十勝岳(とかちだけ, 2077m)

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十勝岳の標高・特徴・歴史

十勝岳の標高は、『2077m』である。登山難易度は、上級者向けの山である。十勝岳のみなら日帰り登山ができる。美瑛岳と十勝岳の縦走なら1泊2日の登山になる。『十勝岳温泉』あるいは『白金温泉』から登ることができるが、十勝岳山頂に立つためには最低でも登りに『約4時間』くらいはかかる。下山まで含めれば『約7~8時間』くらいの行程を計算に入れて、日帰り登山ならできるだけ早い時間に余裕をもって登り始めるべきである。

十勝岳の登山口のアクセスは、JR北海道の『美瑛駅(びえいえき)』か『上富良野駅(かみふらのえき)』が起点となる。十勝岳の登山口までは『美瑛駅から白金温泉までの道北バス(約35分)』か『上富良野駅から十勝岳温泉までの上富良野町営バス(約45分)』である。いずれも運行期間限定で便数も少ない(廃線の恐れもある)、事前の問い合わせをしっかりしておく必要がある。できるだけ時間を節約したいのであれば、美瑛駅からタクシーに乗って、『十勝岳望岳台(930m)』まで登り、雲ノ平経由で十勝岳山頂(登りに約4時間)を目指しても良い。

十勝岳(標高2077m)は火山が多い十勝連峰の主峰であり、大雪山系の西南部を山々の雄大な稜線が走っている。うっすらと残雪を残した十勝岳とその周辺の山々が織り成す景観は、どっしりとした安定感と荘厳な雰囲気を漂わせる美しさがある。十勝連峰は、『オプタテシケ山(2013m)・美瑛富士(1888m)・美瑛岳(2052m)・十勝岳(2077m)・上富良野岳(1893m)・富良野岳(1912m)』などの山々が一直線上につながって重厚感のある美しい連峰を形成しているのである。

十勝岳からは『十勝川・石狩川・空知川の源流』が流れ出ており、そういった豊かな水の流れも十勝連峰の景観に変化のある面白みを加えている。十勝連峰は中腹までアカマツやエゾマツなどの豊かな針葉樹林帯が広がっているが、夏山の針葉樹林の美しい眺めを堪能したいのであれば、十勝岳ではなく美瑛岳の登山コースの途中にある『天然庭園』と呼ばれる樹林帯が素晴らしい眺めになっている。また十勝岳の綺麗な写真を撮影したい人にとっても、十勝岳に直接登るよりも美瑛岳の頂上付近から十勝岳方向を見たほうがベストアングルの写真が撮りやすいと言われている。

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十勝というのはアイヌ語の『トカプチ』が原語で、『乳房のある所・沼の枯れる所・幽霊』などの意味があったとされるが、元々は『十勝岳』ではなく『十勝川』の川のほうを指してトカプチと呼んでいたのだという。

十勝岳は登山にかなりの時間がかかる険しい百名山の一つであるから、途中で計画が狂って時間が足りなくなり日が暮れる恐れが出た時には、無理をせずに『十勝岳避難小屋・上ホロカメットク避難小屋・美瑛富士避難小屋(いずれも無人小屋であるが20人以上収容できる広さがある)』などで一泊してから翌朝に下山したほうが良いだろう。避難小屋がどこにあるのかは、事前にしっかりと地図でチェックしておくことが必要である。

十勝連峰の主峰である十勝岳頂上からの眺めは正に絶景であり、北海道を代表する高山のトムラウシ山や大雪山、富良野岳の山嶺をリアルに観賞することができ、天気に恵まれれば遠景に日高山脈を望むことができる。ただし十勝岳は火山であるため、山頂周辺は過去の火山活動の影響が残っていて荒涼とした雰囲気が漂い、チングルマやエゾルリソウといった高山植物も楽しめる富良野岳などの山頂とは対照的な頂上の場所になっている。

十勝岳登山の拠点となるのは丘陵の町である『美瑛町(びえいちょう)』であるが、厳しい道程の山登りをしない観光客にも人気のスポットであり、ラベンダーやチューリップ、ポピーなどの広大な面積の花畑の美しさでも話題になることが多い。登山をしない家族連れで自然散策に行くのであれば、町に近くて安全な『三愛の丘展望公園』や『新栄の丘展望公園』をのんびり景色を眺めながら歩くのも良いと思う。山の方角に分け入っていけば、秘湯といっても良い十勝岳温泉や白金温泉、吹上温泉といった温泉巡りも楽しむことができる。

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深田久弥の十勝岳への言及

深田久弥は著書『日本百名山』で、十勝岳を『スキーの山』として認識していたと語り、戦前に十勝にスキーに行くには上富良野から馬橇(ばそり)で約4時間もかけて行かなければならなかったのだという。戦後の北海道開発によって、美瑛から白金温泉を経由して噴火口下まで登山バスが通るようになり、そこから頂上まで2時間で登れるようになって非常に便利になったらしい。

『美瑛(びえい)』という地名の由来について、深田久弥は探検家・浮世絵師の松浦武四郎(まつうらたけしろう,1818~1888)が初めてこの土地に来て川の水を飲もうとした時に、アイヌ人から『ピイエ、ピイエ(油ぎっている)』と言われて止められたことに由来しているのだという。活火山の十勝岳に源流を持つ川の水には『硫黄』が混じっていて毒性があったからで、アイヌ人たちは硫黄混入のことを『ピイエ(油ぎった)』と呼んでいたのである。美瑛という美しい言葉の響きを持つ地名の元々の意味が『硫黄混入の汚れた危ない水』だというのはとても意外であった。

美瑛町は1896年(明治29年)に設立された町であるが、初めの漢字表記は『美英』だったものの、『英=イギリス』という意味が嫌われて、国粋主義・排外主義から『美瑛』という漢字表記に変更されたというエピソードも紹介されている。

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十勝連峰の主峰に『十勝岳』という命名がされたのは、明治20年代後半と推測されている。1892年(明治25年)の新聞記事には数年前に登頂した人の話が掲載されており、当時は『オプタテシケ山=複数の山が連なった十勝連峰』といった意味合いで呼ばれることが多かったようである。当時の十勝岳が盛んに噴煙を吹き上げている火山活動の様子についても記述されており、十勝連峰がコニーデ式の活火山であることが伝えられている。

深田は十勝岳の『活火山としての地理的な特徴』を詳しく説明してくれている。昭和の時代が迫っていた1926年(大正15年)5月24日に十勝岳は大噴火を起こしており、長さ28キロにも及ぶ火山噴火による土石流が発生して多くの田畑や人家が飲み込まれて144名にものぼる大勢の死者が出たのだという。1962年(昭和37年)にも十勝岳は再び大爆発を起こして、山麓にある白金温泉の人々に立ち退きが勧告されたのだという。

大正末期と昭和37年の十勝岳の噴火活動によって近隣住民に甚大な被害が出たのだが、この噴火によってできた『新噴火口』は観光地として人気になっていたのだという。当時、白金温泉から新噴火口下まで通じていた登山観光バスの道路は、噴火時の土石流(泥流)の上に作られたものであり、新噴火口下までバスでやって来れば十勝岳には約2時間で登頂することができたという。白金温泉は戦後のボーリングによってできた新しい温泉であるが、当時としては温泉宿舎の設備が整っていて、夏場には十勝岳登山、冬場にはスキー場で大繁盛していたと記述している。

当時は新噴火口下まで登山観光バスの路線がつながっていたので、今よりも十勝岳山頂に立つのは簡単であったが(短時間で登頂できたが)、そのこともあって深田久弥は物見遊山の登山で飽き足らない登山者であれば、十勝岳山頂から更に痩せ尾根を伝って上ホロカメットクや富良野岳、あるいは反対方向の美瑛岳にまで足を伸ばすことになるだろうと語っている。

参考文献

深田久弥『日本百名山』(新潮社),『日本百名山 山あるきガイド 上・下』(JTBパブリッシング),『日本百名山地図帳』(山と渓谷社)

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