2012年に誕生した安倍晋三政権は、『靖国神社参拝の姿勢,憲法9条の改正と軍事力強化(集団的自衛権の行使),中国・韓国・北朝鮮に対する強硬外交,大東亜戦争を肯定的に解釈する歴史認識,日の丸・君が代の教育現場での強制,国益や社会秩序を重視する基本的人権の制限,日本人であることの誇りの強調』などの特徴から、右派的・右翼的な政権と言われることがあります。
安倍首相は『戦後レジームからの脱却』を主張したり『戦後民主主義・自由の過剰の問題点』を強調するなど、大日本帝国時代の統治体制や滅私奉公の国民教育を肯定的に捉えているという意味での保守反動の側面もあります。『右翼』と『左翼』の違いとは何か:1では、フランス革命の議会の議席の位置から始まる右翼と左翼の政治思想の違いを説明し、ヘーゲルやカール・マルクスの社会哲学・政治思想が右翼と左翼の立場の違いを明確化していった歴史的な経緯について説明しました。
右翼には『国家主義・国粋主義・民族主義・伝統主義(保守主義)・軍国主義』のイメージがありますが、安倍晋三氏をはじめとする保守主義の自民党政権だけではなく、産経新聞・読売新聞・石原慎太郎・小林よしのりなどにも右翼的なイメージが持たれています。
右翼の原義は『保守主義・伝統主義』であり新しい価値観や秩序を否定するという特徴がありますが、日本では右翼というと『個人の自由と権利・憲法9条の平和主義・韓国や中国との友好関係の確立』に否定的な人たちで、『国家全体の秩序と規範・軍事力強化の抑止力による平和維持(威圧の均衡)』が好きな人たちという強面なタカ派のイメージがあります。国益や公の秩序のためには、多少は国民の自由・権利が規制されても仕方がないし(今は個人の自由があまりに認め過ぎられているのでもっと規制しても良いし)、『徴兵制』のような国防に対する義務を課すことは現代であっても問題がないという風に考えている印象もあります。天皇制に対する敬意と存続の意志を持っています。
左翼には『共産主義・社会主義・国際主義・進歩主義(革新思想)・平和主義』のイメージがありますが、共産党・社民党・民主党左派をはじめとして、朝日新聞・毎日新聞・岩波書店・リベラルな知識人(人権派の弁護士・議員など)にも左翼的なイメージが持たれています。
左翼の原義は『急進主義・進歩主義』であり、18世紀に先端的な思想であった自由主義・平等主義・民主主義を広めていこうとする特徴がありますが、日本では左翼というと『個人の自由と権利・憲法9条の平和主義・韓国や中国との友好関係の確立』に肯定的な人たちで、『個人の人権と自由の保護・憲法9条と日米同盟に基づく対話重視の平和維持(普遍的とする非暴力主義)』が好きな人たちという柔和なハト派のイメージがあります。共産主義の暴力革命やテロリズムによる独立闘争を肯定していた過激派の左翼はともかく、リベラル左翼と呼ばれる合法的な左翼は、『国家全体の利益や秩序』よりも『個人の自由と人権』のほうを不可侵と考える印象があります。天皇制に対する敬意と存続の意志も相対的に弱いか、天皇制に反対の共産主義者(コミュニスト)もいます。
『右翼』と『左翼』の価値観(思想的立場)についてのイメージ
『右翼』と『左翼』の多元的な分類基準:田中愛治教授の三次元座標モデル
日本で『右翼』と『左翼』の価値観・思想的立場に対して持たれている一般的なイメージを表にして整理すると以下のようになります。
右翼 | 左翼 |
---|---|
天皇崇拝(君主制,立憲君主制と親和) | 天皇軽視(共和制,社会主義の志向) |
国家主義・国粋主義・民族主義(ナショナリズム) | 共産主義・国際主義(インターナショナリズム) |
保守主義・伝統主義 | 進歩主義・革新主義 |
パターナリズム(君主の神聖化・国親思想) | マルクス主義(史的唯物論・国家廃絶) |
規律・統制による秩序 | 自由・平等による解放 |
日の丸・君が代に敬意 | 日の丸・君が代に反対 |
韓国・中国が嫌い | 韓国・中国に好意的(あるいは中立的) |
大東亜戦争(アジア太平洋戦争)を植民地・民族の解放戦争として評価 | 大東亜戦争(アジア太平洋戦争)を日本のための欧米模倣の侵略戦争として批判 |
規制的な集団主義 | 自由的な個人主義 |
市場原理主義・競争経済 | 経済統制主義・計画経済 |
国境・国家主権(領土)を絶対化・永続化 | 国境・国家主権(領土)を相対化・暫時化 |
ジェンダーフリーに反対,生物学的差異を理由とする男女の役割分担を肯定 | ジェンダーフリーに賛成,ジェンダーによる男女の役割分担を否定 |
軍事力・国防力の強化 | 軍事力に頼らない対話外交・対外交渉を重視 |
憲法9条の改正派 | 憲法9条の維持派 |
暴力の競争と抑止力=リアリズム | 理性の交渉と共感性=イデアリスム |
体制的・権力志向 | 反体制的・草の根志向 |
保守派の与党と親和的 | リベラルな野党と親和的 |
公共の秩序(公)を優先 | 個人の自由(私)を優先 |
感情的・本能的な対応 | 理性的・思考的(理論的)な対応 |
仲間と敵を分ける大衆層と親和的 | 理屈好き(メタレベルの思考好き)なインテリ層と親和的 |
自国の立場と利益を最優先 | 外国の立場と利害にも一定の配慮 |
小さな政府・市場経済の自己責任 | 大きな政府・社会福祉による弱者救済 |
右翼と左翼の程度(レベル)を判断するための尺度とイメージにはさまざまなものがありますが、政治課題が複雑化したり価値観が多様化している現代社会では『右翼と左翼を一直線上に位置づける考え方』が通用しづらい場面も生まれています。また、上に上げた右翼と左翼の一般的なイメージは日本におけるものであり、日本以外の国では左翼の共産主義者(スターリン,毛沢東,金日成)が恐怖政治の独裁政権を樹立したり、南米・アフリカで左翼ゲリラが無差別的なテロ活動を行ったりしたこともあり、『共産主義革命・資本主義社会の転覆』を目的とする左翼のほうが右翼よりも暴力的なタカ派である国・地域が多くあったりしました。
『右翼』と『左翼』の違いとは何か:1に書いたように、左翼の元々の思想は『近代主義思想の価値観における進歩と発展=自由と平等の実現・拡大』にありました。左翼勢力の目的は『右翼の保守主義・旧来の価値観と秩序』に反対してひっくり返すことにあったのですが、『自由(政治権力に支配されない自由)』よりも『平等(経済格差や自由市場経済の否定)』を重視する共産主義者が左翼の主流になってからは、『個人の自由・人権』を拡大するはずの左翼が逆に、経済的な平等(権力による積極的自由)のために『個人の自由・人権』を統制主義的な恐怖政治で抑圧するようになってしまったのです。
マルクス主義の史的唯物論に基づけば、人類の政治体制と歴史過程の進歩を進めようとする勢力、人間の自由と平等をより高いレベルで実現できるようにしようとする思想的立場が『左翼』になるわけですが、旧ソ連の崩壊が起こり共産主義圏の人権抑圧が明らかになるにつれて『歴史・人権(自由と平等)の進歩』を主張するカール・マルクスの史的唯物論は説得力を失いました。人類の社会構造や政治体制、意識が進歩していくというマルクス主義の前提が否定された結果、アメリカのフランシス・フクヤマが指摘する人類の国家社会は現在以上の特別なユートピアにはもう発展しないとする『歴史の終焉』が指摘されるようになりました。
『未来の理想社会』を志向する右翼と左翼のイデオロギー対立の図式が崩れて、『歴史の終焉』が起こってしまうと、もはや右翼なのか左翼なのかという対立は『現実の政治課題・経済問題を解決するための方法や態度』に過ぎないという見方になってきます。人間の意識や自由民主主義・資本主義経済の体制はもう現在以上に大きく進歩することはないという話になると、有権者である国民が『大きな政府による財の再配分・社会福祉』を支持する左寄りになるのか、『小さな政府による競争経済・自己責任』を支持する右寄りになるのかの違いにしか過ぎないという見方がでてくるわけです。
しかし、人間は感情・信念・自衛本能を持つ動物でもあるので、『経済的な自由(右翼)』と『経済的な平等(左翼)』との経済的自由を巡る尺度だけではなくて、『政治的自由・精神的自由(個人の人権)』をどこまで認めるのかという尺度もでてきます。極右の国粋主義者(排外主義者)も極左の共産主義者も、全体主義的な統制によって『個人の自由・人権』を大きく制限したり、『国家全体(共同体全体)の利益・秩序のための個人の自己犠牲,対立する国家との戦争』を容認したりするので、右翼と左翼を極限まで突き詰めればいずれも似たような『ファシズムの集団統制主義』に行き着き個人の自由が無くなってしまうという特徴があります。
日本の政治学者・田中愛治(早稲田大学教授)の『三次元座標モデル』では、『政治的統制(政治的自由度)・経済的統制(経済的自由度)・文化社会的統制(文化社会的自由度)』の3つの強弱の組み合わせによって、その人・集団の『政治思想の特徴・偏り』を三次元の座標軸上に位置づけようとしていて、単純な右翼と左翼の違いをより細かく多元的に分析しようとしている。
田中愛治教授の三次元座標モデルでは、『左右の横軸』に『経済的統制の強弱』を、『上下の縦軸』に『政治的統制の強弱』を、『立体化(三次元化)させる奥行の軸』に『社会文化的統制の強弱』を対応させて、その人物・集団の政治思想の特徴と立場、偏りを明らかにしようとしています。田中愛治教授の二次元座標モデルでは、以下の4つの政治思想の特徴・立場を、『平面図のマトリックスの座標』によって表現することができます。
『経済的統制=最強+政治的統制=最強,マトリックス(座標)の左上』……旧ソ連やナチスドイツ、戦時の大日本帝国のような個人の政治的・経済的な自由が厳しく規制される全体主義(ファシズム)。議会制民主主義や政権交代も否定していく独裁志向。
『経済的統制=強い+政治的統制=弱い,マトリックス(座標)の左下』……議会制民主主義におけるリベラル、社会民主主義の思想であり、EUの労働党・社会党などの左派政党、日本の民主党左派、アメリカの民主党などがこの分類に当てはまる。個人の人権・自由は尊重するが、企業の経済活動・金融投資活動などの経済的自由については一定の制限を加えて、『累進課税・経済規制などによる財の再配分』を行う。
『経済的統制=弱い+政治的統制=強い,マトリックス(座標)の右上』……伝統文化・道徳規範・歴史的正統性などを重視する保守主義、伝統主義の思想であり、日本の自民党右派、アメリカの共和党、EUの宗教政党・自由党などがこの分類に当てはまる。伝統的な文化や慣習、規範を重要視するので、個人の権利・自由に対しては一定の規制を加えがちである。一方で、経済活動の自由を尊重する立場であり、『小さな政府(社会政策・福祉関連の歳出が少ない政府)』を志向しており『増税・規制による財の再配分(弱者救済)』には慎重な立場である。
『経済的統制=最弱+政治的統制=最弱,マトリックス(座標)の右下』……個人の精神的自由と経済的自由を最大限に尊重して、政府の法的規制や伝統的な道徳規範など『個人を拘束する要因すべて』を排除しようとするリバタリアン(自由至上主義)の思想である。リバタリアンは究極の個人主義・自由主義であり、『国家社会のための個人の自由の規制・個人の奉仕の強制』に強く反対し、なんでも自由に行動できる社会を望む。自由な行動選択の結果を『自己責任』として引き受けることに同意する、(政治に期待しないが干渉されたくもないという)強者・自立志向の思想的立場である。
田中愛治教授は上記した4つのマトリックスで表示できる政治思想の特徴・立場だけではなく、『社会文化的統制の強弱』がその個人・集団の政治思想の偏りや要求に大きな影響を与えていると指摘している。社会文化的な統制というのは、帰属する社会集団が『伝統的(歴史的)に維持してきた道徳観・価値観・宗教規範・伝統文化・慣習・職業倫理』などをどこまで統制・強制するかという違いであり、例えば『男女の性別役割分担・一夫多妻制(イスラームの倫理観)・年長者に対する尊敬(長幼の序)・人工妊娠中絶や避妊の禁止(カトリックの倫理観)・同性愛の禁止(キリスト教の倫理観)・売春やポルノ、ドラッグの禁止』などの価値判断に関係しています。
社会文化的な統制は、政治権力ではなく地域社会・宗教信仰・世間体(同調圧力)などによって行われていますが、社会文化的な統制が強い地域・集団・個人ほど『個人の人権・自由のレベル』は低くなり、科学的根拠や合理的理由がなくても原理主義者の多いイスラーム圏のように『豚肉の食事の禁止・婚前交渉の禁止・男尊女卑の価値観への従属』などが行われる頻度が高くなります。ヒンドゥー教徒もまた牛肉を食べることが合理的な理由なく禁じられています。
反対に、社会文化的な統制が弱い地域・集団・個人であるほど、科学的根拠や合理的理由のない行動の禁止ができなくなり、一部の国・地域では『売買春の合法化・毒性の弱いドラッグ(大麻)の解禁・無修正のポルノの解禁・同性愛者の結婚の法的承認・人工妊娠中絶の自由化』などが行われることで、個人の行動や思想を縛る規制・道徳規範がドンドン無くなっているのです。
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