『竹取物語』の原文・現代語訳5

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『竹取物語』は平安時代(9~10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学であり、子ども向けの童話である『かぐや姫』の原型となっている古典でもあります。『竹取物語』は、『竹取翁の物語』『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。竹から生まれた月の世界の美しいお姫様である“かぐや姫”が人間の世界へとやって来て、次々と魅力的な青年からの求婚を退けるものの、遂には帝(みかど)の目にも留まるという想像力を駆使したファンタジックな作品になっています。

『竹取物語』は作者不詳であり成立年代も不明です。しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。このウェブページでは、『かかるほどに、門を叩きて~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。

参考文献
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫)

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[古文・原文]

かかるほどに、門(かど)を叩きて、『庫持の皇子おはしたり』と告ぐ。『旅の御姿ながらおはしたり』と言へば、逢ひ奉る。皇子のたまはく、『命を捨てて、かの玉の枝持ちて来たる』とて、『かぐや姫に見せ奉り給へ』と言へば、翁持ちて入りたり。この玉の枝に文(ふみ)ぞ付けたりける。

いたづらに身はなしつとも玉の枝を手折らでさらに帰らざらまし

これをもあはれとも見で居るに、竹取の翁走り入りて言はく、『この皇子に申し給ひし蓬莱(ほうらい)の玉の枝を、一つの所あやまたず持ておはしませり。何をもちて、とかく申すべき。旅の御姿ながら、わが御家へも寄り給はずしておはしたり。はやこの皇子にあひ仕うまつり給へ』と言ふに、物も言はで、つらづゑをつきて、いみじく嘆かしげに思ひたり。

この皇子、『今さへなにかと言ふべからず』と言ふままに、縁にはひ上り給ひぬ。翁、ことわりに思ふ。『この国に見えぬ玉の枝なり。この度は、いかでか辞び(いなび)申さむ。人ざまもよき人におはす』など言ひ居たり。

かぐや姫の言ふやう、『親ののたまふことを、ひたぶるに辞び申さむことのいとほしさに』と、取りがたき物を、かくあさましく持て来たることをねたく思ひ、翁は閨(ねや)の内しつらひなどす。

[現代語訳]

そうこうしていると、門を叩いて、『庫持の皇子がいらっしゃった。』と告げてきた。『旅のお姿でいらっしゃる。』と遣いの者が言うので、翁は皇子とお会いした。皇子が言われるには、『命を捨てて、あの玉の枝を持って来ました。』と言って、『かぐや姫にどうぞお見せください。』と言うので、翁は玉の枝を持って奥の部屋に入った。その玉の枝には、手紙が結び付けられていた。

虚しく無意味に我が身が果てたとしても、玉の枝を手折ることができないまま、手ぶらで帰ろうなどとは思いませんでした。

かぐや姫は、この歌を素晴らしい歌だとも思えないでいたが、翁が部屋へと走って来て言うには、『貴女がこの皇子に申しつけた蓬莱の玉の枝を、少しも違わずに持って帰られたのですよ。どうしてこれ以上、とやかく言えるでしょうか。皇子は旅のお姿のままで、ご自分のお屋敷にもお寄りにならずにいらっしゃっている。もはやこの皇子と結婚なさって下さい。』と言う。かぐや姫は物も言わずに、顔に頬杖をついて、とても嘆かわしそうな様子である。

皇子は、『今となっては、もう反対の言葉も言えないはずだ。』と言うとすぐに、縁側に這い上がっていった。翁はもっともだと思う。『この国では見ることが出来ない玉の枝です。今回は、どうしてお断りすることなどできるでしょうか。人柄も良いお方でございますし。』などと言っている。

かぐや姫が言うには、『親の言うことをひたすら拒否し続けるのは申し訳が無い』という気持ちから、手に入らないだろうものを注文したのに、このように意外な物を皇子が持ってきたので苦々しく思っている。翁は二人のために寝室の準備をし始めた。

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[古文・原文]

翁、皇子に申すやう、『いかなる所にか、この木はさぶらひけむ。あやしくうるはしくめでたきものにも』と申す。

皇子答へてのたまはく、『さをととしの二月の十日頃に、難波より船に乗りて、海の中に出でて、行かむ方も知らずおぼえしかど、思ふこと成らで世の中に生きて何かはせむと思ひしかば、ただ空しき風に任せて歩く。命死なば如何はせむ。生きてあらむ限り、かくありきて、蓬莱といふらむ山にあふやと、海に漕ぎ漂い歩きて、我が国の内を離れて歩きまかりしに、ある時は浪に荒れつつ海の底にも入りぬべく、

ある時には風につけて知らぬ国に吹き寄せられて、鬼のやうなるもの出で来て殺さむとしき。ある時には来し方行く末も知らず、海にまぎれむとしき。ある時には糧尽きて、草の根を食ひ物としき。ある時は、言はむ方なくむくつけげなるもの来て、食ひかからむとしき。ある時には、海の貝を採りて命をつぐ。』

[現代語訳]

翁が皇子に、『どのような所に、この木は生えていたのでしょうか。不思議で珍しく美しいものですな。』と尋ねて申し上げた。

皇子が答えて話すには、『三年前の二月十日頃に、難波の港から船に乗って海に出ましたが、進むべき方向も分かりません。しかし、願っていることが成就せずに世の中で生きていても何になるだろうかと思い、ただ空しく吹きすさぶ風に任せて進んだのです。死んで命を失ったらどうしようか。生きている限りはこのまま進んでいけば、いつか蓬莱という山に行き着くだろうと、海で船を漕ぎながら漂い続け、我が国を離れて航海を続けていると、ある時、波が荒れて海底に引きずり込まれそうになりました。

ある時は、風に吹かれて知らない国まで流されてしまい、鬼のような生き物が出てきて殺されかけました。ある時は、今まで来た道もこれから進むべき道も分からなくなり、海に沈んでしまいそうになりました。ある時は食料が尽きてしまい、草の根までも食物にしたのです。ある時は、何とも不気味な怪物が襲いかかってきて、私を食べようとしました。ある時は、貝を取って命をつないだこともあります。』

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