ナラティブ・セラピーを応用したトラウマの心理療法

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PTSDの不安症状やパニック反応への“危機介入”アプローチ
トラウマに対するナラティブ・セラピー

PTSDの不安症状やパニック反応への“危機介入”アプローチ

『トラウマに対処するカウンセリング要素』の項目で書いたように、トラウマを抱えているPTSDのクライエントに認知行動療法的なアプローチをする場合には、まず『精神状態の安定性』を回復することを優先します。過去の耐え難い苦痛な記憶や衝撃的な感情をトラウマ(心的外傷)として抱え込んでいるクライエントは、多くの場合、情緒的に混乱して精神が疲憊しているので不安定な状態にあります。

事件・事故・犯罪・災害・虐待などでトラウマティックな体験をした直後に、人は急性ストレス反応を起こして現実検討力が低下するパニック状態に陥ります。急性ストレス反応では一時的に交感神経が過度に興奮する自律神経失調症となり、激しい動悸やめまいがしたり、大量の冷や汗をかいて喉がカラカラに渇き呼吸が苦しくなったりします。

急性ストレス反応ではパニック障害に類似した生理学的症状を示し、精神症状としては非常に強い恐怖感と不安感、混乱を感じています。自分が何をすべきか分からず周囲の状況も的確に把握できない『パニック状態』と耐え難い衝撃的な苦痛や恐怖を感じる『ショック状態』が長期的に遷延すると、トラウマの記憶(情動)が強迫的に再現されるASD(Acute Stress Disorder)PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)といった精神疾患へ発展していきます。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは、過去のトラウマの悪影響による心身症状が慢性的に長期化する経過を辿る精神疾患であり、トラウマによって形成される恐怖を中核とする情緒障害や環境不適応が4週間以内に消失すればASD(急性ストレス障害)と診断されます。過去の悲惨で苦痛な体験によってトラウマを受けた人は、『否認(denial)』『抑圧(repression)』『切り離し(separation)』といった適応性の低い自我防衛機制を発動します。その結果、トラウマに関連する記憶や感情は無意識領域に抑圧されて、各種の精神症状(パニック反応・不安症状)や身体症状(自律神経失調症)の原因になってしまいます。

有効なカウンセリングを展開する為には、まずPTSDに特有の『危機的な情緒の不安定』『不快な生理学的症状』を改善していく必要があるので、セルフモニタリング(自己の認知・思考・感情の観察)を指導して『危機介入(crisis-intervention)』的なアプローチを行っていきます。PTSDのクライエントに対するカウンセリングの初期に実施する危機介入では、『不安定な感情』の内容とそれが生起する状況をセルフモニタリングして、強烈な破壊力を持つ感情(怒り・悲哀・恐怖・憎悪・抑うつ)が何に由来しているのかを話し合いの中で特定していきます。

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危機介入によって抑止すべき事態とは、自我が激しい感情に圧倒されて自己制御を失ってしまう事態であり、危機介入によって達成すべき差し当たっての目標とは『感情を安定化させる自我機能の強化』です。過去の衝撃的なトラウマ体験は、『激しい怒り・深刻な悲哀・絶望的な抑うつ・消え難い憎悪』などを生起しますが、そういった生々しい情動は人間に強い不安(不快感)を与えるので、自我防衛機制によって次第に抑圧・否認されていきます。こういった抑圧や否認の防衛機制が過度に働き過ぎると、感情鈍磨や感情麻痺、解離性健忘(記憶障害)、転換性障害(転換ヒステリー)といった症状が発現してきます。かつて経験したトラウマの記憶や情動が抑圧されて意識化(言語化)できなくなっても、その有害なトラウマの影響力(侵入性・反復性・強迫性)が消失したわけではないので、PTSDの主要症状をはじめとする各種の心身症状が発生してくるのです。

トラウマの影響で感情的な混乱を起こしているクライエントは、『現在感じている感情』の原因帰属を誤ることが多いので、外部の出来事や人物と内部の不快な感情(怒りや恐怖)を間違って結びつけることがあります。つまり、『トラウマに付随した情動(怒り・不安・恐怖・憎悪)』の本当の原因を直視することが出来ないので、本来無関係な原因とトラウマティックな情動を結びつけてしまい、フラッシュバックや強烈な恐怖感などの症状を引き起こしてしまうのです。無意識に抑圧された激しい情動は発散することが難しく、適切な洞察に基づく言語化が出来ないと『暴力的な攻撃性・自滅的な行動選択・共感不能な怒り』へ転換されてしまいます。その結果、トラウマとは無関係な他人の言動に突然激怒したり、トラウマと関連性のない外部の刺激に対してパニック反応を起こしたりします。

トラウマと関連した情動(怒り・憎悪・恐怖)の不適切な表出や攻撃的な言動をコントロールする為には、『感情の内容・原因・意味』を洞察(特定)して言語化する必要があります。認知行動療法を応用したトラウマへの危機介入(crisis-intervention)では、まず、自分の『現在の感情状態』を正確に洞察する為に、生活行動記録を取るセルフモニタリング(自己観察)の練習をしていきます。セルフモニタリングによって自分の感情状態と感情が生起する原因、感情の持つ意味(認知傾向との関連性)、感情の発散の方法が分かってくれば、『原因帰属の誤謬(無関係な刺激や人物を引き金とする心身症状とパニック)』を正しく修正して自己の感情を適切にセルフコントロールすることが出来るようになってきます。

感情を安定させる危機介入では、認知行動療法による感情のセルフコントロールと心理教育(psycho-education)による安心感の強化が行われます。この段階で、トラウマの反復的な侵入とトラウマ状況の強迫的な再現が消失すれば、これ以上の本格的な認知行動療法の実施継続は必要ないと考えることが出来ます。特に、PTSDにまで発展しない急性ストレス障害(ASD)であれば、感情をセルフコントロールする認知行動療法の練習をすることで、日常生活を支障なく送る為の適応能力を回復することが出来ます。過去のトラウマの作用によって現在の心理状態や生活状況(対人関係)が侵害されなくなり、『トラウマティックな出来事』を自分の過去の時間軸の中に位置づけられればとりあえずカウンセリングの終了が近づいたと言えます。

トラウマに対するナラティブ・セラピー

上記した認知行動療法を応用した危機介入で十分な効果を得られない場合には、不安定な感情状態と不適応なトラウマの再現が続き、急性ストレス反応は次第に慢性化してPTSD(心的外傷後ストレス障害)へと増悪していきます。PTSDの病態の最大の特徴は『永遠に繰り返されるトラウマの過去』のフラッシュバックとトラウマ状況の再現によって、現在と未来の自分の人生(自我)が支配され続けることにあります。PTSDで突然襲い掛かってくるフラッシュバックでは、過去のトラウマ体験によって植え付けられた不快な感情が反復的に侵入する苦痛があり、PTSDによって受ける社会的・精神的な不利益としては、過去のトラウマティックな人間関係を繰り返し再現してしまう問題があります。

トラウマの記憶にまつわる激しい情動と不適応な認知が長期的に維持されて、PTSDが発症した場合にはトラウマの悪影響を低下させる『物語化(ナラティブ・セラピー)』のプロセスが有効になってきます。物語療法とも呼ばれるナラティブ・セラピー(narrative therapy)とは、自己の人生の全体や一部を主体的に語ることで『可能的な主観的世界』を構成しようとする技法です。人間主体が自分の人生や世界を物語ることによって立ち上がってくるナラティブな世界観は、論理実証主義に基づく科学的な世界観の対極にあるものであり、『客観的な事実の発見』よりも『主観的な意味の創出』を重視するものです。

ナラティブ・セラピーでは、人間の認知や知覚から独立して存在する『普遍的な真理・客観的な事実・絶対的な価値』を否定することで、『個別的な真理・主観的な事実・相対的な価値』を“私の言葉”によって創造しようとします。つまり、人生を生きる意味や私が存在する価値を探求するナラティブな心理療法(カウンセリング)では、自然科学による『事象の法則化』ではなく自分の言葉による『現実の物語化』によって、自分固有の意味や価値を創り出していくことになります。ナラティブな心理臨床では、私たちが生きる『世界』は自分の認知から独立してあるものではなく、私たちが見ている『現実』は自分の認知から生み出されたものだと考えます。ナラティブな社会構築主義によって、『現実世界の価値』を自分の認知で創出しようとする能動的な生き方を身に付けることが出来ますが、このナラティブ・セラピーをトラウマの心理療法に応用する場合には『トラウマ体験の肯定的な物語化』が必要になってきます。

抑圧され隔離されたトラウマティックな記憶は、『現在の意識や経験』との連続性と整合性を失っており完全に断片化されています。断片化された過去のトラウマ記憶はPTSDの主要な原因となりますが、『現在の自己との関係性』や『現在の症状との因果性』が不明になってしまっている為、具体的にどういった記憶や情動がPTSDの原因になっているのかを特定することが出来ません。バラバラに断片化されたトラウマ記憶は、自己の人生の一部として物語化されていないので、『脈絡のない視覚的イメージ(フラッシュバック)の苦痛』を引き起こしたり『転換性障害・身体表現性障害の身体症状』を発症させたりします。

現在の自己との連続性・因果性を失った『断片化されたトラウマ記憶』は、恐怖・怒り・悲哀・憎悪といった強烈な情動と一緒に精神内界へと繰り返し侵入してきます。しかし、その情動(感情)には『主観的な意味』『合理的な原因』が伴っていないので、PTSDのクライエントには、何故、自分にそのような不快な感情やイメージが襲い掛かってくるのか理解することが出来ません。自我の内面に強迫的に侵入してくる圧倒的な視覚イメージと脅威的な感情体験を消去するためには、トラウマ体験の断片化された記憶を『統合的な過去の物語』として言語化していかなければなりません。 トラウマの悪影響を除去する効果のある『統合的な過去の物語』とは、自分の人生の一貫した連続性を再構築しようとするナラティブな態度によって生み出される物語です。

苦痛を伴うトラウマの再体験と過去と現在の出来事をつなげる言語化によって、PTSDの中核症状を生み出す『断片化されたトラウマ』が現在の自分の人生へと統合されていき、具体的な時間的・空間的位置づけを持つようになります。トラウマティックな過去の記憶・情動も含めた自分の人生の全体をナラティブに物語っていくことで、『断片化された無意味なトラウマ』『統合化された物語的な記憶』へと治療的な変容を遂げていきます。物語化の作業によって過去のショッキングなトラウマの記憶を『連続的な人生の物語の一部』とすること、そして、適応的な『新たな現実解釈』を意欲的な言語化の作業で生み出すこと、これがナラティブ・セラピーを応用したトラウマの心理療法の作用機序となります。

自分の人生の時間的・空間的な連続性を、自分の言葉で生産的に整理統合していき、自分の人生に固有の意味・価値を、主観的な物語の中で創造していくことが、ナラティブ・セラピーの基本的な作業です。トラウマによるPTSDの不快な症状を改善する為には、適応的な認知変容を促進する認知療法のエッセンスを取り入れたナラティブな作業のプロセスが有効となります。即ち、『無意味なトラウマ症状』に主観的な意味を見出すことで、トラウマ記憶が再現される脅威が和らぎ、『不合理な感情の混乱』に物語的な理由を与えることで、感情・気分をセルフコントロールできるようになるのです。ナラティブ・セラピーを応用した心理療法では、『反復的・強迫的・侵入的・断片的なトラウマ記憶』を言語化することで転換性障害の身体症状を改善できるだけでなく、治療的に有効な『人生の物語』を語ることで人生の意義を能動的に構築していくことができます。

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