『論語 子張篇』の書き下し文と現代語訳:1

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の子張(しちょう)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の子張篇は、以下の3つのページによって解説されています。

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[白文]1.子張曰、士見危致命、見得思義、祭思敬、喪思哀、其可已矣、

[書き下し文]子張曰く、士危うきを見ては命を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思わば、それ可ならんのみ。

[口語訳]子張が言った。『有徳の士は、危険を見れば命を捧げ、利益を見ればそれが正しい利益か否か考え、祭祀に当たっては敬虔な態度をとり、服喪では死者に悲しみを感じる。これで良いと言えるだろう』。

[解説]子張が抱く『士の人物像』について述べた部分だが、『士』とは主君に忠義をもって仕える有徳な家臣のことを指している。儒学には道徳規範や政治思想としての側面があるが、特に『理想的な仕官のあり方(国家や主君への忠義)』についての言説が多く見られる。

[白文]2.子張曰、執徳不弘、信道不篤、焉能為有、焉能為亡、

[書き下し文]子張曰く、徳を執る(とる)こと弘(ひろ)からず、道を信ずること篤(あつ)からずんば、焉んぞ(いずくんぞ)能く有りと為さん、焉んぞ能く亡し(なし)と為さん。

[口語訳]子張が言った。『徳を守って大きくはなく、道を信じて誠実でなかったら、世に生きても影響がなく、死んでいても影響はないだろう』。

[解説]子張の断定口調の道徳観を示した章で、徳目を守ることの重要性、人道を誠実に踏み行うことの価値を主張している。人としての仁徳や人道を軽視して生きるのであれば、生きていても死んでいても大差ないと語る子張は孔子よりもやや中庸を欠いた激烈さ(気性の激しさ)を持っていた。

[白文]3.子夏之門人問交於子張、子張曰、子夏云何、対曰、子夏曰、可者与之、其不可者距之、子張曰、異乎吾所聞、君子尊賢而容衆、嘉善而矜不能、我之大賢与、於人何所不容、我之不賢与、人将距我、如之何其距人也、

[書き下し文]子夏の門人、交わりを子張に問う。子張曰わく、子夏は何をか云える(いえる)。対えて曰わく、子夏曰わく、可なる者はこれに与(くみ)し、その不可なる者はこれを距め(こばめ)と。子張曰わく、吾が聞ける所に異なり。君子は賢を尊びて衆を容れ(いれ)、善を嘉(よみ)して不能を矜(あわ)れむ、我の大賢ならんか、人に於いて何の容れられざる所あらん。我の不賢ならんか、人将に我を距まんとす。これを如何(いかん)ぞそれ人を距まんや。

[口語訳]子夏の門人が、人との交わりについて子張に尋ねた。子張は答えて言った。『子夏は何と言っているのか?』。子夏の門人はお答えした。『子夏は、善い人と親交を持ち、善くない人は拒絶せよと言っておられます』。子張が言った。『それは私が孔先生から聞いた話とは違う。君子は賢明な人物を尊敬しながら、一方で未熟な大衆を受け容れ、善人を賞賛しながら、善行を行う能力のない者を憐れむものだ。(子夏の意見を参照すると)自分が非常に賢い人物であれば、誰にでも受け容れられる。自分が優れた人間でなければ他人から拒絶されるから、どうして自分から拒絶するようなことがあるだろうか?』

[解説]子夏が『優れた人間と関係を持って、優れていない人間とは関係を持つべきではない』という交流の心構えを語ったところ、それに対して、子張が『その考え方は、孔子の考え方とは違う』と異議申し立てをした章である。子張は、自分が交際すべき相手を選別するのではなく、自分が優れた逸材であれば他人から認められ、そうでなければ他人から拒否されるのだから、わざわざ自分の側から相手を拒否する必要はないと主張した。君子とは、優秀な賢人とも未熟な大衆とも適切な付き合い方のできる柔軟な人物のことを指しているのである。

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[白文]4.子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也、

[書き下し文]子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。

[口語訳]子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである』

[解説]子夏が、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分である。『論語』では、生活に密着した細々な技芸を低く評価して、天下を運営する政治の問題を高く評価する傾向があるが、これは必ずしも現代的な民主主義や勤労道徳の概念にフィットしたものではないだろう。

[白文]5.子夏曰、日知其所亡、月無忘其所能、可謂好学也已矣、

[書き下し文]子夏曰わく、日にその亡き(なき)ところを知り、月にその能く(よく)するところを忘るること無し。学を好むと謂うべきのみ。

[口語訳]子夏が言った。『毎日、まだ自分の知っていないことを知ろうとし、毎月その知った事柄を忘れないようにしておく。これは、学問を好む態度と言えるだろう』。

[解説]子夏が、学問全般に通じる『日々の勉強の大切さ・学習内容の記憶の重要性』の原則について語った章である。

[白文]6.子夏曰、博学而篤志、切問而近思、仁在其中矣、

[書き下し文]子夏曰わく、博く学びて篤く志し、切に問いて近く思う、仁はその中に在り。

[口語訳]子夏が言った。『広く学んでしっかりとした意志を持ち、真剣に質問して身近な問題について考える。そういった行為の中に仁はある』。

[解説]子夏が、真摯な学術探求の姿勢が『仁徳』に行き着くという論理について述べた章であり、博学な知性と堅固な意志、直近の問題への関心の大切さを示唆している。

[白文]7.子夏曰、百工居肆以成其事、君子学以致其道、

[書き下し文]子夏曰わく、百工(ひゃっこう)は肆(し)に居て以てその事を成す。君子、学びて以てその道を致す。

[口語訳]子夏が言った。『職人は店に居て、その仕事を完成させる。君子は学問を行って、究極の道を修める』。

[解説]社会に必要な道具・商品を製作する職人は「労働者階級」として店で働かなければならないが、国家の政治に携わる君子は「知識人階級(読書人階級」として学問の道を誠実に修めていかなければならない。古代社会の封建秩序を支えた身分制のエートス(行動様式)について子夏が述べた部分である。

[白文]8.子夏曰、小人之過也必文、

[書き下し文]子夏曰く、小人の過つ(あやまつ)ときは必ず文る(かざる)。

[口語訳]子夏が言った。『小人が過ちを犯したときには、必ず言葉で誤魔化そうとする』。

[解説]間違いや過失をした時にただちに自分の誤りを認めて、言動を正しくできるというのが孔子の言う君子の徳である。反対に、間違いを犯した時にさまざまな言葉を並べ立てて、自分の責任を不当に逃れようとするのが小人の特徴だと子夏は語っている。

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[白文]9.子夏曰、君子有三変、望之儼然、即之也温、聴其言也厲、

[書き下し文]子夏曰わく、君子に三変(さんぺん)あり。これを望めば儼然(げんぜん)たり、これに即(つ)けば温やか(おだやか)なり、その言を聴けば厲し(はげし)。

[口語訳]子夏が言った。『君子には三つの態度の変化がある。遠くから眺めると厳然としている。近くに寄って見ると穏やかである。その言葉を聴くと厳粛である』。

[解説]子夏が孔子のような君子を理想像と考えて、君子の持つ三つの表情について語った章である。遠くから眺めやる君子はいかめしくて近づき難いが、近寄ってみると穏やかで温和な雰囲気であるというように、君子というものは多面的な容貌と魅力を併せ持った存在なのである。

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