深田久弥の日本百名山

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深田久弥(ふかだきゅうや,1903年3月11日~1971年3月21日)は石川県大聖寺町生まれの登山家・作家であり、自らの登山体験を活かして『日本百名山』を選定したことで知られている。中学生時代に友達と二人で、石川県・岐阜県にまたがる『白山(標高2702m)』に登ったことが登山に開眼するきっかけになったのだという。

学業優秀だった深田久弥は、第一高等学校から東京帝国大学文学部哲学科へ進学して、在学中に出版社での仕事を始めた。大学では後に大物作家となる堀辰雄や高見順と知己を得て、文壇で活躍するようになってからは文芸評論家の小林秀雄とも交遊を持つようになる。大学を中退して出版社も退職してからは、作家(小説家)として生計を立てるようになるが、深田久弥が『日本山岳会』に入会したのは32歳の時であった。

日本の山から百名山を選ぼうとする登山家・深田久弥の野心的な試みは、戦前の山岳雑誌『山小屋』から始まったが、1940年(昭和15年)3~12月号にかけてのこの取り組みは途中で中断されることになった。しかし、戦後になって深田は再び日本百名山の登山と選定に精力的に取り組むことを決め、1959年(昭和34年)~1963年(昭和38年)にかけて山岳雑誌『山と高原(朋文堂)』で毎月2つの山を名山として紹介する連載を50回行った。1964年には、新潮社から『日本百名山』を単行本として出版している。

深田久弥が百名山を選定する際の基準にしたのは、以下の3点だという。

1.山の品格……誰が見ても威厳と風格を感じるような山で、心から人の心を感嘆させる力を持つもの。

2.山の歴史……土地の人々の生活・宗教・意識の歴史と密接に関係しているような由緒のある山。

3.個性のある山……その山だけに固有に備わっている特徴や雰囲気。

百名山を実地に選び、それぞれの山の秀逸な紀行文を書いた深田は、1971年(昭和46年)に山梨県にある茅ヶ岳(標高1704m)を友人たちと登山中、突如脳卒中に襲われて亡くなることになった。享年68歳、日本の山と深く濃いつながりを持って生きた深田久弥らしい最期であった。

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日本百名山の紹介

『日本百名山』

北海道の名山

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