『枕草子』の現代語訳:10

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。

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石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

陪膳(はいぜん)つかうまつる人の、男(をのこ)どもなど召すほどもなく、わたらせ給ひぬ。「御硯の墨すれ」と、仰せらるるに、目は空にて、唯おはしますをのみ見奉れば、ほとど継ぎ目も放ちつべし。白き色紙(しきし)おしたたみて、「これに、ただ今覚えん古き事、一つづつ書け」と仰せらるる。

外(と)に居給へるに、(清少納言)「これは、いかが」と申せば、(伊周)「疾う書きて参らせ給へ。男は言(こと)加へ侍ふべきにもあらず」とて、さし入れ給へり。御硯とりおろして、「とくとく、ただ思ひまはさで、難波津(なにわづ)も何も、ふと覚えん言を」と責めさせ給ふに、などさは臆せしにか、すべて面(おもて)さへ赤みてぞ思ひ乱るるや。

春の歌、花の心など、さ言ふ言ふも、上臈(じょうろう)二つ三つばかり書きて、「これに」とあるに、

年経れば齡(よわい)は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし

という言を、「君をし見れば」と書きなしたる、御覧じくらべて、(宮)「ただこの心どものゆかしかりつるぞ」と、仰せらるるついでに、「円融院の御時に、草子に『歌一つ書け』と仰せられければ、いみじう書きにくう、すまひ申す人々ありけるに、『さらにただ、手のあしさよさ、歌のをりにあはざらむも知らじ』と仰せらるれば、わびて皆書きけるなかに、ただ今の関白殿、三位の中将と聞えける時、

[現代語訳]

お食事の配膳をする係の者が、食膳を下げる男たち(蔵人)を呼ぶ間もなく、帝がもうここにいらっしゃった。中宮定子が「お硯の墨をすりなさい」とおっしゃられたが、私の目は宙に泳いでしまって、ただいらっしゃった帝のお姿ばかり拝見しているので、墨ばさみと墨の継ぎ目をあやうく取り外してしまいそうになった。中宮は白い色紙を折り畳んで、「この色紙に今思い浮かぶ古い昔の歌を、一つずつ書いてみなさい」とおっしゃった。

御簾の外にいる大納言様に、「これはどうしたらよろしいでしょうか」と申すと、伊周大納言は「早く歌を書いて差し上げなさい。男が意見を申し上げる状況でもありませんので」と言って、色紙をこちらに戻してきた。中宮はお硯を突きつけるようにして、「早く早く書いて。何も深く思い悩まずに、難波津でも何でもいいですから、思いついた歌を」と強く要求なさってくるので、どうしたことか臆病になってしまって、もう顔が真っ赤になってしまって頭もパニックになってしまった。

あれこれ迷いつつも、春の歌だとか花(桜)に心を寄せた歌だとかを、上臈の女房たちが二つ三つと書いたが、「ここに」と中宮から色紙を差し出されたので、

年経れば齡(よわい)は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし

という歌を、「君をし見れば」と書き換えてみた。中宮は歌を御覧になって色々と比べて、「私はただお前たち女房の、歌を思いつくかどうかの機知を知りたかっただけなのですよ」とおっしゃられる。そのついでに、「円融院の御代に、帝が草子を差し出されて、『これに歌を一つずつ書け』とおっしゃられたので、とても書きにくく思って、何も書かずに辞退してしまう家臣が多かったが、帝が『全く筆の上手いだとか下手だとかは関係ないし、歌が季節に合っていなくても構わないのだから(気楽に思いつく歌を書きなさい)』と言われるので、みんなが困りながらも書いた歌の中で、今の関白様がまだ三位の中将であった時のことですが、

[古文・原文]

潮の満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふはやわが

といふ歌の末を、『頼むはやわが』と書き給へりけるをなむ、いみじうめでさせ給ひける」など、仰せらるるにも、すずろに汗あゆる心地ぞする。若からむ人は、さもえ書くまじき事のさまにや、などぞ、覚ゆる。例いとよく書く人も、あぢきなう皆つつまれて、書きけがしなどしたるもあり。

古今の草子を御前に置かせ給ひて、歌どもの本を仰せられて、(宮)「これが末、いかに」と問はせ給ふに、すべて夜昼心にかかりておぼゆるもあるが、げによう申し出でられぬは、いかなるぞ。宰相の君ぞ、十ばかり、それも、おぼゆるかは。まいて五つ六つなどは、ただ覚えぬよしをぞ啓すべけれど、「さやは、けにくく、仰せ事を映え(はえ)なうもてなすべき」と、わび口をしがるも、をかし。

知ると申す人なきをば、やがて皆詠み続けて、夾算(きょうさん)せさせ給ふを、「これは知りたることぞかし。など、かく拙くはあるぞ」と、言ひ嘆く。中にも、古今あまた書き写しなどする人は、皆も覚えぬべきことぞかし。

[現代語訳]

潮の満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふはやわが

という恋の歌の終わりを、『頼むはやわが(帝のご恩寵を頼りにしています)』と書き直したのを、帝は非常にお褒めになられたのでした」などとおっしゃられているが、私のほうは冷や汗が出てくるような心地がした。年の若い女房であれば、このように歌を書くことはできなかっただろうと思われる。いつもは綺麗な文字を書く人も、あの場では緊張してしまって、文字を書き損じてしまった人などもいる。

中宮は古今和歌集の本を自分の前にお置きになられて、歌の上の句をおっしゃられては「この歌の下の句は何と言うのか」とご質問になるのだが、いつも昼夜を問わずしっかり覚えているはずの歌が、上手く下の句を思い出せず申し上げられないのはどうしたことか。宰相の君は10個くらいはお答えになられたが、それでも十分に沢山の歌を覚えているとまでは言えない有様だ。まして5つ6つ程度であれば恥ずかしくて、ただ私は歌を全く覚えておりませんと申し上げたほうが良いような気もするが、「それではあんまりだ。ご質問にしっかりと向き合うべきなのに」と言って、みんなが歌を思い出せない自分の不甲斐なさを口惜しがっている姿もおかしいものだ。

下の句を知っている人がいない歌は、そもまま下の句まで読み続けて、中宮は目印となる夾算(きょうさん)を挟まれるが、私たちは「この歌は知っている歌だったのに。どうして、こんなに上手く答えられないのだろうか」などと言って嘆いている。中でも、古今和歌集を沢山何度も書き写している人などは、全部の歌を覚えていそうなものなのだが。

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