自然治癒が期待できないトラウマ症状
トラウマに対処するカウンセリング要素
トラウマ(心的外傷)とは、強烈な外傷的体験や深刻な恐怖経験そのものを指すものではなく、その外傷体験によって刻まれた精神症状や不適応の原因となる『心の傷つき』を意味するものです。つまり、自己の人生の歴史の一部として統合することの出来ない『耐え難い苦痛な過去の記憶』であり『認める事の困難な感情の体験』です。
過度の苦痛や恐怖を感じるトラウマの悪影響を緩和しようとして、トラウマを受けた人は『否認(denial)』や『抑圧(repression)』といった自我防衛機制を発動します。しかし、トラウマに関連する記憶や感情を意識領域から排除しようとする防衛機制は不完全なものなので、抑圧されたトラウマ体験の記憶は鮮度を失うことなく無意識領域に存在し続けます。
無意識にあるトラウマの記憶は、何らかの刺激やきっかけによって容易に想起されフラッシュバックなどの脅威や苦痛を伴う精神症状を生み出します。同様に、トラウマに付随する不快や恐怖を感じる情動も、トラウマに関連する状況や人物によって甦り、激しい動悸や苦しい呼吸困難などの身体症状の原因となることがあります。防衛機制である否認や抑圧によって、トラウマの圧倒的な苦痛を一時的に瞬間冷凍して封じ込めることは出来ますが、永遠にそれを抑圧し続けることは出来ません。何らかのトラウマに関係した刺激や類似した状況を契機にして、様々なトラウマ由来の心身症状が反復的・侵入的に起こる恐れがあるのです。
心理内面の異物である衝撃的なトラウマは、『アイデンティティの一貫性』や『精神機能の統合性』を障害して様々な心身症状の原因となり、日常生活を送ることを困難にします。トラウマが原因となって起こる精神症状や心理現象の特徴は『反復性・強迫性・侵入性』にありますが、それらの症状は心的防衛機制が十分に機能しなかった場合やトラウマを思い出させるような状況や刺激に遭遇した場合に生起してきます。
トラウマの一番厄介なところは、適切なカウンセリングや医学的治療を行わない場合には、自然治癒する見込みが殆どないということです。また、抑圧や切り離しなどのアドホック(一時凌ぎ)な防衛機制が一旦機能不全に陥ると、『反復的・強迫的・侵入的にトラウマが再体験され続ける』という継続的な苦痛や不快の問題が持ち上がってきます。
意識的にトラウマを思い出して他人に語ろうとする場合でも、無意識的に強迫観念となった過去の思い出が意識に侵入してくる場合でも、その『反復的な想起の目的』は自分の精神(存在)を圧倒的な苦しみから守ることにあります。それは、『トラウマ体験をした当時の衝撃や絶望を和らげたいとする自己防衛的な目的』であり、非日常的なトラウマ体験を薄めて日常的なショック体験に置き換えたいとする心理反応なのです。
確かに、『トラウマの特徴である反復性』には、トラウマを体験した当初のショック・脅威・恐怖を段階的に少しずつ弱めていく効果があります。トラウマを体験してすぐの猛烈な情動生起は、トラウマを繰り返し想起して擬似的な再体験をすることで、ある種の慣れが生じて恐怖やショックの情動が収まっていきます。トラウマの反復的想起という自律的な曝露法によって、トラウマの衝撃はある程度まで希釈することが可能なのです。
しかし、そのトラウマが余りに苛酷でショックが強すぎた場合には、自己の歴史の一部としてどうしても受け容れられないことがあります。通常の防衛機制ではトラウマ症状が弱まることがなく、病態が更に増悪した場合には、延々と強い恐怖や苦痛を再体験してしまう恐れがあります。その段階まで症状が進行してしまうと、クライアントの心理状態やトラウマの性質・強度を十分に考慮した専門的対応(心理療法・カウンセリング・薬物療法)が必要となってくるでしょう。
欧米においても日本においても、トラウマに対処するための心理療法や精神医療に確立された標準的な方法は未だ存在していません。但し、トラウマに対して有効性や安全性の高い技法として、十分に安定した心理状態で行う曝露療法(エクスポージャー法)や精神分析的洞察を並行させる認知行動療法などがあります。退行催眠を中心的に行う催眠療法やシャピロが開発した指の動きを素早く眼で追わせることによって治療効果を得るEMDRといった心理療法も有効性が確認されています。
過去の耐え難いトラウマ体験を原因として発症したPTSD(心的外傷後ストレス障害)やASD(急性ストレス障害)、解離性障害を改善するカウンセリングの目的は、『トラウマを完全に治癒すること』ではなく、『トラウマの記憶を自我に統合すること』です。トラウマを受けた過去の出来事や問題を完全に無かったことにすることは不可能ですが、トラウマの記憶・感情に対する認知スキーマ(解釈の枠組み)を転換することで不快な各種の精神症状を抑制することが出来ます。
トラウマから受ける悪影響や不利益を完全にゼロにして全く新しい人生を歩み直そうという完全主義は、往々にして、トラウマを克服しようとするこだわりや思い込みを強めて症状を悪化させる恐れがあります。PTSDやASDの問題に対処する際に重要になってくるのは、『トラウマに支配されてしまった不適応な日常生活』からまず離脱することであり、トラウマのイメージや記憶がフラッシュバックしてきても、その苦痛に過度に振り回されて混乱しないようにすることです。
心的外傷体験に関連する『思考・感情・行動・感覚の再体験』を強迫的に繰り返す生活習慣からの離脱を段階的に進めていくことが、PTSDのカウンセリングの当面の目標となります。ある程度、不安や恐怖の感情が和らいで精神状態が安定してくれば、系統的脱感作や曝露療法といった行動療法を行って、PTSDに特有の感情麻痺や回避行動(トラウマに関連する状況や人物を避ける行動)を修正していくことが出来ます。最終的には、今まで抑圧して直視しないようにしてきた『異物としての外傷記憶』を、自分の過去の一部として受容し『自我の歴史性(アイデンティティ)』に統合することを目指します。
それまで自分の人生に強力無比な『負の影響力』を振るってきた特殊なトラウマ(排除すべき異物)を、情緒的に理解可能な『過去の記憶の一部(特殊性を奪われた過去)』として受容することで、『肯定的な自己認知』を形成するきっかけを掴むことが出来ます。『過去のトラウマ』の再体験(フラッシュバック)が何度起こっても、『現在の私』には致命的なダメージ(破滅的なパニック)を与えることは出来ないのです。『過去のトラウマの影響』で『現在の自分の人生(人間関係)』がダメになってしまうという間違った因果関係の認知を修正できる状態にまでカウンセリングが進めば、PTSDから受ける精神的苦痛と社会的不利益を最小限に抑えられるのです。
非日常的なトラウマが日常的な自己アイデンティティに統合されていく過程を『3つのR』という概念で表すことがあります。3つのRとは、『再体験(Reexperience)・解放(Release)・再統合(Reintegration)』のことであり、異物であり特殊な体験であるトラウマを、日常的な過去の記憶の一部として同化していく段階的な過程を示しています。過去のトラウマを反復的に再体験(Reexperience)して、それに伴って生起するリアルなありのままの感覚・感情・記憶を解放(Release)することで気分を安定させ、最終的には自己の意識的な自我や歴史性の中にトラウマが再統合(Reintegration)されていくことになります。過去から現在へと続く自然な時間の連続性を取り戻し、一貫性と安定性のある自己アイデンティティを再構築することで、トラウマに対処するカウンセリングは大きな臨床効果を発揮するのです。
アメリカの心理学者ブラウン(Braun)は、トラウマが原因となって発症するPTSDの治療で、不自然な断絶のない『時間的な連続性』を取り戻すことが大切だと考え、行動(Behavior)・感情(Affect)・感覚(Sensation)・知識(Knowledge)の時間的な連続性を回復させようとする『BASKモデル』を提示しました。トラウマに対処するカウンセリングでは、外傷体験によって断絶(分断)された『自然な時間的・空間的な連続性』を回復することが自我アイデンティティの再統合を促進する治療効果につながってきますが、以下の4つのカウンセリング要素を意識することでより実践的な有用性のあるカウンセリングを行うことが出来ます。
PTSDやASDに対処できる具体的な心理療法(認知行動療法)やカウンセリングの内容については、別のウェブページで解説をします。
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