『徒然草』の19段~21段の現代語訳

スポンサーリンク

兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の19段~21段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

19段.折節(おりふし)の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。

『もののあはれは秋こそまされ』と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあんめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根(かきねの草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘(はなたちばな)は名にこそ負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思い出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。

『灌仏の比(かんぶつのころ)、祭の比、若葉の、梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ』と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。五月、菖蒲(あやめ)ふく比(ころ)、早苗とる比、水鶏(くいな)の叩くなど、心ぼそからぬかは。六月(みなづき)の比、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるも、あはれなり。六月祓(みなづきばらえ)、またをかし。

七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒(よさむ)になるほど、雁鳴きてくる比、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分(のわき)の朝(あした)こそをかしけれ。言ひつづくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つ(やりすつ)べきものなれば、人の見るべきにもあらず。

さて、冬枯(ふゆがれ)のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀(みぎわ)の草に紅葉の散り止まりて、霜いと白うおける朝、遣水(やりみず)より烟(けぶり)の立つこそをかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日(はつか)余りの空こそ、心ぼそきものなれ。御仏名、荷前の使(のさきのつかい)立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事(くじ)ども繁く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺(ついな)より四方拝(しほうはい)に続くこそ面白けれ。晦日(つもごり)の夜、いたう闇きに、松どもともして、夜半過ぐるまで、人の、門叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて魂祭る(たままつる)わざは、このごろ都にはなきを、東(あずま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとはみえねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路(おおじ)のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。

[現代語訳]

季節の移り変わりこそ、物事にしみじみとした趣きがあるものだ。

『物事の趣きの深さは秋こそ優れている』と人々は言うけれど、それは確かにそうだが、いま一層心を浮き立たせる季節は、春の景色である。鳥の声も事のほか春めいてきて、のどかな日の光に、垣根の草も萌えいずる時期から、やや春は深まり、霞がかってぼんやりとし、桜の花もようやく色づき始める。ちょうど、雨風が続いて、心が休まる暇もなく桜の花の季節が終わってしまう。桜が青葉になっていくまで、ただすべて、花のことのみに心を悩ませられるものだ。花橘は名前こそ桜に負けてはいないが、梅の匂いのほうが思い出されてくる。昔の事を振り返れば、恋しい気持ちになってくるが、山吹の清らかさ、藤のはっきりしない趣き、すべてが捨てがたいものばかりである。

『灌仏会と賀茂神社の祭りの頃の若葉が木の梢に涼しげに茂っている様子は、世の物悲しさや人の恋しさにも勝っている』と人が語るのは、本当にその通りである。五月に、邪気をはらう菖蒲の葉を屋根に葺き(ふき)、早苗を取り込む時期の、水鶏(くいな)が戸を叩くような声は、心細く感じてしまわないだろうか。六月の頃には、貧しい家に夕顔が白く咲いて、蚊遣り火がくすぶっているのもしみじみとしている。六月禊は、また興味深い。

七夕祭はなまめかしさがある。少しずつ夜が寒くなり、雁が鳴いている頃には、萩の下葉は色づくほどで、早稲(わせ)の稲刈りをして干している。取り集めて語りたい事は、秋に多いものだ。また、風が吹く明朝こそ、情緒的な趣きがある。言い続けられていることは、みんな源氏物語・枕草子などで使い古されてるのだが、同じことを、もう一度また言えないという事もないだろう。思ったことを言わないのは腹がふくれるような感じがすることだから、筆に任せながらの他愛のない遊びなので、すぐに破り捨てたほうが良いものである。人に見せるような価値はない。

さて、冬枯れの景色というのも、秋に少しも劣らないものだ。水辺の草に紅葉は散り落ちており、霜がとても白く降りている朝には、庭の小川から湯気立つのが興味深い。年も暮れて、人々が急ぎ合っている時期には、また何となくしみじみとした気持ちになる。もの寂しいと決め込んで見る人もない月は、寒々として澄んでいる。20日あたりの空というのは、心細さ・寂しさを感じるものである。懺悔・滅罪のための仏名会や朝廷の勅使の出発は、趣深くて尊いものである。公の行事が多くて、新春の準備と重なって、行事が行われている様子はとても大変である。

追儺(鬼やらい)の儀式から四方拝へと続く時期が興味深い。晦日の夜はとても暗いのに、松明をともして、夜半が過ぎるまで、人の家の門を叩いて走り回って何事なのだろうか。物々しく罵り合って足を空にぶらりとさせている。明け方から、さすがに静かになってくるが、一年を名残惜しく振り返るのは心細いものだ。亡くなった人の訪れる夜として魂を祭る行事は、最近の都では見なくなったが、日本の東方では、今でも行っている所もある。その魂をお祭りする行事は、とても情趣豊かなものではないだろうか。

このようにして明けていく空の景色は、昨日から変わっているようには見えないが、珍しい感じがする。都の大路の様子は、松を多く植えていて、華やかで気分が晴れやかであり、また趣き深いものである。

スポンサーリンク

[古文]

20段:某(なにがし)とかやいひし世捨人の、『この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき』と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

[現代語訳]

なにがしとかいう世捨て人が、『この俗世に縛り付けられるような物を持っていない身には、ただ空から受ける感動・余韻のみが惜しい』と言ったのだが、本当にそのように思ってしまう。

[古文]

21段:万(よろず)のことは、月見るにこそ、慰むものなれ、ある人の、『月ばかり面白きものはあらじ』と言ひしに、またひとり、『露こそなほあはれなれ』と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。

月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るる水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。『元・湘、日夜、東に流れさる。愁人のために止まること小時もせず』といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。けい康(けいこう)も、『山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ』と言へり。人遠く、水草清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。

[現代語訳]

どんなことがあっても、月さえ眺めていれば、気持ちが慰められるものだ。ある人が、『月ほど面白いものはない』と言えば、また別のひとりが、『露のほうこそ趣きがある』と言って言い争いになったのだが、これも趣深いものだった。良い時期に当たらなければ、それに趣深さがあるとは言えない(あはれと感じる事象には、それを鑑賞するのに最適の時期があるのではないだろうか)。

月・花は言うまでもないが、風も、人の心を興趣へと揺り動かすものである。岩に当たって砕ける清く流れる水の景色は、季節を問わずに素晴らしい。『元・湘(中国の川)は日夜、東に流れ去っていく。愁えている人のために流れを止めることを、少しの間もすることがない』という詩を拝見致しましたが、これは情趣がある。竹林の七賢のけい康も、(『文選』という古典の詩集の中で)『山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ』と言っている。人は遠くに出かけて、水草の清い所をさまよい歩くばかりでは、心が慰められることもないだろう。

スポンサーリンク
Copyright(C) 2004- Es Discovery All Rights Reserved