『論語 陽貨篇』の書き下し文と現代語訳:2

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の陽貨(ようか)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の陽貨篇は、以下の5つのページによって解説されています。

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[白文]10.子謂伯魚曰、女為周南召南矣乎、人而不為周南召南、其猶正牆面而立也与、

[書き下し文]子、伯魚(はくぎょ)に謂いて曰く、女(なんじ)周南(しゅうなん)、召南(しょうなん)を為び(まなび)たるか。人にして周南、召南を為ばずんば、それ猶(なお)正しく牆(かき)に面して立てるがごときか。

[口語訳]先生が息子の伯魚に言われた。『お前は「詩経」の周南・召南の部を学んだことがあるか?人間として周南・召南の部を学ばないと、まるで塀(垣)を目の前にして立っているようなものだ(何も周囲が見えず、身動きがとれないということになる)』

[解説]孔子が息子の伯魚に『詩経』の持つ重要性を教えるために、身近な例え話を用いて語りかけている章である。

[白文]11.子曰、礼云礼云、玉帛云乎哉、楽云楽云、鐘鼓云乎哉、

[書き下し文]子曰く、礼と云い、礼と云う、玉帛(ぎょくはく)を云わんや。楽と云い楽と云う、鐘鼓(しょうこ)を云わんや。

[口語訳]先生が言われた。『礼だ礼だとよく言われるものだが、神(祖先)に捧げる玉や絹ばかりが礼の形ではない。音楽だ音楽だとよく言われるものだが、鍾や太鼓を鳴らすばかりが音楽の形ではないのだよ。』

[解説]孔子が「礼楽の形式」よりも「礼楽の本質(精神性)」のほうがより重要であることを簡潔に述べた章で、神への捧げものや実際の音楽演奏だけが礼楽の道ではないということである。

[白文]12.子曰、色厲而内荏、譬諸小人、其猶穿愉之盗也与、

[書き下し文]子曰く、色厲(はげ)しくして内荏らか(やわらか)なるは、諸(これ)を小人に譬(たと)うれば、それ猶(なお)穿愉(せんゆ)の盗のごときか。

[口語訳]先生が言われた。『顔つきは厳めしいが、内面はぐにゃぐにゃなのは、小人にたとえると、壁・塀に穴を開ける盗人のようなものだろうか』。

[解説]孔子は、見かけだけをもっともらしく取り繕った巧言令色の徒を嫌ったが、この章では表情だけ厳格で内面に信念がない人物を、小人の盗人になぞらえて非難している。

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[白文]13.子曰、郷原徳之賊也、

[書き下し文]子曰く、郷原(きょうげん)は徳の賊なり。

[口語訳]先生が言われた。『似非(偽者)の君子は、道徳の賊徒・盗人である』

[解説]徳性の本質を重視する孔子は、外見や動作、服装だけを君子らしく見せかけて大衆を騙している人物を強く嫌悪しており、こういった批判的発言に結びついたのであろう。

[白文]14.子曰、道聴而塗説、徳之棄也、

[書き下し文]子曰く、道に聴きて塗(みち)に説くは、徳をこれ棄つる(すつる)なり。

[口語訳]先生が言われた。『道端で聞きかじったことを他人にもっともらしく説くのは、徳を捨てるようなものである』

[解説]孔子は「一知半解」や「門前の小僧習わぬ経を読む」といった中途半端な知識による教育を否定的に見ており、自分自身が正確に理解できていない聞きかじりの知識を他人に教えることは道徳に背くといっているのである。

[白文]15.子曰、鄙夫可与事君也与哉、其未得之也、患得之、既得之、患失之、苟患失之、無所不至矣、

[書き下し文]子曰く、鄙夫(ひふ)は与(とも)に君に事うべけんや。その未だこれを得ざれば、これを得んことを患え(うれえ)、既にこれを得れば、これを失わんことを患う。苟く(いやしく)もこれを失わんことを患うれば、至らざる所なし。

[口語訳]先生が言われた、『低劣な男には主君にお仕えすることは出来ないだろう。彼が目指す地位・俸給を手に入れないうちは手に入れようと気にするし、手に入れてしまうと失うことを心配する。もし失うことを心配するというのなら、それを守るためにどんなことでもやりかねないのだ。』

[解説]孔子は、官位・俸禄に対する欲深さも嫌ったが、それと同等以上にいったん手に入れた既得権益への執着心を軽蔑していたようである。この章では、既得権益にしがみつく小人の為政者・官吏は、それを守るためにどんな愚劣なことでもやりかねないという危惧の念を述べている。

[白文]16.子曰、古者民有三疾、今也或是之亡也、古之狂也肆、今之狂也蕩、古之矜也廉、今之矜也忿戻。古之愚也直、今之愚也詐而已矣、

[書き下し文]子曰く、古者(いにしえ)は民に三疾(さんしつ)あり。今や或いは是(これ)亡きなり。古(いにしえ)の狂や肆(し)、今の狂や蕩(とう)。古の矜(きょう)や廉(れん)、今の矜や忿戻(ふんれい)。古の愚や直、今の愚や詐(さ)のみ。

[口語訳]先生が言われた。『昔の人民には三つの欠点があった。今ではそれさえもないかもしれない。昔の狂者は(自己の信念に従って)やりたい放題に振る舞ったが、今の狂者はおどおどしていて自信がない。昔の侠客(士)は礼儀正しかったが、今の侠客はすぐに怒っていきり立つだけだ。昔の愚者は正直であったが、今の愚者は欺瞞に満ちているだけである。』

[解説]昔の人民にも今の人民にも多くの欠点や悪徳があるが、復古主義的な思想を持つ孔子は、昔の人民のほうが今の人民よりもまだ多くの美質や長所を持っていたと考えていた。

[白文]17.子曰、巧言令色、鮮矣仁、

[書き下し文]子曰く、巧言令色、鮮なし(すくなし)仁。

[口語訳]先生が言われた。『言葉だけが上手くて表情が豊かな人は、仁徳が少ないものだ』

[解説]論語の学而篇の第三章と同文である。

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[白文]18.子曰、悪紫之奪朱也、悪鄭声之乱雅学也、悪利口之覆邦家、

[書き下し文]子曰く、紫の朱を奪うを悪む(にくむ)。鄭声(ていせい)の雅楽を乱るを悪む。利口の邦家を覆すを悪む。

[口語訳]先生が言われた。『混合色の紫が、朱の美しさを奪うことを私は憎む。鄭の華やか過ぎる音楽が、調和の取れた古典音楽を混乱させることを憎む。小利口な表面だけの弁舌が、国家を転覆させることを憎む』

[解説]孔子が嫌悪や憎しみを感じるものとして、『混合色の紫・礼から外れた鄭の音楽・表面的な巧言』の三つを上げている。

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