『徒然草』の15段~18段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の15段~18段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

15段.いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。  そのわたり、ここ・かしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて文やる、『その事、かの事、便宜に忘れるな』など言ひやるこそおかしけれ。

さようの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはおかしとこそ見ゆれ。寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。

[現代語訳]

どこであっても、しばらくの間、旅立つということは、目がさめる心地がする。 そのあたり、ここかしこを見てまわり、田舎びた所、山里などは、本当に見慣れないことが多いだろう。都へ良い知らせを求めて手紙を送る、『(自分が旅に出かけている間に)その事、あの事、都合良く忘れるな』などと言ってやるのは面白いものだ。

そのような旅先でこそ、全てのことに心遣い(注意)をすることができるだろう。持っている調度品も良いものは良い、芸能のある人、容姿が美しい人も、いつもより興味深く見ることができる。寺や神社などに忍び込んで、ひっそりと籠るのもまた面白い。

[古文]

16段:神楽(かぐら)こそ、なまめかしく、おもしろけれ。

おほかた、ものの音(ね)には、笛・篳篥(ひちりき)。常に聞きたきは、琵琶(びわ)・和琴(わごん)。

[現代語訳]

(神に捧げる)神楽こそ、世俗じみていない優雅さが感じられ、情趣がある。

一般的な楽器の音というのは、笛(日本製のヤマト笛)・篳篥(中国渡来の竹の笛)だが、いつも聞きたいのは、琵琶・和琴だな。

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[古文]

17段:山寺にかきこもりて、仏に仕う(つかう)まつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ。

[現代語訳]

山寺に籠もって仏にお勤め(勤行)することは、とりとめも無く、心の濁り(世俗の煩悩)も清まる感じがする。

[古文]

18段:人は、己れをつづまやかにし、奢り(おごり)を退けて、財(たから)を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。

唐土(もろこし)に許由(きょゆう)といひける人は、さらに、身にしたがへる貯へ(たくわえ)もなくて、水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に掬びて(むすびて)ぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。孫晨(そんしん)は、冬の月に衾(ふすま)なくて、藁一束(わらひとたば)ありけるを、夕べにはこれに臥し、朝(あした)には収めけり。

唐土のひとは、これをいみじと思へばこそ、記し止めて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。

[現代語訳]

人は自分を質素にして、奢りたかぶりを退け、財を持たずに、世俗の欲望を貪らないようにすることが、素晴らしいことだ。昔から、賢人が富むのは稀なことである。

唐土(中国)の許由という人物は、自分の身に備えた貯えもろくになくて、水を手に捧げて飲んでいるのを人が見て、「なりひさこ(水筒になるひょうたん)」という物を与えた。ある時、木の枝にひょうたんを掛けていたら、風に吹かれてそれが鳴るので、音がうるさいと捨ててしまった。また、手ですくって水を飲むようになった。どんなに心が涼やかになったことだろうか。孫晨は、冬の月に衾(布団の寝具)がなくて、藁一束だけがそこにあった。夜はこの藁に寝転がって、朝はその藁を片付けた。

中国の人は、こういった質素倹約な生活を素晴らしいと思えばこそ、これを書き残して世に伝えたのだ。しかし、日本の人は、この事績を語りもしなければ伝えもしない。

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