孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の陽貨(ようか)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の陽貨篇は、以下の5つのページによって解説されています。
[白文]1.陽貨欲見孔子、孔子不見、帰孔子豚、孔子時其亡也、而往拝之、遇諸塗、謂孔子曰、来、予与爾言、曰、懐其宝而迷其邦、可謂仁乎、曰、不可、好従事而亟失時、可謂知乎、曰、不可、日月逝矣、歳不我与、孔子曰、諾、吾将仕矣、
[書き下し文]陽貨、孔子を見んと欲す。孔子見(まみ)えず。孔子に豚(いのこ)を帰る(おくる)。孔子その亡きを時として往きてこれを拝す。諸(これ)に塗(みち)に遇う(あう)。孔子に謂いて曰く、来たれ。予(われ)爾(なんじ)と言らん(かたらん)。曰く、その宝を懐き(いだき)てその邦(くに)を迷わす、仁と謂うべきか。曰く、不可なり。事に従うを好みて亟(しばしば)時を失う、知と謂うべきか。曰く、不可なり。日月逝く(ゆく)、歳(とし)我と与(とも)にせず。孔子曰く、諾(だく)。吾(われ)将に仕えんとす。
[口語訳]陽貨が孔子に面会しようとしたが、孔子は会わなかった。陽貨は豚を贈り物として贈ったが、孔子は会いたくないので陽貨の留守をうかがって返礼した。しかし、途中で陽貨と遭遇してしまった。陽貨は孔子に話しかけた。『さあ、私のもとに来なさい。私と共に語り合おう。身に宝を抱きて、国家を混迷に陥れている、これを仁と言えるのか?』。孔子は言われた。『仁とは言えない』。陽貨は更に語られた。『進んで政治を行いながら、しばしば時機を逸してしまう、これを知と言えるだろうか?』。孔子はお答えになられた。『いや、知とは言えない』。陽貨はおっしゃった。『月日は淡々と過ぎていくものだ。歳月は、私を待ってはくれない』。孔子は言われた。『その通りです。私も近いうちにあなたにお仕えしましょう。』。
[解説]陽貨(陽虎)は、魯国で主君を凌ぐ独裁的な専制主義者となる人物であるが、元々の身分はそれほど高くなく、三桓氏の一つ・季孫子の家宰(宰相)としての地位に就いていた。陽貨は紀元前515年頃から実力を蓄え始め、魯公以上の権勢を欲しいままにしていた三桓氏(孟孫・叔孫・季孫)と並び立つ存在となる。紀元前505年には、遂に陽貨は政治クーデターを起こして、実質的に魯の政権を掌握する権力者になった。下の地位の者が上の身分の者を追い落とす『下克上』を批判的に見る孔子は、魯の政権を実力で奪い取った陽貨のことを快く思っていなかったが、陽貨は見識と仁徳に優れた大学者である孔子を自分の家臣として召し抱えたいと考えていた。
この章は、陽貨の申し出に乗ってこない孔子をおびき出すために、陽貨が孔子に豚の進物をしてそのお礼に出てきた孔子を捕まえた場面である。陽貨は忠節・義理の徳に背いた計算高い政治家ではあったが、知略と武勇に優れた英傑でもあり、さしもの孔子も陽貨からの直々の申し出を厳しくはね付けることは出来なかったのかもしれない。主君への忠義を重視する孔子であったが、陽貨の類稀な為政者としての才覚については認めていたという説もあるが、陽貨が『魯公を軽視していた三桓氏』を追い落とすことを心情的に支持していたのかもしれない。孔子は復古主義的な徳治政治を理想としており、正統な君主が実際に政治を行う『親政』こそが正しい政治形態だと考えていたからである。そのため、三桓氏にせよ陽貨にせよ、魯の主君(昭公)を凌いで家臣(諸侯)・陪臣が実権を振るう貴族政治を良いものとは考えていなかった。しかし、才能に恵まれた稀代の政治家であった陽貨は、結局、紀元前502年に三桓氏の激しい反撃を受けて破れ、魯の国外に亡命することを余儀なくされた。
[白文]2.子曰、性相近也、習相遠也、
[書き下し文]子曰く、性は相(あい)近し。習えば相遠し。
[口語訳]先生が言われた。『人間の生来の性質は似たようなものである。その後の学習によってその性質に違いが生まれるのである。』
[解説]人間の性質や価値が先天的素質によって決まるのか、それとも後天的経験(学習)によって決まるのかという疑問は古代からあった。古代の貴族や学者のほとんどは、天賦の素質・才能の影響の強さを信じていたが、孔子は「生得的な素質」よりも「後天的な学習努力」のほうが大切であると説いている。
[白文]3.子曰、唯上知与下愚不移、
[書き下し文]子曰く、唯(ただ)上知(じょうち)と下愚(げぐ)とは移らず。
[口語訳]先生が言われた。『(多くの人は学習・努力によって変われるが)ただ最高の知者と最低の愚者は変わることがない。』
[解説]儒教は人間の才能・適性・素質の「完全平等主義」を説くものではなく、現実状況に照らし合わせて最高の知性と最低の知性との間にはやはり後天的学習によっては「越えがたい壁」があることを認めていた。
[白文]4.子之武城、聞絃歌之声、夫子莞爾而笑曰、割鷄焉用牛刀、子游対曰、昔者偃也、聞諸夫子、曰、君子学則愛人、小人学道則易使也、子曰、二三子、偃之言是也、前言戯之耳、
[書き下し文]子、武城に之き(ゆき)て絃歌(げんか)の声を聞く。夫子(ふうし)莞爾(かんじ)として笑いて曰く、鷄(にわとり)を割くに焉んぞ(いずくんぞ)牛刀を用いん。子游対えて曰く、昔者(むかし)偃(えん)や諸(これ)を夫子に聞けり、曰く、君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易しと。子曰く、二三子(にさんし)よ、偃の言(ことば)是(ぜ)なり。前言はこれに戯れしのみ。
[口語訳]先生が武城に行かれると、弦楽器の伴奏に合わせた歌が聞こえてきた。先生がにっこりと笑って言われた。『鶏をさばくのに、どうして大きな牛刀を使うのだろうか?』。武城の城主・子游が申し上げた。『私は過去に先生からお聞きしました。「君子が道を学ぶと人民を愛すようになり、小人が道を学ぶと扱いやすくなる」と』。先生が言われた。『諸君。子游の言葉は正しい。さっきの言葉は戯れであった』。
[解説]「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」というのは『論語』でも有名な言い回しの一つであるが、孔子は子游に冗談のように「こんな小さな町を治めるのに礼楽ほど大袈裟なものは必要ないのではないか」と語り掛けた。これを聞いた子游が、過去に孔子から教えてもらったことを上げて、「礼楽の道を振興することは、為政者と人民の徳を高めることになり、国家の政治を安定させることにつながる」と正論を語った。孔子は潔く自分の過ちを認めて前言を撤回し、子游の話すことは全く正しいと語っている。
[白文]5.公山不擾以費畔、召、子欲往、子路不説曰末之也已、何必公山氏之之也、子曰、夫召我者、而豈徒哉、如有用我者、吾其為東周乎、
[書き下し文]公山不擾(こうざんふじょう)、費を以て畔(そむ)く。招く。子往かんと欲す。子路説ばず(よろこばず)して曰く、之く(ゆく)こと末き(なき)のみ。何ぞ必ずしも公山氏にこれ之かん。子曰く、夫れ我を招く者にして、豈(あに)徒(ただ)ならんや。如し我を用うる者あらば、吾はそれ東周を為さんか。
[口語訳]公山不擾が費を拠点として叛逆を企て、孔子を招いた。先生はこれに応じられようとした。子路はこのことに不満を覚えて言った。『費に行くことはないと思います。どうして(裏切り者の)公山氏のところなどに行くのですか?』。先生が言われた。『あの人が私を招いたのだ。何も理由がないということはないだろう。私の思想を採用してくれる人物がいれば、私はその地を東周にしたいと思っている。』。
[解説]魯公に反旗を翻した公山不擾から孔子が招かれたというのが歴史的事実であるか否かははっきりしないが、この章では、孔子が公山不擾の申し出に孔子が応諾しようとしたということになっている。直情径行の士である子路は孔子が公山氏のもとに赴くことに強く反対しているが、諸侯から自分の主張を受け容れてもらえなかった孔子は、自分の思想・理念を採用してくれる諸侯がいるのであれば、その国を理想の東周のような国にしたいと意気込んでいる。孔子が理想的な政治体制としたのは、歴史上に実在した東周の礼制(礼節・仁義・音楽=祭祀)に基づく統治であった。
[白文]6.子張問仁於孔子、孔子曰、能行五者於天下為仁矣、請問之、曰、恭寛信敏恵、恭則不侮、寛則得衆、信則人任焉、敏則有功、恵則足以使人、
[書き下し文]子張、仁を孔子に問う。孔子曰く、能く五つの者を天下に行なうを仁と為す。これを請い(こい)問う。曰く、恭・寛・信・敏・恵なり。恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち人任じ、敏なれば則ち功あり、恵なれば則ち以て人を使うに足る。
[口語訳]子張が、孔子に仁について質問した。孔子はお答えになられた。『5つの事を天下で実行できれば仁と言えるだろう』。子張はその5つの事について教えてくれるようにお願いした。先生は言われた。『それは、恭・寛・信・敏・恵である。恭(謙譲)であれば他人に侮られない。寛(寛容)であれば大衆の信望を得られる。信(誠実)であれば他人から信頼される。敏(敏捷)であれば仕事で功績を上げられる。恵(利他的)であれば人を上手く使うことが出来るのである。』。
[解説]孔子が、仁に該当する項目として「恭・寛・信・敏・恵」について分かりやすく説明した章である。
[白文]7.沸(正しい漢字は「つきへん」)キツ招、子欲往、子路曰、昔者由也聞諸夫子、曰、親於其身為不善者、君子不入也、ヒツキツ以中牟畔、子之往也如之何、子曰、然、有是言也、曰不曰堅乎、磨而不燐(正しい漢字は「いしへん」)、不曰白乎、涅而不緇、吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食、
[書き下し文]ヒツキツ招く。子往かんと欲す。子路曰く、昔者(むかし)由や諸(これ)を夫子に聞けり、曰く、親ら(みずから)その身に於いて不善を為す者は、君子入らざるなりと。ヒツキツ中牟(ちゅうぼう)を以て畔く(そむく)。子の往くや、これを如何(いかん)。子曰く、然り。是の言有るなり。曰く、堅しと曰(い)わざらんや、磨げども(とげども)燐(うすろ)がず。白しと曰わざらんや、涅(でつ)すれども緇(くろ)まず。吾豈に匏瓜(ほうか)ならんや。焉んぞ能く繋り(かかり)て食らわれざらん。
[口語訳]ヒツキツの招きに応じて、先生が出かけようとなされた。子路が言った。『昔、私は先生からこう教えて頂きました。「君主自身が不善を行っている国には、君子たる者は入国してはいけない」と。ヒツキツは中牟に依拠して晋に反逆しています。先生がそこに行こうとするのは、どういうことでしょうか?』。先生が答えられた。『その通りである。しかし、こういう格言もある。「ほんとに堅いという他はない、砥いでも砥いでも薄くならないのは。ほんとに白いという他はない、染めても染めても黒くならないのは」と。私がどうして苦い瓜になることができるだろうか。どうして蔓(つる)にぶらさがったままで、人間に食べられずにいられるだろうか(誰かに仕官せずに在野の士で居続けるというのもまた難しいものなのだよ)』。
[解説]『論語』の陽貨篇では、孔子が、陽貨・公山不擾・ヒツキツという主君に反旗を翻した有力貴族から招聘されようとする場面が記録されているが、どれも孔子がその要請に前向きであるというところに特徴がある。弟子の子路は、主君と家臣の立場をわきまえずに中牟を拠点として晋に反逆しているヒツキツを快く思っていなかったが、孔子は『君臣の義』よりも『周の礼制の復古』という大きな目的のほうを優先しているように描かれている。主君と家臣の間にある忠誠心を最高の徳とするようになる「宋学(朱子学)」と、春秋時代の孔子自身の言葉とのズレみたいなものが感じられる章でもある。
[白文]8.子曰、由女聞六言六蔽矣乎、対曰、未也、居、吾語女、好仁不好学、其蔽也愚、好知不好学、其蔽也蕩、好信不好学、其蔽也賊、好直不好学、其蔽也絞、好勇不好学、其蔽也乱、好剛不好学、其蔽也狂、
[書き下し文]子曰く、由よ、女(なんじ)六言六蔽(りくげんりくへい)を聞けるや。対えて曰く、未だせず。居れ(おれ)、吾女(なんじ)に語(つ)げん。仁を好みて学を好まざれば、その蔽や愚。知を好みて学を好まざれば、その蔽や蕩(とう)。信を好みて学を好まざれば、その蔽や賊。直を好みて学を好まざれば、その蔽や絞(こう)。勇を好みて学を好まざれば、その蔽や乱。剛を好みて学を好まざれば、その蔽や狂。
[口語訳]先生が言われた。『由よ、お前は六つの言葉に付随する六つの害(六言六弊)を聞いたことがあるか』。子路は申し上げた。『いまだ聞いたことがありません』。『そこに座りなさい、私がお前に教えてあげよう。仁を好んで学問を好まないと、その弊害として愚かになる(人から愚劣と見なされる)。智を好んで学問を好まないと、その弊害としてとりとめが無くなる。信を好んで学問を好まないと、その弊害として人をそこなうことになる(自分が騙されてしまう)。正直なのを好んで学問を好まないと、その弊害として窮屈になる。勇を好んで学問を好まないと、その弊害として乱暴になる。剛強を好んで学問を好まないと、その弊害として狂乱に陥ることになる』
[解説]孔子が『六言六弊』を題材にして、徳目を有効に活用するために『学問への志』が絶対不可欠であることを語っている。
[白文]9.子曰、小子、何莫学夫詩、詩可以興、可以観、可以群、可以怨、邇之事父、遠之事君、多識於鳥獣草木之名、
[書き下し文]子曰く、小子(しょうし)、何ぞ夫の(かの)詩を学ぶこと莫き(なき)や。詩は以て興すべく、以て観るべく、以て群すべく、以て怨むべし。邇く(ちかく)は父に事え(つかえ)、遠くは君に事え、多く鳥獣草木(ちょうじゅうそうもく)の名を識る(しる)。
[口語訳]先生が言われた。『弟子たちよ、どうしてあの「詩経」を学ばないのだ。詩は心を奮い立たせ、物事を観察することができ、人々と共に友好を深められるし、政治批判や恨み言も表現することができる。近いところでは父にお仕えし、遠いところでは君にお仕えする、鳥獣草木の名前を覚えることもできるのだ。』
[解説]孔子の言行録である『論語』の中には詩経から引用した言葉が多く出てくるが、孔子は礼楽というものを政治秩序の根本においていた。そのため、この章では、弟子達にもっと深く『詩経』について学ぶことを勧めており、『詩経』の言葉に真剣に向き合うことでどういった実用的なメリットや学習面での効果があるのかを丁寧に教えている。
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