ピエール・ジャネ(Pierre Janet, 1859-1947)は、ジャン・マルタン・シャルコーが記述した多彩な神経症のヒステリー症状を、幾つかの基本的な心理学概念に統合して網羅的な精神医学体系を構築しようとしたフランスの精神科医です。
ピエール・ジャネは1859年5月30日に、パリのリュクサンブール宮殿公園の近くにあるマダーム街で生まれ、コレージュ・ド・フランスの実験心理学講座の教授として死ぬまでその研究拠点をフランスのパリに定めていました。ピエール・ジャネが生きた19世紀後半~20世紀初頭のフランスは正に戦争と激動の時代であり、ナポレオン3世の第二帝政(1852-1870)の後に成立した『第三共和制(1870-1940)』が、ナチス・ドイツの侵攻によって1940年に幕を閉じました。
ナチス・ドイツの占領による第三共和制の崩壊に直面したピエール・ジャネは、戦中の『ヴィシー政権(ドイツの傀儡政権, 1940-1944)』と戦後の『第四共和制(1946-1958)』の時代を生き抜き、無意識や内的葛藤を前提とする力動的精神医学(力動的心理学)の分野で様々な研究の成果を残しました。
ピエール・ジャネの論文の多くは自らが1904年に刊行した『心理学雑誌(Journal de Psychologie)』で発表されており、『心理自動現象(1889)』『神経症と固定観念(1898)』『強迫観念と精神衰弱(1903)』などの精神医学の古典論文は、現代においても読むべき価値のある知的成果となっています。無意識の発見というと精神分析の始祖ジークムント・フロイトを想起しやすいのですが、ピエール・ジャネはS.フロイトと同時期に『無意識の概念・発想』を発見していたとも言われます。
ピエール・ジャネは精神病理学の分野では、体質的・内因的な原因によって発症する『精神自動症・精神衰弱』の研究に精力的に取り組みましたが、正常な精神機能が低下して環境不適応が起こる『精神衰弱』は、現代の精神医学では不安性障害・強迫性障害・抑うつ症状などに当てはまります。1910年頃から、ジャネは『心的機能の層構造』という力動精神医学の理論体系の構築を始めます。この『心的機能の層構造』は、無意識や葛藤を用いたS.フロイトの『自我構造論(エス・自我・超自我)』と類似したアイデアに基づくものであり、内的構造の各層における『心的エネルギーの力動的な葛藤(せめぎ合い)』によって精神現象や精神症状が形成されると考えました。
ピエール・ジャネの精神医学と心理療法の研究分野は非常に広範なもので、力動精神医学に基づく心理療法だけではなくて、現代の『科学的な行動療法』につながるような“適応的な行動の獲得・不適応な行動の変容”のアイデアも出しています。P.ジャネの折衷的要素のある心理療法の体系は1919年の大著『心理療法』にまとめられていますが、ジャネは精神衰弱・精神自動症の病前性格として『完全主義・過敏性・劣等感のある内向型性格』を挙げています。『不安から恍惚へ(第一巻1926年,第二巻1928年)』では、社会生活の不適応を引き起こす精神衰弱の中核症状を『不安』と定めて、『失敗するかもしれない・何か悪いことが起こるかもしれないという不安』を勇気を出して乗り越えた時の“恍惚”に着目しています。
P.ジャネが臨床的に研究した『精神自動症』は、本人の意志や心理的原因と関わり無く内因的要因・体質的要因によって発症する精神疾患であり、ジャネは解離(dissociation)の概念を用いながら『全自動症』と『部分自動症』とを分類しました。『全自動症』は重症度の高い意識障害(意識レベルの低下)や人格変容を伴う精神自動症であり、『カタレプシー(緊張病の強硬症)・交代性人格・夢遊病症状(幻覚)』などが分類されています。『部分自動症』というのは、人格の一部が意識領域から解離して『下意識(無意識)』に移行する症状であり、解離した人格機能(精神機能)が自動的に作用することになります。
『部分自動症』には現代ではオカルト(心霊現象)のカテゴリーに当てはまるものもあり、『自動書記・後催眠暗示・心霊現象・シャーマニズム(憑依)・固定観念・幻覚・強迫観念・部分カタレプシー』などが分類されています。P.ジャネは前半生ではフロイトと同じく『無意識』という仮説概念を用いていましたが、後年には無意識ではなく意識領域の下部にあることを示す『下意識』という仮説概念を使うようになりました。
『自動書記』というのは自分の意識とは無関係に、手が勝手に文字を書いていくという症状であり、『後催眠暗示』というのは催眠を終えた後にも機能する暗示のことで、『特定のキーワード・知覚刺激』に反応して言語的暗示を実行するものです。P.ジャネは自分の行動・意識(人格)の一部が、『自己の意識的な統制(セルフコントロール)』を離れることが、精神自動症の発症メカニズムであると考え、この人格の統一性の解体を『精神解体(後に解離)』と呼びました。
精神自動症の病理学研究によって、P.ジャネは『下意識(無意識)の構造』と『人格の層構造(現在の体験の組織化・過去の記憶の組織化)』とを確信することができるようになり、精神自動症の病因(心理的原因)として『解離(人格の統一性の解体)』を仮定しました。ジャネは解離の心的現象によって自動症の『幻覚妄想・夢遊病・不随意運動(自動書記など)・固定観念(強迫観念)』などが発生すると考えたのですが、精神自動症に対する心理療法では『催眠療法・カタルシス療法・トラウマ治療』を重視しました。
ジャネはトラウマ(心的外傷)と解離症状の相関についても研究していましたが、その詳細な理論内容については『トラウマと解離性障害』の記事を参考にしてみて下さい。『ピエール・ジャネの精神衰弱概念と不安障害・強迫性障害につながるパーソナリティ特性 』のブログ記事でも、P.ジャネの精神衰弱の症状の特徴と不安障害の発症メカニズムについて詳しく解説しています。
P.ジャネはS.フロイトよりも早い段階で『無意識(下意識)の概念・構造』を発見していたとも言われますが、ジャネはフロイトの精神分析のように『無意識の構造や機能の理論化(無意識と精神現象の相関関係)』に関心を示すことが無かったので、『無意識の発見』の功績の多くをS.フロイトに譲ることになりました。P.ジャネは『下意識(無意識)』を精神自動症の病因を明らかにする説明概念として用いただけであり、下意識の欲動エネルギー(エス)や下意識が『自我の統合性』に与える影響などを研究することはありませんでした。
しかし、P.ジャネが研究した『心的機能の層構造・人格の統合性の解体=解離・トラウマによる解離の発生』が現代精神医学に与えた影響は大きく、P.ジャネの精神医学理論(力動精神医学)の基本的な構図は、アンリ・エー(Henri Ey, 1900-1977)の『器質力動論』へと引き継がれていったのです。アンリ・エーは急性精神病と慢性精神病を区別して、『病因の器質性』と『精神症状(精神現象)の心理性・力動性』を組み合わせた『器質力動論(organo-dynamisme)』を提唱したのでした。
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