗り物であり、孔子は馬車に乗り込むときや乗っているときの『礼の実践』にも心を配っていた。
[白文]23.色斯挙矣、翔而後集、曰、山梁雌雉、時哉時哉、子路共之、三臭而作。
[書き下し文]色斯きて(おどろきて)挙がり、翔りて(かけりて)而して後集まる(とどまる)。曰く、山梁(さんりょう)の雌雉(しち)、時なるかな時なるかなと。子路これに共えば(むかえば)、三たび臭げて(はねひろげて)作つ(たつ)。
[口語訳]雉が人間の気配に驚いて突然飛び上がる、ぐるぐると飛び回ってから木に止まった。先生がおっしゃった。『山の橋にいる雌の雉は、時機を心得ているな、時機を心得ているな。』と。子路が雉に近づいていくと、三度羽ばたきしてから飛び立っていった。
[解説]人間が接近すれば飛び去って逃げ、木に止まって安心できれば動かない。雌の雉の俊敏な動作を観察した孔子が、『臨機応変な身の処し方』に感嘆した場面であろう。『あの雉は、時宜というものを知っている』と感慨深く雉を見ていた孔子だが、そんな孔子の内面も知らずにずかずかと豪胆な子路が近づいていった為に雉は飛んで逃げてしまったのである。
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