孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の憲問(けんもん)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の憲問篇は、以下の5つのページによって解説されています。
[白文]21.子曰、其言之不作(正しい漢字は「りっしんべん」)、則其為之也難、
[書き下し文]子曰く、その言にこれ作じざる(はじざる)ときは、則ちそれこれを為すに難し。
[口語訳]先生が言われた。『自分の語った(現実離れした)気宇壮大な発言を恥ずかしく思わないようでは、その発言内容を実行することは難しい。』
[解説]孔子は巧言令色や大言壮語を嫌い、自分の語った理想や目標に向かって現実的な努力を積み重ねる『有言実行』を重視した。『言うは易し、行うは難し』は古今を貫く普遍的な真理であり、人が大きな物事を成し遂げるには、気宇壮大な発言をした後に実際の行動を起こすことが大切である。
[白文]22.陳成子弑簡公、孔子沐浴而朝、告於哀公曰、陳恒弑其君、請討之、公曰、告夫三子、孔子曰、以吾従大夫之後、不敢不告也、君曰、告夫三子者、之三子告、不可、孔子曰、以吾従大夫之後、不敢不告也、
[書き下し文]陳成子(ちんせいし)、簡公(かんこう)を弑す(しいす)。孔子、沐浴して朝し、哀公に告げて曰く、陳恒(ちんこう)、その君を弑す。請う、これを討たん。公曰く、夫の(かの)三子に告げよ。孔子曰く、吾大夫(たいふ)の後に従えるを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。君曰く、夫の三子者に告げよと。三子に之きて(ゆきて)告ぐ。可かず(きかず)。孔子曰く、吾大夫の後に従えるを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。
[口語訳]陳成子が、斉の簡公を謀反で殺した。孔子は沐浴して身を清めてから朝廷に参内し、魯の哀公に申し上げた。『陳恒が自らの主君を弑逆しました。どうぞ、彼を大義に基づいて征伐してください。』。哀公がお答えになられた。『孟孫・叔孫・季孫の三人に言ってみてくれ。』。孔子は退出するとおっしゃった。『私は大夫(上級官吏)の末席に位置するものなので、大義の遂行について申し上げずにはいられなかった。主君があの三人に話してみてくれと言われた。』。孔子は三人を訪ねて陳恒の討伐について申し上げたが、聞き入れられなかった。孔子は言われた。『私は大夫(上級官吏)の末席に位置するものなので、大義の遂行について申し上げずにはいられなかったのだ。』
[解説]既に70代の高齢に差し掛かっていた孔子が、斉の簡公を弑逆した陳恒に強い義憤を覚え、魯の哀公に陳恒を討伐するように上奏している部分である。しかし、政治の実権を三孫氏に奪われていた哀公は自分の独断で軍事行動を決定することができず、孔子に三孫氏の意見を聞いてみて欲しいと話す。晩年の孔子の、肉体の老いに負けない気概のたくましさと道義心の強さを象徴的に表現した章である。
[白文]23.子路問事君、子曰、勿欺也、而犯之、
[書き下し文]子路、君に事えん(つかえん)ことを問う。子曰く、欺くこと勿かれ。而うしてこれを犯せ。
[口語訳]子路が主君に仕える心得について先生に質問した。先生は言われた。『主君を騙してはいけない。そして、主君に逆らってでも道理に適った正しい意見を言わなければならない。』
[解説]孔子が弟子の子路に、『主君に仕える時の心構え』について教えた章であり、孔子は主君の処罰・叱責を恐れずに自分の信じる正しい道(政治のあり方)を諫言せよと言っている。
[白文]24.子曰、君子上達、小人下達、
[書き下し文]子曰く、君子は上達し、小人は下達(かたつ)す。
[口語訳]先生がおっしゃった。『君子は次第に高度な事柄が分かるようになるが、小人は次第に低俗な事柄が分かるようになる。』
[解説]孔子が、君子と小人の『物事の理解の進み方』の違いについて語った部分であり、君子たるものは『より善きもの・より素晴らしいもの』に向けて理性的な認識力を発揮していくべきだということである。反対に、小人は年齢を重ねるにつれて、『より善きもの(高尚で優れたもの)』に意識が向かわずに、『より悪きもの(低俗で粗野なもの)』へと意識が向かっていってしまうという。
[白文]25.子曰、古之学者為己、今之学者為人、
[書き下し文]子曰く、古(いにしえ)の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。
[口語訳]先生が言われた。『昔の学者は自分のために勉強し、今の学者は人のために勉強をする。』
[解説]孔子が、昔の学者と今の学者の『勉強の目的』の違いについて言及した章であり、今の学者は『人に認められるため(地位と名声を得るため)』に勉強をするとやや批判的な口調で語っている。
[白文]26.遽伯玉使人於孔子、孔子与之坐而問焉、曰夫子何為、対曰、夫子欲寡其過而未能也、使者出、子曰、使乎使乎、
[書き下し文]遽伯玉(きょはくぎょく)、人を孔子に使いせしむ。孔子これに坐を与えて問いて曰く、夫子は何をか為す。対えて曰く、夫子はその過ちを寡なく(すくなく)せんと欲すれども未だ能わざるなり。使者出ず。子曰く、使いなるかな、使いなるかな。
[口語訳]衛の遽伯玉が、孔子に使いを出した。孔子は使いの者を招き入れて座らせ、質問をされた。『あの先生はどうしておられますか。』。使者は答えて申し上げた。『あの先生は過失を少なくしたいと願っておられますが、まだ過失を少なく出来ていません。』。使者が退席した。先生がおっしゃった。『立派な使者であるな、立派な使者であるな。』。
[解説]孔子が衛の賢者として知られる遽伯玉の使者の挙措の素晴らしさを賞賛した章である。自分のところへ来た使者を褒め称えることによって、その使者を自分の家臣から選んだ遽伯玉の眼力と人物の素晴らしさを示している。
[白文]27.子曰、不在其位、不謀其政、
[書き下し文]子曰く、その位に在らざれば、其の政を謀(はか)らず。
[口語訳]先生が言われた。『責任ある地位にいなければ、政治のことを論議すべきではない。』
[解説]論語の『泰伯篇』にも同様の文があるが、孔子は政治的責任のある地位に就くことによって、政治の議論に真実味と影響力が生まれると考えていたのだろう。
[白文]28.曾子曰、君子思不出其位、
[書き下し文]曾子曰く、君子は思うことその位を出でず。
[口語訳]曾子が言われた。『君子はその職務・官位以外のことは考えない。』
[解説]上の政治的責任と議論のテーマと重なっているが、曾子は『職務に対する責任意識の大切さ』について語っており、その意識の高さが君子としての振る舞いにつながると考えていたようである。
[白文]29.子曰、君子恥其言之過其行也、
[書き下し文]子曰く、君子はその言のその行に過ぐるを恥ず。
[口語訳]先生が言われた。『君子は自分の発言が、自分の行為以上のものになることを恥じる。』
[解説]責任感を持って有言実行に励むことを重視した孔子は、『実際にできないこと』を誇大妄想的に語ったり、『現実離れした目的』を大言壮語して傲慢になることを強く恥じた。自分の発言と行動のバランスを適切にとっていくことが、有徳の君子の条件になるとも言えるだろう。
[白文]30.子曰、君子道者三、我無能焉、仁者不憂、知者不惑、勇者不懼、子貢曰、夫子自道也、
[書き下し文]子曰く、君子の道なる者三つ。我能くすることなし。仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず。子貢曰く、夫子自ら道える(いえる)なり。
[口語訳]先生が言われた。『君子の道は三つあるが、私はどれも出来ていない。それは、仁徳ある者は心配しない、知性ある者は惑わない、勇気ある者は恐怖に駆られないというものである。』。子貢が横から申し上げた。『その三つの道は、先生ご自身のことを言っているのですね。』
[解説]孔子が君子たるものの進む道を三つ示して、『自分はどの道も全く歩めていない』と謙遜した。三つの道とは『仁者の道・知者の道・勇者の道』であるが、それを聞いていた弟子の子貢が『それは先生ご自身が、今まで歩んできた道ではないですか』と語ったのである。仁者のように将来を憂慮せず、知者のように選択を迷わず、勇者のように何者も恐れないという君子の道を歩むことは極めて厳しいものであるが、孔子がその三つの道をメルクマール(目印)として、自分の人生を懸命に生き抜こうとしたのは確かではないかと思う。
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