『論語 子張篇』の書き下し文と現代語訳:3

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の子張(しちょう)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の子張篇は、以下の3つのページによって解説されています。

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[白文]19.孟氏使陽膚為士師、問於曾子、曾子曰、上失其道、民散久矣、如得其情、則哀矜而勿喜、

[書き下し文]孟氏、陽膚(ようふ)をして士師(しし)たらしむ。曾子に問う。曾子曰わく、上(かみ)その道を失いて、民散ずること久し。如し(もし)その情を得れば、則ち哀矜(あいきょう)して喜ぶこと勿かれ(なかれ)。

[口語訳]孟孫氏が、陽膚を司法長官に任命した。曾子が言われた。『上に立つ者が道義を失っている為、人民が長きにわたって離散している(人民が法律を破って規範意識を失っている)。もし犯罪の実情をつかんだときは、彼らに同情すべきであり喜んではいけない。』

[解説]孟孫子が自分で司法長官を選んだ時に、曾子に国の治め方について問いかけた。曾子は、君主や官吏が道義を守って正しく生きれば、人民も自然に法に従うようになり社会が安定するという『徳治主義』の原則を分かりやすく説いている。

[白文]20.子貢曰、紂之不善也、不如是之甚也、是以君子悪居下流、天下之悪皆帰焉、

[書き下し文]子貢曰わく、紂(ちゅう)の不善も、是(か)くの如くこれ甚だしからざるなり。是(ここ)を以て君子は下流に居ることを悪む(にくむ)。天下の悪皆な焉(これ)に帰すればなり。

[口語訳]子貢が言った、『殷の紂王の悪事も、それほどひどいものではなかった。だから、君子は下流に居るのを嫌う。世界の悪事が皆そこに集まってくるからだ』

[解説]子貢は、人民を苦しめた悪逆な暴君の代名詞とされる殷の紂王に注目し、『現実の紂王』と『伝説的な暴君としての紂王』との差異について指摘している。紂王の実際の悪政は、みんなが言っているほどに残酷なものではなかったが、人間は一度悪い評判を集めてしまうと、すべての事績を悪い方向に解釈されてしまうようになってしまうのである。偏見や誤解であっても『悪いレッテル』を貼られると、その人の歴史的評価は極悪なものへと変質してしまう危険がある……だからこそ、君子は悪い噂の標的となる下流(悪意の集積地)に立つことを嫌うのである。

[白文]21.子貢曰、君子之過也、如日月之蝕焉、過也人皆見之、更也人皆仰之、

[書き下し文]子貢曰わく、君子の過ちや、日月の蝕(しょく)するが如し。過つ(あやまつ)や人皆これを見る、更むる(あらたむる)や人皆これを仰ぐ。

[口語訳]子貢が言った、『君子の過失は、日食・月食のようなものである。君子が過ちをすると人民がみんなこれを見ている、その過ちを改めると人々はこれを仰ぎ見るのである(褒め称えるのである)』。

[解説]君子は、過失を隠蔽してしまうのではなく、日食・月食のように一時的に過失をすることはあっても、再びその過失を公開してそれを改めようとするのである。人々の尊敬や感嘆は、全く過失をしないパーフェクトな人に集まるのではなく、過失を素直に認めてそれを改善しようとする人のところに集まる。

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[白文]22.衛公孫朝問於子貢曰、仲尼焉学、子貢曰、文武之道、未墜於地、在人、賢者識其大者、不賢者識其小者、莫不有文武之道焉、夫子焉不学、而亦何常師之有、

[書き下し文]衛の公孫朝(こうそんちょう)、子貢に問いて曰わく、仲尼(ちゅうじ)焉(いずく)にか学べる。子貢曰わく、文武の道、未だ地に墜ちずして人に在り。賢者はその大なる者を識り(しり)、不賢者はその小なる者を識る。文武の道あらざること莫し(なし)。夫子焉にか学ばざらん、而して亦(また)何の常師(じょうし)かこれ有らん。

[口語訳]衛の公孫朝が子貢に尋ねた。『孔先生は、誰から学問の教えを受けたのですか?』。子貢は答えて言った。『周の文王・武王の教えは、地上から完全に消えたのではなく人々の間に残っている。賢者はその中で重要なものを覚えており、賢者でない者はその中で重要ではないものを覚えているものだ。天下のあらゆるところに、文王・武王の教えが存在している。孔先生は、どこででも学問をされており、決まった学問の師というものを持つことがなかった』。

[解説]孔子は特定個人の師匠を持つことはなく、周の礼制や音楽などを理想として掲げながら、世界各地のあらゆる場所で己の知見と徳性を磨いていった。孔子の学問の師は、古代の周王朝の礼楽と文献であり、諸国を遍歴・遊説して出会ったあらゆる人たちである……孔子の人生そのものが『真剣な学びの軌跡』であったといえる。

[白文]23.叔孫武叔語大夫於朝曰、子貢賢於仲尼、子服景伯以告子貢、子貢曰、譬諸宮牆也、賜之牆也及肩、窺(正しい漢字は「もんがまえ」)見室家之好、夫子之牆也数仭、不得其門而入者、不見宗廟之美百官之富、得其門者或寡矣、夫子之云、不亦宜乎、

[書き下し文]叔孫武叔(しゅくそんぶしゅく)、大夫に朝(ちょう)に語りて曰わく、子貢は仲尼より賢れり(まされり)。子服景伯(しふくけいはく)以て子貢に告ぐ。子貢曰わく、諸(これ)を宮牆(きゅうしょう)に譬う(たとう)れば、賜(し)の牆(かき)や肩に及ぶのみ。室家(しつか)の好きを窺い(うかがい)見るべし。夫子の牆や数仭(すうじん)、その門を得て入らざれば、宗廟の美、百官の富を見ず。その門を得る者或いは寡(すく)なし。夫子の云えるも、亦(また)宜(うべ)ならずや。

[口語訳]叔孫武叔が朝廷で大夫に言った。『子貢は仲尼よりも優れている』。子服景伯はそのことを子貢に知らせると、子貢は言った。『屋敷の塀に例えるなら、私の塀の方はやっと肩までですから、家の中のよいところが覗けます。しかし、先生の塀の高さは10メートル以上もありますから、その門を見つけて中に入るのでなければ、宗廟の立派さや役人たちが勢ぞろいしている様子は見えません。先生の門の中に入った人は少なく、あの方(叔孫)がそう言われるのももっともなのですが、実際にはそうではありません(私は孔先生の境地に全く及びません)』。

[解説]子貢が、自分と孔子の思想家・為政者としての『器の大きさ(格の高さ)』の違いについて、『塀の高さの比喩』を用いて分かりやすく解説した章である。孔子の実際の人格(徳性)や知性の素晴らしさは、孔子の門下に入った人間でないとなかなか理解することができないが、長年孔子のもとで教えを受けた子貢にとっては、自分と孔子の実力を比較されること自体が畏れ多いことでもあったのだろう。

[白文]24.叔孫武叔毀仲尼、子貢曰、無以為也、仲尼不可毀也、他人之賢者丘陵也、猶可踰也、仲尼如日月也、人無得而踰焉、人雖欲自絶也、其何傷於日月乎、多見其不知量也、

[書き下し文]叔孫武叔、仲尼を毀る(そしる)。子貢曰わく、以て為すこと無かれ。仲尼は毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり、猶(なお)踰ゆ(こゆ)べきなり。仲尼は日月なり、得て踰ゆること無し。人自ら絶たんと欲すと雖ども、それ何ぞ日月を傷らん(やぶらん)や。多(まさ)にその量を知らざるを見るなり。

[口語訳]叔孫武叔が仲尼の悪口を言ったので、子貢は言った。『そんな悪口はお止めなさい。仲尼のことを悪くいうことはできません。他の賢者は丘陵のようなもので、越えようと思えば越えられますが、仲尼は日や月のようなもので、越えることなどは出来ません。人間が幾ら絶交しようと思っても、一体、日や月にとって何の問題があるでしょうか。それは、自分の身の程知らずを思い知るだけのことです』。

[解説]子貢のこの言葉は、孔子の死後に段階的に進んでいった『儒教の創始者・孔子の神格化』を暗喩している。

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[白文]25.陳子禽謂子貢曰、子為恭也、仲尼豈賢於子乎、子貢曰、君子一言以為知、一言以為不知、言不可不慎也、夫子之不可及也、猶天之不可階而升也、夫子得邦家者、所謂立之斯立、導之斯行、綏之斯来、動之斯和、其生也栄、其死也哀、如之何其可及也、

[書き下し文]陳子禽(ちんしきん)、子貢に謂いて曰わく、子は恭(きょう)と為すなり。仲尼、豈(あに)子より賢らん(まさらん)や。子貢曰わく、君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎しまざるべからざるなり。夫子の及ぶべからざるや、猶天の階(かい)して升る(のぼる)べからざるがごときなり。夫子にして邦家(ほうか)を得るならば、所謂これを立つれば斯(ここ)に立ち、これを導けば斯に行き、これを綏(やす)んずれば斯に来たり、これを動かせば斯に和らぐ、その生くるや栄え、その死するや哀れむ。これを如何(いかん)ぞそれ及ぶべけんや。

[口語訳]陳子禽が子貢に言った。『あなたは謙遜されているだけなのです。仲尼がどうしてあなたより勝れていると言えるのでしょうか?』。子貢は言った。『君子はただ一言で賢いともされるし、ただ一言で愚かともされる。言葉は慎重に話さなければならない。先生に及びもつかないことは、ちょうど天にはしごをかけても上れないようなものです。先生がもし国家を指導する立場につけば、いわゆる「立たせれば立ち、導けば歩き、安らげれば集まり、励ませば応える」ということです。先生が生きておられれば国家が栄え、先生が死なれれば悲しまれる。どうしてこんな先生に(私ごときが)及ぶことができるのでしょうか?』

[解説]前の章と並んで、『孔子以上の英才である』と賞賛された子貢が、孔子がいかに優れた人物であるか、自分がなぜ孔子にはまるで及ばないのかを答えた部分である。『孔子の神格化』の傾向が顕著に見られる表現が随所に使われており、孔子が生きているだけで国家が富み栄えるというような最上級の賛辞が送られている。

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