『枕草子』の現代語訳:107

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『南ならずは、東の廂の板の、影見ゆばかりなるに~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

186段

南ならずは、東の廂(ひさし)の板の、影見ゆばかりなるに、あざやかなる畳をうち置きて、三尺の几帳のかたびらいと涼しげに見えたるを、おしやれば、ながれて、思ふほどよりも過ぎて立てるに、白き生絹(すずし)のひとへ、紅の袴、宿直物(とのゐもの)には濃き衣のいたうは萎えぬを、すこしひきかけて臥したり。

燈籠(とうろう)に火ともしたる、二間ばかりさりて、簾(す)高う上げて、女房二人ばかり、童女(わらわ)など、長押(なげし)に寄りかかり、また、下(おろ)いたる簾に添ひて臥したるもあり。火取(ひとり)に火深う埋みて(うづみて)、心細げに匂はしたるも、いとのどやかに心にくし。

宵うち過ぐるほどに、忍びやかに門(かど)たたく音のすれば、例の心知りの人来て、けしきばみ、立ち隠し、人まもりて入れたるこそ、さる方にをかしけれ。

かたはらにいとよく鳴る琵琶(びわ)のをかしげなるがあるを、物語のひまひまに、音も立てず、爪弾き(つまびき)にかき鳴らしたるこそ、をかしけれ。

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[現代語訳]

186段

南でなければ東の廂の間の板に、物の影が映るほどに磨いている所に、青色が鮮やかな畳を置いて、傍らにある三尺の几帳のかたびらが、とても涼しげに見えているのを、向こうに押しやると、滑って、思ったよりも遠くに立っている所に、白い生絹の単衣(ひとえ)の下着に、紅の袴、夜着に濃い紫色の着物であまり着慣れていない(くたびれていない)ものを、女が少し羽織って横になっている。

燈籠に火を灯しているが、女の部屋から二間ほど隔てて、簾を高く上げて、女房が二人ほど、それに童女などが、長押(なげし)に寄りかかっていて、また、下ろしている簾に寄り添って横になっている女房もいる。香炉(こうり)に火を深く埋めて、薫物をあるかないかくらいにかすかに匂わしているのも、とてものどやかで気の利いた感じである。

宵を過ぎた頃、忍んで門を叩く音がすると、いつもの事情を知っている女房がやって来て、何か言いたげな感じで、男の姿を立って隠し、周囲の人目から守るようにして女主人の部屋に招き入れたのは、それなりのやり方で面白いものである。

傍らにとてもよく鳴る素晴らしい琵琶があるのを、その男が会話の合間合間に、音も立てずに、爪弾きにかき鳴らしたのは、風情があるものであった。

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[古文・原文]

187段

大路(おおじ)近なる所にて聞けば、車に乗りたる人の、有明のをかしきに、簾上げて、「遊子(ゆうし)なほ残りの月に行く」といふ詩を、声よくて誦(ず)じたるも、をかし。馬にても、さやうの人の行くは、をかし。

さやうの所にて聞くに、泥障(あふり)の音の聞ゆるを、いかなる者ならむと、するわざもうちおきて見るに、あやしの者を見つけたる、いとねたし。

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[現代語訳]

187段

大路の近くにある家で聞くと、車に乗った人が、有明の月の情趣に感じて、簾を上げて、「遊子なお残りの月に行く」という詩を、美しい声で吟じたのも、素晴らしい趣きがあった。馬を乗っている人でも、そういった人が通っていくのは、風情がある。

そのような家で聞くと、泥障(あふり)の泥よけの音が聞こえるので、いったいどんな人なのだろうと、していた仕事も脇に置いて見てみたところ、身分の低い者を見てしまったのは、とても憎たらしい。

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