幌尻岳(ぽろしりだけ, 2052m)

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幌尻岳の標高・特徴・歴史

幌尻岳の標高は、『2052m』である。登山難易度は、上級者向けの山である。幌尻岳は南北150キロにわたって広がる日高山脈の最高峰である。非常に山深い山域なので日帰り登山はほぼ不可能で、1泊2日か2泊3日の山行計画を立てて登ることになる。

幌尻岳の登山口のアクセスは、JR北海道・石勝線の『占冠駅(しむかっぷえき)』が起点となる。幌尻岳の登山口までは『占冠駅から日高町までの日高町営バス(約25分)』、『日高町から林道ゲートまでのタクシーかマイカー(約1時間20分)』である。いずれも運行期間限定で便数も少ない(廃線の恐れもある)、事前の問い合わせをしっかりしておく必要がある。

もう一つ『新冠コース(にいかっぷコース)』もあるが、タクシーかマイカーでないと登山口にはアクセスできず、途中にある林道は狭くて凹凸の多い悪路なので注意が必要である。新冠コースは沢の渡渉地点こそ少ないものの、林道の歩行時間が長くて急斜面の場所も多いので、一般的にはあまり使われていないコースである。

幌尻岳(標高2052m)は日高山脈で唯一の2000m峰であり、幌尻岳という名前はアイヌ語の『ポロ・ジリ(大きい山)』に由来しており、アイヌ人たちは幌尻岳を神々が住む霊山として信仰の対象にしていたという。

幌尻岳の一般的な登山道である林道ゲートから進む『振内・額平川(ぬかびらがわ)コース』は、沢・川の水場が多くて渡渉に難渋する難易度の高いコースとされている。幌尻岳自体も『日本百名山』で最も難易度が高い山とされることが多いが、その理由の一つがこの『沢・川の渡渉地点の多さ』であり、増水時には登山そのものを諦めるしかなくなってしまうこともある。

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幌尻岳の額平川コースでは『15箇所程度の渡渉地点』があるが、渡渉が開始される地点に豪快に水が落下している『洗心の滝』がある。渡渉が多いので一般の登山靴(トレッキングシューズ)だけではなくて、濡れても乾きやすくて重たくなりにくいコンパクトな『沢靴(さわぐつ)』を別に持っていったほうが良い。沢の水量にもよるが、渡渉する沢・川は膝以上くらいまでの深さになることも少なくないので、濡れても対処しやすい靴・ズボンで行くことが望ましく安全である。渡れないと不安になるような水量・流れの強さであれば、思い切って撤退する勇気も必要である。

幌尻岳登山では『幌尻山荘(ぽろしりさんそう)』が拠点になるが、完全予約制なので事前にきちんと予約を取っておく必要がある。山小屋周辺でのテント泊(幕営)も禁止されているので、額平川コースで登るのに幌尻山荘に泊まれない場合には、自分でテントサイトを見つける必要があるが、山荘より上の『北カール』まで登っていかないと適地がないので注意が必要である。登山口の林道ゲートから幌尻山荘まで『約4時間』、幌尻山荘から幌尻岳山頂までも『約4時間』かかるので、山荘に予約していないのであれば十分に早い時間に出発して、北カールまで暗くなる前に登っておく必要が出てくる。

カールというのは『氷河の侵食によって形成された大きな窪地』のことであり、幌尻岳登山ではこのカールがテント泊の適地になっているのである。幌尻岳には『北カール・東カール・七ツ沼カール』の3つのカールがあり、いずれも高山植物が豊かなお花畑の素晴らしい景観を持っている。

特に幌尻岳と戸蔦別岳の中間にある『七ツ沼カール』は、高山植物のお花畑、バランスの良い沼の点在、白い雪田が織り成す絶景を楽しむことのできる人気スポットで、テント泊ができる程度の実力がある登山者であれば『深田久弥もしたとされる七ツ沼カールでのテント泊』は憧れである。ただしヒグマと遭遇するリスクもあるので、テント泊には十分な注意・警戒が必要であり、クマよけの鈴やスプレーなどを携行していくべきである。

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深田久弥の幌尻岳への言及

深田久弥は著書『日本百名山』で、北海道の山域に詳しい人たちから、日高山脈の最高峰である幌尻岳を勧められたと語っているが、昭和30年代の幌尻岳はまだ人跡未踏に近い秘境であり、経験者を伴わなければ踏み入ることの難しい山であった。深田久弥も北海道大学山岳部の案内と支援を受けて、静内から新冠上流のダムサイトまでトラックに乗って幌尻岳を目指したのだという。

『日高の山はそう簡単には入れない』と述懐する深田久弥だが、幌尻岳登山はテントと食糧の重い荷物を担いで数日間を費やさなければ登頂できない山深くて険しい山だったのである。当時は道も定かではないし、整備された小屋などもなかったから、正にテント泊の野営をしながらの長い登山の道のりであった。

幌尻岳が『日本百名山の最難関』ともされる大きな理由は、『登山口に至るまでのアプローチが長くて険しいこと』と『山頂に至るまでの沢・川の渡渉箇所が多くて危険であること』である。深田久弥も地下足袋と草鞋でダムサイト事業所の宿を出発して、川の中をジャブジャブと渡る渡渉が終わりなく続いて、全身ずぶ濡れになりながらの登山で、途中から濡れることが気にならなくなったと言っているほどである。現在でも幌尻岳登山は、沢が増水した時には渡渉が困難になったり不可能になったりする事があり、その時には無理せずに登山を断念するのが吉である。

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源流が近づいて沢に水が無くなってくると、幌尻岳の圏谷の底に当たる『七つ沼カール』に出ることができてそこにテントを張ったとあるが、当時も今もこの七つ沼カールの周辺が絶好のテントサイト(ヒグマがでるリスクはあるが)とされている。佐々保雄氏の『日高の圏谷』という文章を読んでから、この幌尻岳の圏谷のカールの景観は、長らく深田久弥の憧れの風景になっていたのだという。

七つ沼カールから戸蔦別岳(とつたべつだけ)に続く稜線がカールの上縁を形成していて、『円戯場』と呼ぶのに相応しい圏谷壁(カールヴァント)が七つ沼を綺麗に丸く取り囲んでいたという描写が成されている。この圏谷壁の景観は確かに日本百名山の中でも屈指の絶景の一つとなっていて、人間が踏み込んでくる以前には『クマの遊び場所』にもなっていたのだという。

深田久弥が登頂した時の幌尻岳山頂は霧に包まれていて景色は全く楽しめなかったというが、深田はそれでも『日高山脈の最高点に立てた』という十分な満足感を味わえたようである。今でも幌尻岳に登頂する一般の登山者は少なく、登山口までアプローチするだけでも大変な山深い場所であるが、当時は更に幌尻岳の頂上にまで登った登山者は少なく、登頂経験者の一人になれたことが深田にとっても非常に嬉しかったのだろう。

頂上に積まれたケルンの底には、ピース(たばこ)の空き缶に名刺が入れられていたというが、このエピソードなども『我、幌尻岳に登頂せりの気概』を示すもので、いかに当時の幌尻岳が遠くて険しかったかが伝わってくる。深田は戸蔦別岳にも登頂して幌尻岳方面の景色が晴れるのを待ったのだが、雲と霧に遮られてまともに山の全景を観賞することは叶わなかった。しかし戸蔦別岳の頂上で一時間ばかり寝転んだ深田は、日高山脈の5日間の山行について、天候にこそ恵まれなかったが良い仲間と談笑に恵まれた『楽しい山旅』だったと結んでいる。

参考文献

深田久弥『日本百名山』(新潮社),『日本百名山 山あるきガイド 上・下』(JTBパブリッシング),『日本百名山地図帳』(山と渓谷社)

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