7.安倍仲麿 天の原〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。 このウェブページでは、『安倍仲麿の天の原〜〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

安倍仲麿・安倍仲麻呂(あべのなかまろ)

あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも

(唐の長安で)広大な天の空を振り返って仰ぎ見ると、月が出ている。この月は遠い故郷日本の春日にある三笠山に出ていたのと同じ月なのだな。

[解説・注釈]

安倍仲麿・安倍仲麻呂(698頃-770頃)は、遣唐使の留学生として『唐(中国)』に渡って勉学・研究に励み、唐で科挙に合格したという異色の人物である。唐の玄宗皇帝に厚遇されて官僚として王宮に勤めていたのだが、次第に安倍仲麻呂は日本に対する望郷の念が強まっていく。何とか日本に帰国しようとしたが、その度に海が荒れたり船が難破したりするなどして、その悲願を達せられないままに唐で客死するという非業の運命を遂げた。中国名は、『朝衡(ちょうこう)』と言った。

この歌の原歌は『古今和歌集 羇旅(きりょ)』に収載されている406番であり、その長歌の解説には『遣唐使と共に帰国しようとした安倍仲麻呂が、唐の人々から明州の海辺で惜別の宴を開いてもらい、そこで夜になって上がってきた月を見て詠んだ歌』として紹介されている。『異国(唐)の地の月』『故郷(日本)の春日の月』とが同じものであるというイマジネーションを働かせることで、安倍仲麻呂の非常に強い望郷の念、帰国の悲願の思いがしみじみと伝わってくる歌である。当時の遣唐使は、出発する前に春日神社後方にある三笠山で『長旅の安全・無事』を祈願する習慣があったという。

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