孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の子張(しちょう)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の子張篇は、以下の3つのページによって解説されています。
[白文]10.子夏曰、君子信而後労其民、未信則以為厲己也、信而後諌、未信則以為謗己也、
[書き下し文]子夏曰わく、君子、信ぜられて而して後にその民を労す。未だ信ぜられざれば則ち以て己を厲(や)ましむと為すなり。信ぜられて而して後に諌む(いさむ)。未だ信ぜられざれば則ち以て己を謗る(そしる)と為すなり。
[口語訳]子夏が言った。『君子は人民に信頼されるようになってから、はじめて人民を労働に使役する。信頼されないうちに人民を使役すると、人民は政治が自分達を悩ませるものと思ってしまう。君子は主君の信頼を得てから、はじめて主君に諫言(かんげん)をする。信頼を得ていないのに主君を諌めようとすると、主君は自分を誹謗されていると思ってしまう』。
[解説]人民に労役(夫役)を割り当てて使役しようとする場合には、君子と人民の間に信頼関係が成り立っていないと、人民は政治に不満を覚えて反発するので上手く行かない。同様に、君主と家臣の間に信頼関係が成り立っていなければ、有効な諫言(厳しい助言)をすることができず、君主はまともな指摘であっても聴く耳を持ってくれない恐れがある。
[白文]11.子夏曰、大徳不踰閑、小徳出入可也、
[書き下し文]子夏曰わく、大徳は閑(のり)を踰えず(こえず)。小徳は出入(しゅつにゅう)して可なり。
[口語訳]子夏が言った。『大きな徳は、細かな規制・法律を逸脱してはいけない。小さな徳は、細かな規制を多少踏み越えても大丈夫である』。
[解説]仁や忠孝のような大きな徳については、細かな規制にも従う必要があるが、身近な日常行為に関連する小さな徳については、そこまで細々とした規則に従わなくても大丈夫だということを言っている。子夏は、決められたルールや規則に細々と従うだけの説教好きな教条主義(形式主義)に陥ることを警戒し、大きな徳や道を実践するための「最低限守るべき規則」を意識して自分の行動を判断すれば良いと教えた。
[白文]12.子游曰、子夏之門人小子、当酒掃応対進退則可矣、抑末也、本之則無、如之何、子夏聞之曰、噫、言游過矣、君子之道、孰先伝焉、孰後倦焉、譬諸草木区以別矣、君子之道、焉可誣也、有始有卒者、其唯聖人乎、
[書き下し文]子游曰わく、子夏の門人小子(しょうし)、酒掃(さいそう)応対進退(おうたい・しんたい)に当たりては則ち可なり。抑も(そもそも)末(すえ)なり。本(もと)づくれば則ち無し、これを如何(いかん)。子夏これを聞きて曰わく、噫(ああ)、言游(げんゆう)過てり(あやまてり)。君子の道は孰れ(いずれ)を先に伝え、孰れを後に倦えん(つたえん)。諸(これ)を草木の区して以て別あるに譬う(たとう)べし。君子の道は焉んぞ誣(し)うべけんや。始め有り卒わり(おわり)有る者は、それ唯だ(ただ)聖人か。
[口語訳]子游が言った、『子夏の門下の若者たちは、拭き掃除や客の応対、儀式の動作については優れている。しかし、それらは末梢的なことで、根本的なことは何もできない。これは、どんなものだろうか?』。子夏はそれを伝え聞いて言った。
『ああ、子游は間違っている。君子の道は何を先に教えて何を後に教えるかということである。それは、ちょうど草木の種類によって育て方が違うようなものである。君子の道もどうして同じ教え方をすべての人に押し付けられるだろうか。はじめから終わりまで同じ一つのやり方ができるのは、(君子を越える)聖人だけだろうね(門人の若者に出来るようなことではない)』。
[解説]子游と子夏の学派の対立を象徴的に示す章であり、子游は『子夏の教え方は枝葉末節を優先し過ぎている』と批判し、その批判に対して子夏は『弟子の能力や進歩の度合いに応じて、それぞれに適切な教え方があるのだ』と返している。君子の道をただ一つの体系的な道と考えるのが子游の意見であり、君子の道には段階的なレベルがありそれぞれの力に応じて前進すべきというのが子夏の意見である。
[白文]13.子夏曰、仕而優則学、学而優則仕、
[書き下し文]子夏曰わく、仕えて優なれば則ち学ぶ。学びて優なれば則ち仕う。
[口語訳]子夏が言った。『官吏として主君に仕えて余力があれば学問をする。学問をして余力があれば仕官をする』。
[解説]『学問の道』と『仕官の道』の相互性について子夏が言及した部分であり、それぞれの余力によって学問の真価が発揮され、官吏としての有能性が磨かれることになる。
[白文]14.子游曰、喪致乎哀而止、
[書き下し文]子游曰わく、喪は哀を致して止む(やむ)。
[口語訳]子游が言った。『喪は悲哀の感情を十分に尽くすばかりである』。
[解説]子游が、服喪の儀礼に必ず付随する悲しみの感情について述べた章である。
[白文]15.子游曰、吾友張也、為難能也、然而未仁、
[書き下し文]子游曰わく、吾が友張(ちょう)は、能くし難き(しがたき)を為すなり。然れども未だ仁ならず。
[口語訳]子游が言った。『私の友人の子張は、他人がなかなか出来ないことをやり遂げる。しかし、まだ仁とは言えない』。
[解説]子張は、他人が達成することのできないことをやり遂げることの出来る優秀な人物であったが、子游は子張に仁徳が十分に備わっているとは見ていなかったようである。
[白文]16.曾子曰、堂堂乎張也、難与並為仁矣、
[書き下し文]曾子曰わく、堂堂たるかな張や、与(とも)に並びて仁を為し難し。
[口語訳]曾子が言われた。『堂々としたものだな、子張は。子張と一緒に並んで仁徳を行う事は難しいことだ』。
[解説]子張は、容姿端麗で頭脳明晰な人物であったらしく、曾子の言説によると他の君子が彼と一緒に並んで仁徳を行うことを敬遠していたようである。堂々とした態度と立派な風格を持つ子張の存在感の強さを示した章である。
[白文]17.曾子曰、吾聞諸夫子、人未有自致也者、必也親喪乎、
[書き下し文]曾子曰わく、吾(われ)諸(これ)を夫子(ふうし)に聞けり、人未だ自ら致す者有らず。必ずや親の喪か。
[口語訳]曾子がおっしゃった。『私は先生(孔子)からこのように聞いている。「人間はなかなか自分の真情を発揮することができない、それが発揮できるのは親の喪の時くらいかな」』。
[解説]孔子の死後に儒教教団のリーダー的存在となっていく曾子が、孔子の残した『服喪と真情に関する言葉』について教えている部分である。
[白文]18.曾子曰、吾聞諸夫子、孟荘子之孝也、其他可能也、其不改父之臣与父之政、是難能也、
[書き下し文]曾子曰わく、吾諸(これ)を夫子に聞けり、孟荘子の孝や、その他は能くすべきなり。その父の臣と父の政とを改めざるは、是(これ)能くし難きなり。
[口語訳]曾子が言われた。『私は先生(孔子)からこう聞いている。「孟荘子の親孝行は、他人もそれを出来るけれど、亡くなった父の家臣と政治とを改めずにそれを引き継いだことは、誰にもよく出来ないことである」』。
[解説]曾子が孔子から伝え聞いた『親に対する真の孝行(忠孝)』のあり方について語っている章で、伝統主義者の孔子らしく、父親の政治の方針や家臣の使い方をそのまま変えずに継承することを正しい『孝の道』としている。
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