孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の衛霊公(えいれいこう)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の衛霊公篇は、以下の5つのページによって解説されています。
[白文]28.子曰、衆悪之必察焉、衆好之必察焉、
[書き下し文]子曰く、衆これを悪む(にくむ)も必ず察し、衆これを好むも必ず察す。
[口語訳]先生が言われた。『大勢の人が嫌う人であっても、必ずその人物を丁寧に観察する。大勢の人が好む人であっても、同じように必ずその人物を観察する。』
[解説]孔子が考える『見識眼(人を見る目)』について述べた章であり、孔子は大衆(多数派)の意見に従って人物の善悪を判断することは危険であると考えていた。大勢の人たちが『良い人物だ・悪い人物だ』と断定的に言っていても、それをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の目と耳、感性で実際にその人物を観察してから評価をすることが大切なのである。
[白文]29.子曰、人能弘道、非道弘人也、
[書き下し文]子曰く、人能く道を弘む(ひろむ)、道人を弘むるにあらざるなり。
[口語訳]先生が言われた。『人間が道を広めるのであり、道が人間を広めるのではない。』
[解説]孔子が『道』としての思想(主張)・理念・理想を広める道理について語った部分で、『思想あっての人間』ではなく『人間あってこその思想』だと語っていることは興味深い。孔子は人間によって思想や理念が広められていくと述べているので、キリストや釈迦、ムハンマドのような宗教家とは異なる人間中心主義のパーソナリティの持ち主であった。儒教の背景にも『天の思想』や『葬儀の祭礼』というのは確かにあるのだが、孔子は怪力乱神を語ることを好まず、人間の思惟や判断を中心にして己の思想に磨きをかけた側面がある。
[白文]30.子曰、過而不改、是謂過矣、
[書き下し文]子曰く、過ちて改めざる、是(これ)を過ちと謂う。
[口語訳]先生が言われた。『過って改めないこと、これが本当の過ちというのだ。』
[解説]不完全な人間であれば、誰も間違いや過ちを犯すことはあるが、その誤りに気づいた時に改めていけば良いのである。真の過ちとは、間違っている(悪いことである)と分かっていて、それを改めないということだと語っている。
[白文]31.子曰、吾嘗終日不食、終夜不寝、以思無益、不如学也、
[書き下し文]子曰く、吾(われ)嘗て(かつて)終日食らわず、終夜寝ねず(いねず)、以て思う、益なし。学ぶに如かざるなり。
[口語訳]先生が言われた。『私は以前、一日中食事もせず、一晩中寝もしないで考えたことがあるが、無駄であった。学ぶことには及ばないね。』
[解説]孔子は、自分の身体を極限まで追い込む『修行』や過度な禁欲をして自分を痛めつける『苦行』には否定的であった。自分自身の経験を通して『苦行の無意味さ』を悟っているあたりは、仏教の始祖・釈迦(ゴータマ・シッダールタ)と共通する部分がある。
[白文]32.子曰、君子謀道、不謀食、耕也餒在其中矣、学也禄在其中矣、君子憂道、不憂貧、
[書き下し文]子曰く、君子は道を謀りて食を謀らず。耕して餒(う)えその中(うち)に在り。学びて禄(ろく)その中に在り。君子は道を憂えて貧しきを憂えず。
[口語訳]先生が言われた。『君子は道を得ようと考えるが、食を得ようとは考えない。食べるために耕していても飢えることはあるが、道を得るために学んでいれば、俸禄はそこに自然に得られる。君子は道のことを心配するが、貧乏なことは心配しないのである。』
[解説]食事や金銭のことを心配せずに、道(理念・道徳)の実践のことを心配するのが君子としての生き方だと孔子は説く。現代的なリアリズム(現実主義)の視点からすると、明日の食事や給与のことを考えずに生活することは難しいが、孔子の発言は、学問に精通して人格を高めることが『将来の官職(俸禄)』に行き着くという無意識的なリアリズムに根ざしていたのかもしれない。
[白文]33.子曰、知及之、仁不能守之、雖得之必失之、知及之、仁能守之、不荘以位(正しい漢字は「さんずい」)之、則民不敬、知及之、仁能守之、荘以位之、動之不以礼、未善也、
[書き下し文]子曰く、知はこれに及べども、仁これを守ること能わず、これを得ると雖も必ずこれを失う。知はこれに及び、仁能く守れども、荘以てこれに位(のぞ)まざれば、則ち民は敬せず。知はこれに及び、仁能くこれを守り、荘以てこれに位めども、これを動かすに礼を以てせざれば、未だ善ならざるなり。
[口語訳]先生がおっしゃった。『知性が士大夫(官吏)として十分であっても、仁徳でその官位を守ることができなければ、結局、これを失うことになる。知性が十分で、仁徳でその官位を守ることができても、厳粛にその職務を果たさなければ、人民は敬服しないだろう。知性が十分で、仁徳で守ることができ、厳粛な態度で職務を行っても、人民を動かすのに礼節をもってしなければ、まだ十分とは言えない。』
[解説]孔子が士大夫(上級官吏)としてあるべき心構えを説いた章であり、『十分な知性(見識)・人民を愛する仁徳・厳粛な仕事への姿勢・古来からの礼制』が揃っていないと善政を維持することは出来ないと語っている。
[白文]34.子曰、君子不可不知、而可大受也、小人不可大受、而可小知也、
[書き下し文]子曰く、君子は小知すべからずして、大受(たいじゅ)すべし。小人は大受すべからずして、小知すべし。
[口語訳]先生が言われた。『君子は小さな仕事はできないが、大きな仕事を委任することができる。小人は大きな仕事を受けるべきではないが、小さな仕事をこなすことができる。』
[解説]この『論語』の章は、現代的な感覚からすると職業や人格の差別的待遇を意味するようにも思えるが、孔子の時代には君子は『小さな仕事(身近な問題)』にとらわれ過ぎず、『大きな仕事(政治や礼制における道の実践)』に専心して己の徳性を磨くことが正しい生き方だと考えられていた。
[白文]35.子曰、民之於仁也、甚於水火、水火吾見蹈而死者矣、未見蹈仁而死者也、
[書き下し文]子曰く、民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は吾蹈みて(ふみて)死する者を見るも、未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。
[口語訳]先生が言われた。『人民の仁徳に対する態度は、水や火に対するよりもずっと大切なものである。水と火に深く接し過ぎて死ぬ人間は見たことがあるが、まだ仁徳に深く接し過ぎて殉死したような人は見たことがない。』
[解説]人間を人間たらしめる条件である『仁徳』の重要性と生活に欠かすことのできない『水・火』の重要性を比較して、ややシニカルに仁徳の尊さを教えている章である。水や火に深く接しすぎて焼け死んだり溺れたりした人は多くいるが、仁徳に深く接しすぎて仁のために自己の生命を投げ出した人は殆どいないというわけである。
[白文]36.子曰、当仁不譲於師、
[書き下し文]子曰く、仁に当たりては、師にも譲らず。
[口語訳]先生が言われた。『仁徳を行うに当たっては、先生にも遠慮はしない。』
[解説]人間にとって最も重要な最高の徳を『仁』と考える儒教では、師弟関係にある師が仁に背く行動を取ればそれに従う必要性はないと説く。平時においては、主君や師匠に対する『忠義』や『尊敬』は儒教で非常に重視されるし、両親に対する『孝』は忠義以上に守るべき大切な徳と説かれるが、やはり儒教において最も根本的な徳性は『仁』なのである。
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