『枕草子』の現代語訳:31

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

46段(終わり)

唐衣(からぎぬ)をただ汗衫(かざみ)の上にうち着て、宿直物(とのいもの)も何も埋もれ(うずもれ)ながらある上におはしまして、陣より出で入る者ども御覽ず。殿上人の、つゆ知らでより来て物言ふなどもあるを、(帝)「けしきな見せそ」とて、笑はせ給ふ。さて、立たせ給ふ。(帝)「二人ながら、いざ」と、仰せらるれど、「今、顔などつくろひたててこそ」とて、まゐらず。

入らせ給ひて後も、なほ、めでたき事どもなど、言ひあはせてゐたるに、南の遣戸のそばの几帳の手のさし出でたるにさはりて、簾(すだれ)の少しあきたるより、黒みたるものの見ゆれば、則隆(のりたか)が居たるなめりとて、見も入れで、なほ異事(ことこと)どもを言ふに、いとよく笑みたる顔のさし出でたるも、なほ則隆なめりとて、見やりたれば、あらぬ顔なり。

あさましと笑ひ騒ぎて、几帳引き直し隠るれば、頭の弁にぞおはしける。見え奉らじとしつるものをと、いとくちをし。もろともに居たる人は、こなたに向きたれば、顔も見えず。

立ち出でて、(行成)「いみじく名残なくも見つるかな」と、のたまへば、(清少納言)「則隆と思ひ侍りつれば、あなづりてぞかし。などかは、見じとのたまふに、さつくづくとは」と言ふに、(行成)「女は寝起き顔なむ、いとよき、と言へば、ある人の局に行きてかいばみして、またもし見えやするとて、来たりつるなり。まだ上のおはしましつる折からあるをば、知らざりける」とて、それより後は、局の簾うちかづきなどし給ふめりき。

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[現代語訳]

46段(終わり)

唐衣をただ汗衫の上から引っ掛けて、夜具も何もかもうず高く積み上げている部屋に帝がいらっしゃって、北の陣を出入りする者たちを御覧になっている。殿上人の中にはそんな状況になっているとは全く知らずに、近寄ってきて話しかけてくる人もいるが、帝は「私たちがここにいるという素振りを見せないようにせよ」と命じられてお笑いになっている。そして、見学がお済みになると立ってお帰りになった。帝は「二人とも、さあ」とおっしゃられるけれど、「今、顔などを化粧で繕っておりますので」などと答えてお供はしなかった。

帝と中宮がお帰りになられた後も、やはりお二人は素晴らしいなどと式部のおもとと話し合っていると、南の開いている遣戸の側の几帳の手が突き出て、簾が少し開いていてそこの部分から黒いものが見えたので、蔵人の橘則隆がいるのだろうと思って、確かめもしないで、やはり何か他の事を話していると、とても笑っている顔が出てきたので、それでもまだ則隆なのだろうと思っていたが、実際に見てみると、則隆ではない違う顔だった。

軽はずみなことをと笑い騒いで、几帳を引き立てて隠れて見てみると、その顔は頭の弁の顔であった。顔はお見せしないでおこうとしていたのに、(偶然に頭の弁と顔を合わせてしまい)とても残念だ。一緒にいた式部のおもとは、こちらを向いていたので、頭の弁からは顔も見えない。

立って姿を現して、「本当に残すところもなく完全にあなたの顔を見てしまったものだな」とおっしゃるので、「蔵人の則隆だと思っていたので、軽々しく考えていました。どうして、見ないと言っていたのにそんなにしっかり御覧になったのですか」と聞くと、「女は寝起きの顔がとても良いものだと人が言うので、ある人の局(部屋)に行って覗き見をして、またもしかしたらあなたの顔も見られるかもしれないと思って、ここに来てしまったのです。まだ帝がいらっしゃった時からここにいたのに、私のことに気づきませんでしたね」と言って、それから後は、私の局の簾をくぐって入っていらっしゃるようだった。

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[古文・原文]

47段

馬は、いと黒きが、ただいささか白き所などある。紫の紋つきたる。蘆毛(葦毛)。薄紅梅の毛にて、髪、尾などいと白き。げに、ゆふかみとも言ひつべし。黒きが、足四つ白きも、いとをかし。

48段

牛は、額はいと小さく白みたるが、腹の下、足、尾の裾などはやがて白き。

[現代語訳]

47段

馬はとても黒くて、ほんの少しだけ白い所がある馬が良い。紫のまだら模様がついている。葦毛の馬。薄紅梅色の毛で、たてがみや尾などが非常に白い馬。本当に、「木綿髪(ゆうかみ)」とでも言える馬である。黒くて、四本の脚が白い馬も、とても面白い。

48段

牛は、額がとても小さくてその部分の色が白く、腹の下や足、尾の先などがすっかり白い牛が良い。

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