孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の先進篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の先進篇は、以下の3つのページによって解説されています。
[白文]10.顔淵死、子哭之慟、従者曰、子慟矣、子曰有慟乎、非夫人之為慟、而誰為慟、
[書き下し文]顔淵死す。子哭(こく)して慟す(どうす)。従者曰く、子慟せりと。子曰く、慟することありしか、夫の(かの)人の為に慟するに非ずして誰が為にか慟せん。
[口語訳]顔淵が死んだ。先生は霊前において大声を上げて泣いて深い悲しみを表現された。従者が申し上げた。『先生はさきほど、泣き崩れられましたね。』。先生はおっしゃった。『泣き崩れる場面があるとして、あの人のために大声で泣かずに、いったい誰のために大声で泣くということがあるだろうか(そんな相手は他にいない)。』
[解説]古代の服喪儀礼の一つとして、親愛なる死者のために捧げる『慟哭』があったが、孔子はその喪の儀礼を逸脱するほどの大声を上げて泣き崩れたので、(いつにもない取り乱しようを見た)従者がその悲哀の気持ちの強さに驚いたのである。
[白文]11.顔淵死、門人欲厚葬之、子曰、不可、門人厚葬之、子曰、回也視予猶父也、予不得視猶子也、非我也、夫二三子也、
[書き下し文]顔淵死す。門人厚く葬らんと欲す。子曰く、不可なり。門人厚く葬る。子曰く、回は予(われ)を視る(みる)こと猶(なお)父のごとくなり。予は視ること猶子のごとくするを得ざるなり。我には非ざるなり。夫の(かの)二三子(にさんし)なり。
[口語訳]顔淵が死んだ。門人たちが身分を越えた手厚い葬儀をしたいと申し上げた。先生が言われた。『それはよくない。』。しかし、門人たちは顔淵を儀礼を越えて盛大に葬った。先生が言われた。『顔淵が私に接する姿はまるで父に対するもののようであった。しかし、私は顔淵に対して我が子のように慎ましやかに温かく葬って上げられなかった。これは私の責任ではない。門人たちが勝手にしてしまったことなのだ。』
[解説]孔子は最愛の弟子である顔淵の死に臨んで、礼制にのっとった分相応の葬式を執り行おうとしたが、孔子の悲哀の気持ちを恣意的に忖度した門人達が、顔淵の葬儀を盛大に行い過ぎてしまったのである。孔子は儒学の根本精神である『礼楽の道』を、顔淵の葬儀の際に踏み外してしまったことを非常に後悔したと考えられる。
[白文]12.季路問事鬼神、子曰、未能事人、焉能事鬼、曰敢問死、曰未知生、焉知死、
[書き下し文]季路(きろ)、鬼神に事えん(つかえん)ことを問う。子曰く、未だ人に事うる能わず、焉んぞ(いずくんぞ)能く鬼に事えんか。曰く、敢えて死を問う。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。
[口語訳]子路が、死者の霊魂へのお仕えの仕方を聞いた。先生がお答えになった。『生きている人間に仕えることが十分でないのに、どうして死者の霊魂などにお仕えすることができるだろうか?いや、できない。』。子路は更に、死について質問した。先生は言われた。『まだ生について十分なことを知らないのに、どうして死について知ることができるだろうか?』。
[解説]孔子は人智を超越した『天』が徳の高い『人』に天下統治の命令を下すという天命思想を信じていたが、形而上学的な目に見えない怪・力・乱・神について大袈裟に語ることを好まなかった。特に、儒教の祖である孔子は、仏教の祖である釈迦と同様に、『死後の世界』について想像だけで適当に解説することを拒否していたのである。現実主義者であり現世の生活や政治を優先する孔子は、人間では手の打ちようのない死後の世界の問題や死者の霊魂へのお勤めを心配する時間があるのであれば、『今・ここにある自分の課題』に集中せよと言いたかったのではないだろうか。
[白文]13.閔子騫侍側、ギンギン如也、子路行行如也、冉子子貢侃侃如也、子楽、曰、若由也不得其死然、
[書き下し文]閔子騫(びんしけん)、側ら(かたわら)に侍す。ギンギン如たり。子路は行行如(こうこうじょ)たり、冉子(ぜんし)と子貢(しこう)とは侃侃如(かんかんじょ)たり。子楽しむ。曰く、由(ゆう)の若き(ごとき)はその死を得じ。
[口語訳]閔子騫が先生の側近くに控えていた。閔子騫の様子は、中立的で程よく落ち着いている。子路の様子は、力強くて剛直過ぎる感じである。冉子と子貢の様子は和やかな雰囲気である。先生は門人たちの様子を楽しみながら言われた。『子路のような激しい気質では、天寿をまっとうすることは出来ないだろう。』。
[解説]弟子たち一人一人の気質・性格と長所・短所を適切に理解していた孔子が、にこやかな表情で弟子の様子を眺めて評した章である。孔子は、血気盛んで勇気に満ちた子路の先行きを、その気性の激しさゆえに生命を失うことになるのではないかと強く案じていた。果たしてこの孔子の不吉な予言と忠告は的中し、直情径行で妥協をすることを知らなかった正義の人・子路は、衛国で他者の怒りを買って謀殺されてしまうこととなる。
[白文]14.魯人為長府、閔子騫曰、仍旧貫如之何、何必改作、子曰、夫人不言、言必有中、
[書き下し文]魯人(ろひと)、長府を為る(つくる)。閔子騫曰く、旧貫(きゅうかん)に仍らば(よらば)これを如何(いかん)、何ぞ必ずしも改め作らん。子曰く、夫の人は言わず、言えば必ず中たる(あたる)。
[口語訳]魯国の人が長府という倉庫を建設した。閔子騫が言った。『旧来の慣習に従ったらどうだろうか。どうして旧来の慣習を捨てて全ての組織・建物を新しく作る必要があるのだろうか。』。先生がおっしゃった。『あの人は普段はあまり話さないが、話すと必ず的確な発言をする。』。
[解説]伝統文化や旧来の慣例を重視する儒学は、基本的に保守主義のエートス(行動様式)に基づいている。古いものを捨てて安易に新しいものに乗り換えることに危惧を持っていた孔子は、旧来の慣習を重視せよという閔子騫の発言に賛同の意を示したのである。現代的な観点からは、過去の規範やシステムを維持し続けようとする保守主義が必ずしも正しいわけではないが、儒教の基本的な性格である『復古主義』について知ることが出来る章であり、この復古主義は日本の幕末の『王政復古』の理論的根拠ともなったのである。
[白文]15.子曰、由之瑟、奚為於丘之門、門人不敬子路、子曰、由也升堂矣、未入於室也、
[書き下し文]子曰わく、由(ゆう)の瑟(しつ)、奚為れぞ(なんすれぞ)丘(きゅう)の門に於いて為さん。門人、子路を敬わず。子曰く、由は堂に升れる(のぼれる)も、未だ室に入らざるなり。
[口語訳]先生がおっしゃった。『子路の琴の弾き方であれば、どうして私の門下に入って習う必要があるだろうか。』。この話を聞いた門人は、子路を尊敬しなくなった。先生は言われた。『子路は既に宮殿に登れる実力があるが、まだ宮殿の部屋の中に入れないというだけなのだ。』。
[解説]礼楽の道を重視した孔子が、冗談のつもりで子路の下手な琴の弾き方について言及したのだが、それを真面目に受け取った門人たちは子路に敬意を寄せなくなってしまった。これはやり過ぎたと反省した孔子は、子路の政治や学問における実力の高さに改めて言及し、琴の腕前についても『もう一歩上達すれば十分』と持ち上げたのである。
[白文]16.子貢問、師与商也孰賢乎、子曰、師也過、商也不及、曰、然則師愈与、子曰、過猶不及也、
[書き下し文]子貢問う、師と商と孰れか(いずれか)賢れる(まされる)。子曰く、師は過ぎたり、商は及ばず。曰く、然らば則ち師愈れるか(まされるか)。子曰く、過ぎたるは猶及ばざるがごとし。
[口語訳]子貢が質問した。『子張と子夏とではどちらが優れていますか?』。先生がお答えになった。『子張は行き過ぎであり、子夏は不足している。』。子貢がさらに聞いてみた。『そうであれば、子張のほうが優れているということですね。』。先生が言われた。『程度が行き過ぎているものは、不足しているものと同じである。(どちらも程よくバランスの取れた中庸から外れている)』
[解説]孔子は『中庸の徳』の実践を重んじており、才智や能力が極端に行き過ぎているものも、才智が劣っているものと同様にバランスが崩れていて安定性がないと考えていた。常識的に考えれば、平均的な能力・知性よりも極端に優れた人物の評価は高いはずであるが、安定的な持続性と人格的な徳性を大切にした孔子は、敢えて『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』という警句を呈したのである。
[白文]17.季氏富於周公、而求也為之聚斂而附益之、子曰、非吾徒也、小子鳴鼓而攻之、可也、
[書き下し文]季氏、周公より富めり。而うして(しこうして)求(きゅう)はこれが為に聚斂(しゅうれん)して附益(ふえき)す。子曰く、吾が(わが)徒(ともがら)に非ざるなり。小子(しょうし)鼓を鳴らして攻めて可なり。
[口語訳]家臣の季氏一族は主君(魯)の周公よりも裕福であった。そういった状況があるのに、弟子の冉求(ぜんきゅう)が季氏の利益のために徴税の業務を行っている。先生がおっしゃった。『冉求はわれわれの同志ではなくなった。お前たちよ、鼓を鳴らして(批判精神を発揮して)攻撃しても良いのだ。』。
[解説]儒教は、家臣は主君に対する『忠孝の義』を踏み外してはならないという封建主義的な道徳規範の根拠になった教えである。孔子の門弟の冉求が、主君の財産を増やすのではなく家臣の季氏の財産を積極的に増やす徴税行為をしたのを見て、孔子は激しい義憤に駆られた。他の門弟たちに向けて、主君に対する『忠孝の道』を踏み外した冉求を厳しく批判してよいと語り、冉求の不忠な行為を改めさせようとしたのである。
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