孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の憲問(けんもん)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の憲問篇は、以下の5つのページによって解説されています。
[白文]31.子貢方人、子曰、賜也賢乎哉、夫我則不暇、
[書き下し文]子貢、人を方す(ただす)。子曰く、賜(し)は賢(けん)なるかな。それ我は則ち暇(いとま)あらず。
[口語訳]子貢は、よく人を批判した。先生は言われた。『子貢は賢明であるな、私などは他人を批判しているような暇がないというのに。』
[解説]孔子が批判好きな子貢を婉曲的な皮肉で戒めている章であるが、『憲問篇』は後代の編纂を受けているので、孔子が実際にシニカル(皮肉的・冷笑的)な言い回しを用いたかどうかはわからない部分もある。
[白文]32.子曰、不患人之不己知、患己無能也、
[書き下し文]子曰く、人の己を知らざるを患えず(うれえず)、己の能なきを患えよ。
[口語訳]先生が言われた。『他人が自分を認めてくれないということを心配せず、自分の能力がないことを心配しなさい。』
[解説]『人の己を知らざるを恨まず(患えず)』というのは、軽率な出世主義を戒める『論語』全体を貫くメインテーマの一つであり、孔子は官僚としての出世を焦る弟子達に繰り返しこの発言をしたようである。他人に評価され社会的に有用な地位に就くことも大切だが、孔子はまず自分自身の実力と人格を徹底的に磨いて時機到来を待つように勧めている。
[白文]33.子曰、不逆詐、不億不信、抑亦先覚者、是賢乎、
[書き下し文]子曰く、詐り(いつわり)を逆えず(むかえず)、不信を億らず(おもんぱからず)、抑も(そもそも)亦先ず(まず)覚る者は、これ賢なるか。
[口語訳]先生が言われた。『人から騙されないかと身構えず、嘘を言うのではないかと推測せず、そうでいながら、人よりも先に知る(感じる)ことができる、これ賢者というものではないか。』
[解説]他人の意図や心情に敏感になり過ぎると疑い深くなってしまうが、真の賢者というものは、他人を信頼しながらも先覚者として敏感に物事を知ることができる人のことである。他人から絶対に騙されまいと身構えすぎるとそれによって失ってしまうものも大きくなる。他人への基本的信頼観を維持しながら、物事の変化に対する鋭敏な感覚を養うことが大切なのである。
[白文]34.微生畝謂孔子曰、丘何為是栖栖者与、無乃為佞乎、孔子対曰、非敢為佞也、疾固也、
[書き下し文]微生畝(びせいほ)、孔子に謂いて曰く、丘(きゅう)は何為すれぞ(なんすれぞ)これ栖栖(せいせい)たる者ぞ、乃ち(すなわち)佞(ねい)を為すことなからんや。孔子対えて曰く、敢えて佞を為すに非ざるなり。固なるを疾めば(にくめば)なり。
[口語訳]微生畝が孔子を評して言った。『孔子はどうしてそんなに落ち着きがないのだろうか。もしかして、弁舌の才覚を生かして主君に取り入ろうとしているのではないか。』。先生が言われた。『弁舌で主君に取り入ろうとは思っていません。頑固になることを嫌っているだけです。』。
[解説]微生畝というのが歴史上のどんな人物なのかは分かっていないが、この場面では「丘」と呼び捨てにしていることから、孔子よりも目上の立場の人物だったと推測される。理不尽な誹謗を受けた孔子であったが、『弁舌によって佞臣になろうというような卑俗な意図』はないと簡潔に返答している。
[白文]35.子曰、驥不称其力、称其徳也、
[書き下し文]子曰く、驥(き)はその力を称せず、その徳を称するなり。
[口語訳]先生が言われた。『驥という名馬はその脚力を賞賛されているのではなく、その徳・気品を賞賛されているのである。』
[解説]驥というのは古代中国の象徴的な名馬であり、一日に千里を高速で駆け抜ける驚異的な脚力とスタミナを持っていたという。孔子は、動物である馬にも人間に似た品格や気品を認めていたようである。
[白文]36.或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳、
[書き下し文]或るひと曰く、徳を以て怨に報ぜば何如(いかん)。子曰く、何を以てか徳に報ぜん、直きを以て怨に報じ、徳を以て徳に報ぜよ。
[口語訳]ある人が言った。『徳でもって、怨恨に返したらどうだろうか。』。先生が言われた。『そうなると、徳に何をもって返すのでしょうか。正直・誠実な態度でもって怨恨に返し、徳には徳を持って返すべきでしょう。』
[解説]ある人物が、孔子に怨恨という『負の感情』に対して、人徳という『正の感情』を返せば良いのではないかと質問するが、孔子はそれを明確に拒絶して、怨恨に対峙するには人としての誠実さや正しさしかないと語った。
[白文]37.子曰、莫我知也夫、子貢曰、何為其莫知子也、子曰、不怨天、不尤人、下学而上達、知我者其天乎、
[書き下し文]子曰く、我を知る莫き(なき)かな。子貢曰く、何為れぞそれ子を知る莫きや。子曰く、天をも怨みず、人をも尤めず(とがめず)、下学(かがく)して上達す。我を知る者はそれ天か。
[口語訳]先生が言われた。『私を知るものは誰もいない。』。子貢がそれを聞いて言った。『先生を知るものがいないというのはどうしてですか。』。先生が言われた。『天を恨まず、人もとがめることはない。下は人間社会について学問し、上は天命について学問をする。この私を正確に知るものは、やはり天であるか。』。
[解説]晩年の孔子は、最大の理解者である愛弟子の顔淵を失って悲嘆の淵に深く沈んでいた。自分の学問・思想・理念を根本から理解してくれる人間がこの世にいなくなったことを悲しんだ晩年の孔子が、ふと漏らしたのが『私を知るものはいない』という台詞であった。政治経済といった人間社会の原理から、人間社会の命運を規定する『天』にまで思索の範囲を延長した孔子……最後の最後で、自分のことを正確に理解してくれるのは、人智を超越した普遍の存在である『天』しかないと考えたのであろう。
[白文]38.公伯寮愬子路於季孫、子服景伯以告曰、夫子固有惑志於公伯寮也、吾力猶能肆諸市朝、子曰、道之将行也与、命也、道之将廃也与、命也、公伯寮其如命何、
[書き下し文]公伯寮(こうはくりょう)、子路を季孫(きそん)に愬う(うったう)。子服景伯(しふくけいはく)以て告げて曰く、夫子、固より(もとより)公伯寮に惑える志有り、吾が力、猶(なお)能く諸(これ)を市朝(しちょう)に肆しめん(さらしめん)。子曰く、道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮、それ命を如何せん。
[口語訳]公伯寮が季孫に子路を訴えでた。子服景伯が孔子に告げて言った。『裁判をする季氏は公伯寮に気持ちを惑わされています。しかし、私には、公伯寮を捕縛して市や朝廷の広場で処刑するくらいの実力があります。(どうか私に公伯寮の処分は任せてください)』。先生は言われた。『私の信じる道が実行されるのは天命であり、私の信じる道が廃絶するのもまた天命です。公伯寮ごときが天命をどうできるのでしょうか。(私は人為で変更不可能な天命に従うまでであり、子服景伯殿の心よりの申し出はありがたいのですが、公伯寮への手出しはご無用に願います。)』
[解説]孔子は、魯公以上の権勢を誇っていた孟孫・叔孫・季孫の勢力を削ぐ為の政治改革を行っていたが、主君の専制権力強化のための孔子の政治改革は、公伯寮の季孫への訴えによって頓挫することになる。この孔子と子服景伯とのやり取りは、孔子の君主権を復興する政治改革が失敗する直前のものであり、孔子は子服景伯の強権発動(公伯寮の処刑)の申し出を断った為に、結局、魯国から衛国へと亡命することになるのである。
[白文]39.子曰、賢者避世、其次避地、其次避色、其次避言、子曰、作者七人矣、
[書き下し文]子曰く、賢者は世を避け、その次は地を避け、その次は色を避け、その次は言を避く。子曰く、作す(なす)者七人あり。
[口語訳]先生が言われた。『優れた賢者は世俗から身を避ける。その次に優れた人物は、混乱した地方から遠ざかる。その次の人物は、人の顔色を見て危難があれば避ける。その次の人物は、人の言葉を聞いて危難があれば遠ざかる。』。先生は更におっしゃった。『これが出来た人物は七人いる。』。
[解説]孔子が『賢者の隠棲主義(隠遁主義・逃避思想)』について言及した章であるが、孔子が老荘思想的な『世俗からの隠遁』を肯定的に評価する発言をしているのは極めて珍しい。また、儒教は後年になると道家の思想的影響を受けるようになるので、この発言が孔子自身の言葉であるかは分からない面もある。
[白文]40.子路宿於石門、晨門曰、奚自、子路曰、自孔氏、是知其不可而為之者与、
[書き下し文]子路、石門(せきもん)に宿る、晨門(しんもん)曰く、奚れ(いずれ)自り(より)するか。子路曰く、孔氏自りせり。曰く、これその不可なることを知りて、而もこれを為さんとする者か。
[口語訳]子路が石門に宿泊したときに、門番が言った。『どちらから来ましたか。』。子路は答えた。『孔氏の家から来たのだ。』。門番が言った。『孔子というのは、それ(理想)が不可能であることを知りながらも、そのために行動している人のことですか。』。
[解説]子路が宿泊先で言葉を交わした門番は、儒教(孔子)の現世的な努力に虚しさや無意味を感じており、儒教と対極にある老荘(道家)の思想的影響を受けた人物のようである。門番は、徳治主義によって天下泰平を実現しようと理想に燃える孔子のことを、『それが不可能であると知りながらも、その実現に奔走する者』と評価しているが、これは人間世界のあらゆる理念的な努力に当てはまる批評とも言えるだろう。しかし、人間は不可能な夢や理想を描きながらも、『より善き生と社会の実現』に向けて懸命に努力せずにはいられない志向性を備えているのである。
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