トラウマに対する行動療法(エクスポージャー法)

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ナラティブ・セラピーとエクスポージャー法

『ナラティブ・セラピーを応用したトラウマの心理療法』では、事件・事故・虐待などによって刻まれた苦痛なトラウマ(心的外傷)を、病的な症状として身体化するのではなく言語化することによって改善しようとします。ナラティブ・セラピー(narrative therapy)では、PTSD(心的外傷後ストレス障害)やASD(急性ストレス障害)の原因となっているトラウマティックな過去の記憶を、物語的に意識に統合することで治療します。自分の持っている言葉でトラウマを言語化できない段階では、『圧倒的な感情を伴うトラウマ体験』が反復的に侵入してきて、頭痛やパニック、強い不安など様々な心身症状を引き起こします。

言語化されていないトラウマとは、自分の人生の歴史性に適切に位置づけられていない『断片化された無意味なトラウマ』であり、予測不可能な形で強迫的に意識に侵入してくるトラウマです。普段は、抑圧や否認といった不完全な防衛機制によって何とか無意識領域に追いやっていても、瞬間冷凍されたトラウマは、トラウマに関連する刺激をきっかけにして突然再現される恐れがあります。

強迫的に再現されるトラウマの苦痛を根本的に治療していく為には、『何の体験(感情)が繰り返されているのか・繰り返されていることにどのような意味があるのか・どのように解釈して受け容れるべきなのか』をカウンセラー(臨床家)と共に言語化しながら整理していく作業を行います。トラウマの心理療法における言語化(意識化)の作業の過程では、一時的に感情が不安定になったり症状が悪化したりすることもあるので、クライエントの経過を慎重に観察しながらトラウマの言語化(物語化)を進めていきます。

ナラティブ・セラピーでは、『反復性・侵入性・強迫性を持つトラウマ』を言語化して物語的に受容していくことで、無意味で理不尽だったトラウマ記憶に『主観的な意味』を与えていきます。ナラティブ・セラピーの臨床的な治療効果は、繰り返し意識に浮かび上がってくる無意味なトラウマに『主観的な物語の意味』を与えてトラウマの影響力を弱めることによって生まれます。

強烈な恐怖を伴う不合理なトラウマに『合理的な感情の原因』を見つけることで、断片化された異物としてのトラウマが自己の人生の一部として統合されるのです。非日常的で圧倒的な支配力を持ったトラウマを、自分の過去の歴史の一部として受容することで、支配力の弱い日常的な過去へと再解釈していきます。

ここでは、大人のトラウマ問題に対応する行動療法(エクスポージャー法)と認知療法を主眼とするので、子どものトラウマに対する心理療法(プレイセラピー)の詳細は述べませんが、言語機能が未熟な子どもの場合は、粘土細工や絵画彫刻、箱庭などを用いた遊戯でカタルシスを進めていくことがあります。

大人のトラウマ・セラピーの場合には、上記したナラティブ・セラピーと合わせて、行動療法のエクスポージャー法(曝露療法)が行われることがあります。トラウマ体験の記憶に直面させる行動療法では、トラウマを想起させる“関連事象(引き金)”とトラウマが原因となっている“心身症状”とのレスポンデント条件付けを消去することを目的にします。また、繰り返しトラウマ体験を再現して直面化させることで、トラウマとなった出来事の記憶(情動)に対する『意識的な慣れ』を形成していきます。信頼して過去の出来事を打ち明けられるカウンセラーとの協働作業(共感的な対話)を通して、『意識的な慣れ』を経験的に形成することに治療的意義があります。

『トラウマと関連する状況(人物)を見ると、パニック発作の症状が起こる』というようなレスポンデント条件付けを消去したり、『トラウマを思い出させるような感覚刺激(匂いや音)を受けると、強烈な恐怖や吐き気が起こる』というような条件付けを弱めていきます。トラウマに対する行動療法の目的は、『現在の外的刺激』『過去のトラウマ体験』を区別して結びつけないようにすることであり、現在の対人関係や心理状態において『過去の苦痛なトラウマ体験』を再現しないようにすることです。

エクスポージャー(曝露療法)では、過去のトラウマ体験にまつわるイメージ(表象)を用いた系統的脱感作を行って、症状を引き起こすトラウマの影響力を段階的に弱めていきます。エクスポージャー法では、『過去のトラウマ』を『現在の体験』として仮想的に言語化して貰い、トラウマ状況を知覚的・認知的・感情的に思い出してイメージ化・言語化するエクスポージャー法には強い不安や恐怖が伴うので、クライエントが情緒不安定になったりパニック状態を呈す時にはエクスポージャー法を中止して支持的療法へと切り替えます。

クライエントへの十分なインフォームド・コンセントを行って心理状態を確認しながらエクスポージャーを実施することが必要ですが、クライエントの精神状態が不安定な時やストレス耐性が極端に低くなっている時には行動療法は実施すべきではありません。エクスポージャーの途中で、クライエントの感じている恐怖や苦痛が急激に高まり精神的な混乱やパニック発作が起きた時には、思考中止法とリラクセーション技法を用いてクライエントの精神状態を鎮静し安定させます。

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トラウマの再体験(reexperience)から再統合(reintegration)へ

エクスポージャー法では、トラウマ(心的外傷)の原因となった『過去の衝撃的な出来事』を繰り返し想起して言語化することで、『意識的な慣れ』を生み出しトラウマの日常生活への支配力を低下させていきます。しかし、エクスポージャー法で『トラウマの再体験(reexperience)』をするだけでは十分な治療効果を期待できず、過去のトラウマ体験による苦痛と症状を治癒する為には『トラウマの再統合(reintegration)』が必要となってきます。

断片化(fragmentation)されたトラウマの記憶や感情の最大の特徴は、自然な時間の経過によって鮮度が劣化しないということであり、リアリティのある記憶や生々しい強い感情がいつまでも残存することです。精神構造の奥深くに刻み付けられたトラウマは、『部分的・感覚的・断片的な記憶』としてリアリティと鮮度を失わずに長期的に持続しますが、トラウマにまで悪化しない通常の恐怖や不安は、『全体的・物語的・統合的な記憶』へと変質していき次第に意識領域から忘れ去られていきます。

病理的なトラウマとなった出来事の記憶は“部分的(感覚的・断片的)”ですが、例えば、誰かを死傷させるような壮絶な暴行場面を目撃した人物は、『全体的な状況や経緯』を思い出せずに“キラキラと光るナイフ”や“相手を威嚇する怒鳴り声”“許しを請う泣き声”のようなものだけを記憶していることがあります。

その人が耐えられる『ショック耐性(ストレス耐性)』『問題処理能力』の限界を超えたトラウマティックな体験をした場合には、その記憶は全体的なまとまり(統合性)を失って断片化されたバラバラの記憶として瞬間冷凍されます。自我の一貫した記憶体系からトラウマ体験の記憶だけを排除する防衛機制を『隔絶化(compartmentalization)』といいます。この隔絶化が起きると、トラウマ体験は『統合された意識領域』から疎外されて鮮度(リアリティ)が保たれることになります。

通常のショッキングな記憶では、自然な時間経過に従って徐々にその鮮度とリアリティが失われていき、『過去の終わった出来事・既に無害になった記憶』として処理されます。一方、トラウマとなった記憶の場合は幾ら時間が経過しても、断片化(隔絶化)された記憶としてのリアリティや鮮度が薄らぐことはありません。

トラウマ性記憶の特徴は、時間経過によって悪影響の度合いが弱まらないことであり、イメージ・匂い・音声・味覚といった感覚的な部分的記憶がいつまでも残り続けることです。エクスポージャー法をより有効に実施する為には、トラウマ体験のイメージ化・言語化による再体験(reexperience)だけでなく、部分的(感覚的)な断片化されたトラウマ体験を自己の人生の一部に組み込んでいく再統合(reintegration)を行っていきます。

苦痛で不快なトラウマ体験を自己の歴史性の一部として再統合する為に、『自分はトラウマ事態に対して何も抵抗できず無力である』という学習性無力感(learned helplessness)を克服する認知療法(cognitive therapy)を粘り強く行ったり、圧倒的な恐怖感や絶望感を他者と共有することで緩和するグループエンカウンター(集団精神療法)を実施したりします。

認知療法では、『自分はどのような努力をしてもトラウマの過去から逃れられない』という自己否定的な認知を、『トラウマの過去の解釈を工夫して自己の人生の一部に統合することでトラウマは無力化できる』という自己肯定的な認知へと転換することを目指し、『このままでは自分の人生は破滅してしまう・トラウマの圧倒的な恐怖によるパニックから永遠に脱け出せない』という非合理的な信念(irrational belief)を修正します。

どんなに自我を圧倒する強烈な無力感であっても、永続的にその無力な状況が繰り返されるわけではなく、自分自身の精神の発達や能力の成長によって『無力感に覆われた状況』を良い方向へ変化させていくことが可能になります。どんなに改善不可能に見える絶望的な状況でも、周囲の人たちの援助や自分自身の努力によって『絶望感に満ちた状況』を希望の兆しの見える方向へ変化させることが出来るのです。

過去のトラウマによる影響は『圧倒的な無力感』と『絶望的な恐怖感』を強化して、『自己嫌悪的・他者否定的・将来悲観的』な認知の歪みを引き起こしますが、認知療法的なアプローチによって肯定的な方向に認知傾向を修正し、ナラティブセラピーのアプローチによって断片化された記憶の再統合を促進していきます。最終的には、ナイフのきらめきや血のイメージ、物が焼ける臭いといった感覚化された『部分的(断片的)な記憶の統合』を推し進めるのと並行して、「非常につらくて悲惨な経験をしたがあの経験は自分の終わった過去の出来事に過ぎないし、現在の自分の生活・心理には影響を与えることはない」という『物語的(エピソード的)な記憶の統合』を実現することを目標にしていきます。

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