孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の子罕篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の子罕篇は、以下の3つのページによって解説されています。
[白文]21.子謂顔淵曰、惜乎、吾見其進也、未見其止也。
[書き下し文]子、顔淵を謂いて曰く、惜しいかな、吾その進むを見たるも、未だその止むを見ざりき。
[口語訳]先生が顔淵を評価して言われた。『惜しい人物を亡くしてしまったものだ。私は顔淵の学問の日々の進歩を見ていたが、その学問が停滞しているのを見たことがなかった。』
[解説]『学問第一』として孔子の門下の中でも鮮やかな異才を放っていた顔淵だったが、孔子の掛けていた期待も虚しくその天命が尽きて若くして病死してしまった。この章句のように孔子が顔淵の若死にを悼んで嘆いている部分は多く存在している。
[白文]22.子曰、苗而不秀者有矣夫、秀而不実者有矣夫。
[書き下し文]子曰く、苗にして秀でざるものあり、秀でて実らざるものあり。
[口語訳]先生が言われた。『苗を植えても成長して穂がでないものがあるし、成長して穂が出ているのに実がならないものもある。』
[解説]才気溢れる若者の将来を予測することは難しく、最終的に学問の道を大成させて有意義な人生を送ることは更に難しい。孔子は、早熟型の天才もいれば晩成型の秀才もいることを熟知しており、教育活動によって人間の才能や能力を開発させることに情熱を傾けていた。
[白文]23.子曰、後生可畏也、焉知来者之不如今也、四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已矣。
[書き下し文]子曰く、後生畏るべし。焉んぞ(いずくんぞ)来者(らいしゃ)の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆることなきは、これ亦畏るるに足らざるのみなり。
[口語訳]先生が言われた。『若者達は恐るべき存在である。これから出てくる人材がどうして自分たちに及ばないと言えるだろうか?四十歳・五十歳になって世間に名声が聞こえないようでは、これはまた恐れるに足りないというだけだ。』
[解説]孔子は『最近の若者はつまらない』というようなありふれた若者批判などには目もくれず、自分より後に生まれてくる者はきっと自分よりも優れた人材になるだろうというある種の確信を持っていた。その信念を持って力強く弟子たちに語った言葉が『後生畏るべし』であり、新しい世代の若者たちの可能性に非常に大きな期待と畏敬を持っていたことが窺われる。反対に、余りに大器晩成型の人材は恐れる必要はないと語っているのであるが、これは四十歳や五十歳になって一切の功績や結果を残せていないというのも、また問題であると若者をたしなめていると解釈できる。若者は社会における成長や功績を焦る必要はないが、一定の年齢段階である程度の結果が残せるように頑張ったほうが良いという現実的な教えでもある。
[白文]24.子曰、法語之言、能無従乎、改之為貴、巽与之言、能無説乎、繹之為貴、悦而不繹、従而不改、吾末如之何也已矣。
[書き下し文]子曰く、法語の言は、能く従うことなからんや。これを改むるを貴しと為す。巽与(そんよ)の言は、能く悦ぶなからんや。これを繹ぬる(たずぬる)を貴しと為す。悦びて繹ねず、従いて改めざるときは、吾これを如何(いかん)ともする末き(なき)のみ。
[口語訳]先生が言われた。『古典の格言を用いた助言は、これに従わない者はいないだろう。しかし、その格言から本当に行動を改められるということが大切なのである。優しい言葉であれば、誰でもそれを喜んで受け容れるだろう。しかし、その本当の意味を尋ねてみることが大切である。喜んで受け容れながらその意味を尋ねない者、表面的に言葉に従いながら実際の行動を改めない者は、私にもどうしようも手の下しようがないのである。』
[解説]孔子は伝統主義者で古典の教説を重視したが、『表面的な言葉(教え)の受容』だけではなく、『言葉の意味の理解』と『実際の行動の改善』のほうがより大切であるとした。うわべだけ理解したような態度をとっていても、実際の行動や態度に何の変化もなければそれは本当に古典や徳性を理解したことにはならないのである。
[白文]25.子曰、主忠信、毋友不如己者、過則勿憚改。
[書き下し文]子曰く、忠信に主しみ(したしみ)、己に如かざる者を友とすることなかれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
[口語訳]先生が言われた。『忠義と誠実さがある人と親密にして、自分に及ばないものと友人にならないように。過ちがあれば、それを改めることに躊躇ってはいけない。』
[解説]孔子は有徳者である『君子との交流』を勧め、自分の徳や礼を損なってしまうような『悪友との交流』から遠ざかることを説いた。
[白文]26.子曰、三軍可奪帥也、匹夫不可奪志也。
[書き下し文]子曰く、三軍も帥(すい)を奪うべきなり。匹夫も志を奪うべからざるなり。
[口語訳]先生が言われた。『三軍の大軍であっても元帥(大将)を捕縛してその指揮権を奪うことができる。しかし、1人の人民でもその意志を強引に奪い取ることはできない。』
[解説]三軍という大人数の軍隊でも、大将を捕えて指揮権を掌握することはできるが、『絶対に自分の信念や意志を守り通す』と覚悟を決めている一人の無知な人民の意志を奪い取ることは決してできない。このことから、孔子は、人間の精神力や意志力の比類なき強靭さについて示唆したかったのではないかと考えられる。
[白文]27.子曰、衣弊薀袍、与衣狐貉者立而不恥者、其由与、不支不求、何用不臧、子路終身誦之、子曰、是道也、何足以臧。
[書き下し文]子曰く、弊れたる(やぶれたる)薀袍(うんぽう)を衣て(きて)、狐貉(こかく)を衣る者と立ちて恥じざる者は、それ由か。支らず(やぶらず)求めず、何を用ってか(もってか)臧し(よし)とせんや。子路、終身これを誦す(しょうす)。子曰く、是の道や何を以て臧し(よし)とするに足らん。
[口語訳]先生が言われた。『ぼろぼろの綿入れの羽織を着て、狐や狢(むじな)の高級な毛皮を着た人と並んで立っても恥ずかしく思わないのは、子路くらいのものであろう。「他人を妬まず、求めなければ、どうして善人でいられずにいられようか。」という古い詩に子路はふさわしい男だ。』。子路はこの言葉を喜んで、死ぬまでその詩を口にしていた。それを聞いて先生は言われた。『その振る舞いを立派であるが、善の実践はそれだけで十分というわけではない。』
[解説]孔子は、ボロの衣服を着て高価な衣服を着た貴人の前に出ても、まるで卑屈になるところのない子路の豪胆さと誠実さを高く評価していた。並の人間であれば自分の身なりが貧しければ精神も貧しくなってしまうが、子路はどのようなボロを身にまとっていても君子としての気高い精神を捨て去ることがなかったのである。しかし、それに喜び勇んだ子路に対して、孔子は『虚栄心や見栄の体裁を捨て去るだけで善人になれるわけではない』と窘めているのである。
[白文]28.子曰、歳寒、然後知松柏之後彫也。
[書き下し文]子曰く、歳(とし)寒くして、然る後、松柏(しょうはく)の彫む(しぼむ)に後るる(おくるる)を知る。
[口語訳]先生が言われた。『寒さの厳しい年に、初めて松と柏の葉が、他の樹木よりも遅く枯れ落ちることが分かるのだ。』
[解説]自然界の冬の到来に対して最後まで『緑の葉』を枯らさずに守ろうとする松や柏の樹木を、最後まで信念と仁徳を貫く『誠実な弟子』の姿に重ね合わせている。諸侯からの弾圧や差別などに負けず、最後まで孔子のもとを去らなかった弟子たちの信義と誠実に対して、晩年の孔子は冬の寒さに耐える松柏の姿を垣間見たのであろう。
[白文]29.子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
[書き下し文]子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず(おそれず)。
[口語訳]先生が言われた。『知恵のある人は迷わない、仁徳ある人は不安にならない、勇気ある人は恐怖しない。』
[解説]有徳の人物と見なすことができる『知者・仁者・勇者』の特徴を、シンプルに一つの言葉で表現した章句である。
[白文]30.子曰、可与共学、未可与適道、可与適道、未可与立、可与立、未可与権、唐棣之華、偏其反而、豈不爾思、室是遠而、子曰、未之思也、夫何遠之有哉。
[書き下し文]子曰く、与(とも)に共に学ぶべし、未だ与に道に適く(ゆく)べからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべきも未だ与に権る(はかる)べからず。唐棣(とうてい)の華、偏(へん)としてそれ反せり、豈(あに)爾(なんじ)を思わざらんや、室(しつ)これ遠ければなり。子曰く、未だこれを思わざるなり、それ何の遠きことかこれあらん。
[口語訳]先生が言われた。『一緒に同じ学問をしても、一緒に同じ道を行くことができない。一緒に同じ道を行くことができても、一緒に同じ境地に立つことができない。一緒に同じ境地に立つことができても、一緒に同じ目的や利益を求めることができない。当世の詩に「唐棣(とうてい)の華、風にゆらゆらと揺れ、飛び立たんばかりの趣き、主人の居室の遠いことよ」というのがある。』。先生はおっしゃった。『それは、まだ主人を本気で思っているわけではないからだ。もし本気で思っていれば家の遠さなどが何の問題になるだろうか?いや、何の問題にもならない。』
[解説]朋友と一緒に学問をして同じ道を進むことはまだ簡単なことである。更に、同じ精神的な境地に一緒に立とうとすれば困難が生じ、同じ利害を求めて行動しようとすれば朋友と衝突しやすくなってしまう。しかし、孔子はこの朋友の間に起こる利害の対立や葛藤を、『詩歌の中の恋心』になぞらえて、『本当に朋友のことを信じて思っているのであれば』そういった対立(不仲)の問題を解決できるであろうと説いている。
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