孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の子路篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の子路篇は、以下の3つのページによって解説されています。
[白文]11.子曰、善人為邦百年、亦可以勝残去殺矣、誠哉是言也、
[書き下し文]子曰く、善人邦を為むる(おさむる)こと百年ならば、亦以て残に勝ち、殺を去るべしと。誠なるかな、是の言や。
[口語訳]先生が言われた。『普通の善人でも百年間国を治めれば、無法者を押さえ込んで死刑を廃止することができるという。本当だね、この言葉は。』
[解説]儒教には、道徳による教化と君子による啓蒙によって平和で豊かな社会を構築できるというある種のユートピアニズムが内在している。『善人邦を為むる(おさむる)こと百年ならば、亦以て残に勝ち、殺を去るべしと』という部分は古来からの諺であり、孔子はこの諺に感嘆した。
[白文]12.子曰、如有王者、必世而後仁、
[書き下し文]子曰く、如し王者有らば、必ず世にして後(のち)仁ならん。
[口語訳]先生が言われた。『もし天命を拝受した王者が現れれば、一世代の後に必ず仁に基づく世界が実現するだろう。』
[解説]孔子の理想主義的な王者観と世界の変化について述べた章である。儒教では、武力による覇道政治よりも徳性による王道政治をより価値の高いものと考える。
[白文]13.子曰、苟正其身矣、於従政乎何有、不能正其身、如正人何、
[書き下し文]子曰く、苟しくもその身を正しくせば、政に従うに於いて何か有らん。その身を正しくすること能わずば、人を正しくすること如何せん(いかんせん)。
[口語訳]先生は言われた。『もし自分自身が正しくしているのであれば、政治を行うことに何の問題があるだろうか。自分の行動を正しくすることが出来ないのならば、他人を正しい方向に導くことなどがどうしてできるだろうか。』
[解説]儒学の政治思想の根本にある、率先垂範の修身について述べた部分であり、他人にあれこれ注意する前にまず自分自身が正しく有らなければならないということである。
[白文]14.冉子退朝、子曰、何晏也、対曰、有政、子曰、其事也、如有政、雖不吾以、吾其与聞之、
[書き下し文]冉子(ぜんし)、朝(ちょう)より退く。子曰く、何ぞ晏き(おそき)や。対えて曰く、政あり。子曰く、それ事ならん、如し政あらば、吾以いられず(もちいられず)と雖も、吾それこれを与り(あずかり)聞かん。
[口語訳]冉先生が朝廷から退出してきた。先生が言われた。『どうしてこんなに遅くなったのだ。』。冉先生は答えて言われた。『政務があったからです。』。先生が言われた。『お前が言っているのは国家の政治ではないだろう(直接仕えている重臣の季氏の政務だろう)。もし重要な政治問題があれば、私が朝廷の重要な役職に就いていないといっても、その政務について聞いているはずだから。』
[解説]孔子は魯の国家のための政治ではなく、有力者である季氏のための政治に奔走している冉子に対して皮肉な忠告を返した。君臣の義と礼の遵守を考えると、家臣である季氏よりも魯の君主のほうにより強い忠誠を誓って政務に励むべきだと言いたかったのだろう。
[白文]15.定公問、一言而可以興邦有諸、孔子対曰、言不可以若是、其幾也、人之言曰、為君難、為臣不易、如知為君之難也、不幾乎一言而興邦乎、曰、一言而可喪邦有諸、孔子対曰、言不可以若是、其幾也、人之言曰、予無楽乎為君、唯其言而楽莫予違也、如其善而莫之違也、不亦善乎、如不善而莫之違也、不幾乎一言而喪邦乎、
[書き下し文]定公問う、一言(いちごん)にして以て邦を興すべきものありや。孔子対えて曰く、言は以て是くの若くなるべからざるも、それ幾き(ちかき)なり。人の言に曰く、君たること難く、臣たること易からずと。如し君たることの難きを知らば、一言にして邦を興すに幾からずや。曰く、一言にして邦を喪ぼすべきものありや。孔子対えて曰く、言は以て是くの若くなるべからざるも、それ幾きなり。人の言に曰く、予(われ)君たることを楽しむことなし。唯(ただ)、その言いて予に違うもの莫き(なき)を楽しむなりと。如しそれ善くしてこれに違うもの莫きは、亦善からずや。如し善からずしてこれに違うもの莫きは、一言にして邦を喪ぼすに幾からずや。
[口語訳]魯の定公がお尋ねになった。『わずか一言で、国を隆盛させるようなものはないだろうか。』。孔子が答えて申し上げた。『言葉というものはそのような効果のあるものではありませんが、それに近いものならばございます。人民の言葉に、「よき君主となることは困難であり、よき家臣となることも簡単ではない」というものがあります。もし本当によき君主になることの難しさが分かったら、この言葉ことわずか一言で国を隆盛させるものに近いでしょう。』。定公がお尋ねした。『わずか一言で、国を滅亡させるようなものはあるだろうか。』。孔子がお答えして申し上げた。『言葉というものはそのような効果のあるものではありませんが、それに近いものならばございます。人民の言葉に、「自分は君主となったことを楽しく感じず、ただ自分の発言に対して誰も反対する者がいない。誰も反対しないのを楽しく感じている」というものがあります。もし君主の言葉が正しくて、反対する者がいなければ良いでしょう。もし君主の言葉が間違っていて、誰も反対する者がいないのであれば、それは正にわずか一言で国家が滅亡するという事態に近いと言えましょう。』
[解説]孔子が魯の定公に対して君主が行うべき政治のポイントについて語ったものである。魯の定公は、『一言の言葉で国を栄えさせるような言葉・一言の言葉で国を滅ぼすような言葉』について孔子に質問をした。その質問に対して孔子は、『優れた君主になることの難しさの自覚』を勧め、『忠義心のある家臣の助言や諫言に耳を傾けることの重要性』を教えたのである。
[白文]16.葉公問政、子曰、近者説、遠者来、
[書き下し文]葉公(しょうこう)、政を問う。子曰く、近き者説ぶ(よろこぶ)ときは遠き者来たらん。
[口語訳]葉の君主が、政治について聞かれた。先生は答えられた。『近所の者が喜んで集まるようであれば、遠来の者も自然にやってくるだろう。』
[解説]晩年の孔子は、葉の君主に重んじられたことがあったが、その時に政治の方法について聞かれ、『近隣の者にまずは仁政を施すこと』を勧めたのである。
[白文]17.子夏為呂父宰、問政、子曰、毋欲速、毋見小利、欲速則不達、見小利則大事不成、 (呂の正しい漢字は、くさかんむりがつく)
[書き下し文]子夏、呂父(きょほ)の宰と為り、政を問う。子曰く、速やかにせんと欲する毋かれ(なかれ)。小利を見ること毋かれ。速やかにせんと欲すれば則ち達せず、小利を見れば則ち大事成らず。
[口語訳]呂父の長となった子夏が政治について質問した。先生はお答えになられた。『素早く急ぎすぎてはいけない。小さい目先の利益にとらわれてはいけない。焦って素早くしようとすれば目的を達成できず、小さな利益にとらわれれば大きな事は実現できない。』。
[解説]呂父の長に任じられた門弟の子夏に対して、孔子が与えた行政上の忠告である。拙速になって性急すぎる政治をしても上手くいかないし、小さな目先の利益を追いかけていては人民を安楽にする本当の大局的な政治はできないというわけである。
[白文]18.葉公語孔子曰、吾党有直躬者、其父攘羊、而子証之、孔子曰、吾党之直者異於是、父為子隠、子為父隠、直在其中矣、
[書き下し文]葉公(しょうこう)、孔子に語りて曰く、吾が党に直・躬(ちょくきゅう)なる者あり。その父、羊を攘みて(ぬすみて)、子これを証す。孔子曰く、吾が党の直き者は是れに異なり。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きことその中(うち)に在り。
[口語訳]葉の君主が孔子に自信満々に語って言った。『私の治める郷土に、正直者の躬という人物がいる。躬の父が羊を盗んだときに、躬は正直に盗みの証人になったのである。』。孔子は言われた。『私の郷土にいる正直者はそれとは違います。父は子のために罪を隠し、子は父のために罪を隠す。本当の正直さはそういった親子の忠孝の間にこそあるのです。』
[解説]孔子は、『修身・斉家・治国・平天下』という順番で社会秩序は確立されると考えており、家庭道徳の根本にある『親子の忠孝』をもっとも重要な徳性としていた。葉公が自信ありげに父親の窃盗罪をも隠さずに証言した正直な青年について語ったところ、孔子は『真の正直さ』とは『父・母を守りたい、子を守りたいという情愛』の中にこそあると語ったのである。正直さを判定する軸が、『客観的な事実(葉公)』と『主観的な情緒(孔子)』とに分かれているところが面白い。
[白文]19.樊遅問仁、子曰、居処恭、執事敬、与人忠、雖之夷狄、不可棄也、
[書き下し文]樊遅(はんち)、仁を問う。子曰く、居処は恭しく、事を執りて敬み(つつしみ)、人に与わりて(まじわりて)忠あれば、夷狄(いてき)に之く(ゆく)と雖も、棄てられざるなり。
[口語訳]樊遅が仁について質問した。先生は言われた。『挙措振る舞いはへりくだっており、仕事をする時には慎重で、他人と関わるときには忠実であれば、野蛮な異国に行っても無視されることはないだろう(何らかの役職に採用されるであろう)。』
[解説]孔子が最高の徳である『仁』について、具体的な行動の例を上げながら説明した部分である。
[白文]20.子貢問曰、何如斯可謂之士矣、子曰、行己有恥、使於四方不辱君命、可謂士矣、曰、敢問其次、曰、宗族称孝焉、郷党称弟焉、曰、敢問其次、曰、言必信、行必果、脛脛然小人也、抑亦可以為次矣、曰、今之従政者何如、子曰、噫、斗肖之人、何足算也、
[書き下し文]子貢問いて曰わく、何如(いか)なるをかこれこれを士と謂うべき。子曰く、己れを行うに恥あり、四方に使いして君命を辱しめざる、士と謂うべし。曰く、敢えてその次を問う。曰く、宗族(そうぞく)は孝を称し、郷党(きょうとう)は弟を称す。曰く、敢えてその次を問う。曰く、言は必ず信、行は必ず果(か)、コウコウ然たる小人なるかな。抑も(そもそも)亦以て次と為すべし。曰く、今の政に従う者は何如(いかん)。子曰く、噫(ああ)、斗肖(としょう)の人、何ぞ算うる(かぞうる)に足らん。
[口語訳]子貢がお尋ねした。『どのような人物であれば、士ということができますか。』。先生がお答えになった。『行動する時に恥の気持ちを持っていて、外国への使節として働いて君主の威厳を辱めることがない、これは士と言えるだろう。』。子貢がお尋ねした。『さらなる士の条件について教えて下さい。』。先生は言われた。『親族から孝行者と呼ばれ、郷土の人々から年長者を敬っていると賞されることだ。』。子貢はさらに聞いた。『まだ士といえる条件はありますか。』。先生は答えられた。『言葉に真実味があり、行動は果敢で迷いがない。がちがちの小人ではあるが士とはいえる。』。子貢が言った。『今の為政者はどうでしょうか。』。先生は言われた。『ああ、器量の小さな小人ばかりで、数え上げる必要もない。』
[解説]孔子が子貢の『士(官吏)というべき条件』について次々と答えていく章であり、廉恥心を持って君命を辱めずに外交の任務を果たせることをまず士の条件として上げた。忠孝の徳や孝悌の徳を兼ね備えている者も士であり、言葉に嘘偽りがなくて思い切った行動ができるものも一応士といえる。しかし、周時代の古礼にのっとった政治を理想とする孔子は、現代の政治家には見るべきものが少ないと考えていたようである。
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