『大学』の書き下し文と現代語訳:14

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儒教(儒学)の基本思想を示した経典に、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書(ししょ)がありますが、ここでは儒者の自己修養と政治思想を説いた『大学』の解説をしています。『大学』は元々は大著の『礼記』(四書五経の一つ)の一篇を編纂したものであり、曾子や秦漢の儒家によってその原型が作られたと考えられています。南宋時代以降に、『四書五経』という基本経典の括り方が完成しました。

『大学』は『修身・斉家・治国・平天下』の段階的に発展する政治思想の要諦を述べた書物であり、身近な自分の事柄から遠大な国家の理想まで、長い思想の射程を持っている。しかし、その原文はわずかに“1753文字”であり、非常に簡潔にまとめられている。『大学』の白文・書き下し文・現代語訳を書いていく。

参考文献
金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『大学』(講談社学術文庫),伊與田覺『『大学』を素読する』(致知出版社)

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[白文]

詩云、楽只君子、民之父母。民之所好好之、民之所悪悪之。此之謂民之父母。詩云、節彼南山、維石巌巌。赫赫師尹、民具爾瞻。有国者、不可以不慎。辟則為天下謬矣。詩云、殷之未喪師、克配上帝。儀監于殷。峻命不易。道得衆則得国、失衆則失国。

[書き下し文]

詩に云く、楽しき君子は民の父母と。民の好む所はこれを好み、民の悪む所はこれを悪む。これをこれ民の父母と謂う。詩に云く、節(せつ)たる彼の南山(なんざん)、維れ(これ)石巌巌(がんがん)たり。赫赫(かくかく)たる師尹(しいん)、民具(とも)に爾(なんじ)を瞻る(みる)と。国を有つ(たもつ)者はもって慎まざるべからず。辟(へき)すれば則ち天下の謬(りく,正字はにんべん)と為す。詩に云く、殷の未だ師(もろもろ)を喪わざるとき、克く(よく)上帝(じょうてい)に配る(はいす)。儀しく(よろしく)殷に監みる(かんがみる)べし。峻命(しゅんめい)易からずと。衆を得れば則ち国を得て、衆を失えば則ち国を失うを道う(いう)。

[現代語訳]

詩(小雅・南山有台の詩)で歌っている、有徳の楽しい君子は人民の父母のようなものであると。人民が好むものは君子もそれを好み、憎むものは君子もそれを憎む。これを君子が人民の父母のようであると言っている。詩(小雅節南山の詩)に歌っている、截然と切り立ったあの険しい南山には、固い岩石が多く転がっている。宰相の地位にあって栄華を欲しいままにしている尹氏は、人民からその姿を仰ぎ見られている。国を治める有力者こそ、慎まなければならない。道を踏み外して偏れば、天下に害を与えて歴史に汚名を残すことになる。詩(大雅・文王の詩)で歌っている、殷がまだ人民の支持を喪っていなかった時は、よく上帝を奉って配慮していた。この殷を鑑として周王朝もわが身を振り返らなければならない。天命の厳しさは容易なものではない。人民の心を得れば国は治まるが、人民の心を失ってしまえば国は滅亡してしまということである。

[補足]

天命を尊重して上帝を祭祀していた殷王朝は栄えたが、冷酷な暴君の紂王が人民を虐待したために、人心が離れて天命からも見捨てられ滅亡することになった。殷王朝(商王朝)に取って代わった周王朝も、『易姓革命』の本義を十分に理解してわが身を慎み、殷を反面教師として人民の支持・期待に応えるような君子の徳治政治を行っていかなければならないということを語っている。理想の君子は、人民にとって慈悲と厳格さのある父母のようでなければならず、君子はその身分が高くなればなるほど謹慎して控えめにしなければならないのである。

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[白文]

是故君子先慎乎徳。有徳此有人。有人此有土。有土此有財。有財此有用。徳者本也。財者末也。外本内末、争民施奪。是故財聚則民散、財散則民聚。是故言悖而出者、亦悖而入。貨悖而入者、亦悖而出。

[書き下し文]

この故に君子先ず徳を慎む。徳あればこれ人あり。人あればこれ土(ど)あり。土あればこれ財(ざい)あり。財あればこれ用あり。徳は本なり。財は末なり。本を外(ほか)に末を内にすれば、民を争わせ奪うを施す。この故に財聚まれば(あつまれば)則ち民散じ、財散ずれば則ち民聚まる。この故に言(こと)悖って(もとって)出ずる者は、亦悖って入る。貨(か)悖って入る者は、亦悖って出ず。

[現代語訳]

そのため、君子はまず徳を保つように慎むのである。徳あれば人民が服するので、これを徳あれば人ありという。人民が服すれば土地も増えるので、これを人あれば土ありという。土地が増えれば財貨(租税)も増えるので、これを土あれば財ありという。徳が大本である。財はその結果の末節である。大本である徳を軽んじて、末節である財力を重視すれば、民を争い合わせて奪い合いをさせる悲劇となる。このため。重税を取り立てて君子に財が集まれば民は離散してしまい、税を軽くして君子の財が少なければ民はそこに集まるようになるのだ。そのため、理に悖るような発言をすれば、人民も同じように理に悖ることを言い始める。理に悖る方法で財を得た者は、また理に悖る出来事によってその財が出て行ってしまうのである。

[補足]

儒教が説く徳治政治の基本を説明した章であり、『徳』が根本にあってその結果として『財』が得られるだけで、末端末節である財(お金)ばかりを重視すれば、人民が貧窮化したり疲弊化して逆らうようになり、国が大いに乱れてしまうという事である。理知や道徳に悖るようなやり方で政治をしたり財貨を集めたりしてはならない、重税をかけて人民を苦しめてはならないという君子の原理原則を唱えている。

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[白文]

康誥曰、惟命不于常。道善則得之、不善則失之矣。楚書曰、楚国無以為宝、惟善以為宝。舅犯曰、亡人無以為宝、仁親以為宝。

[書き下し文]

康誥(こうこう)に曰く、惟れ(これ)命(めい)常に于て(おいて)せずと。善なれば則ち之(これ)を得、不善なれば則ちこれを失うを道う(いう)。楚書(そしょ)に曰く、楚国(そこく)はもって宝と為す無し、惟だ善もって宝と為すと。舅犯(きゅうはん)曰く、亡人(ぼうじん)もって宝と為す無し、親(しん)を仁するをもって宝と為すと。

[現代語訳]

康誥が言うには、上帝の天命というのは常に定まらず移ろうものであると。天子が善を為していれば天命を得るが、不善を為すようになればその天命を脆くも失ってしまうということである。『楚書』にこう記してある、楚国は宝玉をもって宝とするのではない、ただ有徳の善人をもって宝とすると。(晋の文公に仕えた)舅犯はこう言った、父君献公の死去を宝(文公が兵を起こして進出する支配の好機)とすべきではなく、親に仁愛や忠孝を尽くしている姿を示せることこそが宝(主君としての資格)なのだと。

[補足]

『天命』を拝受して天下を支配する権限を与えられているのが天子(皇帝・国王)であるが、その天命は永遠に保障されているものなどではなく、天子が善政を行うか悪政を行うかによって移り変わるものなのである。天命が暴君の天子から完全に離れてしまった時には、『易姓革命』が勃発して天下を支配する天子の姓が革められることになる。ここでは『楚書』の事例が引かれており、『軍事的・政治的な実利(目先の利益)』よりも『人間的な魅力としての徳』を優先することの大切さが教えられている。

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