『大学』の書き下し文と現代語訳:8

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儒教(儒学)の基本思想を示した経典に、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書(ししょ)がありますが、ここでは儒者の自己修養と政治思想を説いた『大学』の解説をしています。『大学』は元々は大著の『礼記』(四書五経の一つ)の一篇を編纂したものであり、曾子や秦漢の儒家によってその原型が作られたと考えられています。南宋時代以降に、『四書五経』という基本経典の括り方が完成しました。

『大学』は『修身・斉家・治国・平天下』の段階的に発展する政治思想の要諦を述べた書物であり、身近な自分の事柄から遠大な国家の理想まで、長い思想の射程を持っている。しかし、その原文はわずかに“1753文字”であり、非常に簡潔にまとめられている。『大学』の白文・書き下し文・現代語訳を書いていく。

参考文献
金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『大学』(講談社学術文庫),伊與田覺『『大学』を素読する』(致知出版社)

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[白文]

湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。康誥曰、作新民。詩曰、周雖旧邦、其命維新。是故君子無所不用其極。

右伝之二章。釈新民。

[書き下し文]

湯(とう)の盤(ばん)の銘(めい)に曰く、苟(まこと)に日に新たに、日々に新たに、又日に新たなりと。康誥(こうこう)に曰く、新民を作す(おこす)と。詩に曰く、周は旧邦(きゅうほう)と雖もその命維れ新た(これあらた)なりと。この故に君子その極を用いざる所なし。

右伝の二章。新民を釈す。

[現代語訳]

商王朝の湯王の盤(たらい)の銘に、誠に日に新たにして(自分の身体・精神の汚れを洗い清めるように新たにして)、毎日新たにして、また日に新たにすると刻まれている。『周書』の康誥に記されているのは、民が自らを(善に向かって自己改革することで)新たにするということである。『詩経』にいわく、周はその歴史が古い国ではあるが、初めての天命を受けて善政の統治を保ったので、その天命は新しいと言わなければならない。そのため、君子は『周礼・周の徳治』の極致(君子が善に向けて日々新しくなり民も新しくなるという道理)を用いないということがないのである。

右は伝の二章で、民を新たにすることを解釈したものである。

[補足]

古代の聖人君子である商の湯王の事例を取り上げて、身体の垢を取り除き、精神の澱を洗い流すような『日新(日々新たにすること)』の大切さを説いた部分である。君子が日々新たになっていくように、人民もまた善に向かって新たになっていくことが望ましいのであり、それを儒教では『親民・新民』と呼んでいる。

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[白文]

詩云、邦畿千里、惟民所止。詩云、緡蛮黄鳥、止于丘隅。子曰、於止、知其所止。可以人而不如鳥乎。

[書き下し文]

詩に云く(いわく)、邦畿千里(ほうきせんり)、惟れ(これ)民の止まる所と。詩に云く、緡蛮(めんばん)たる黄鳥(こうちょう)、丘隅(きゅうぐう)に止まると。子曰く、止まるにおいて、その止まる所を知る。人をもってして鳥に如かざるべけんやと。

[現代語訳]

『詩経(商頌玄鳥の篇)』にいわく、天子の都がある邦畿千里の土地は、これ人民が止まる場所であると。『詩経(小雅緡蛮の篇)』にいわく、緡蛮(めんばん)の鳴き声で鳴く黄鳥(うぐいす)は、樹木が鬱蒼と茂った丘隅の土地に止まると。孔子がおっしゃるには、ある場所に止まる時には、鳥でさえその止まるべき場所を知っている。人間が自分が止まるべき場所を理解するにおいて、鳥に及ばないということなどあるだろうか。

[補足]

『詩経』の商頌玄鳥と小雅緡蛮の篇を引用して、ウグイスのような鳥でさえ『自分が止まるべき安全な場所』を知っているのだから、知性・明徳を持つ人間であれば、『自分自身が止まるべき正しい場所・善の領域』くらいは知っていて当然だということを述べている。

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[白文]

詩云、穆穆文王、於緝煕敬止。為人君、止於仁。為人臣、止於敬。為人子、止於孝。為人父、止於慈。与国人交、止於信。

[書き下し文]

詩に云く(いわく)、穆々(ぼくぼく)たる文王、於(ああ)緝煕(しゅうき)にして敬して止まると。人の君と為って(なって)は仁に止まる。人の臣と為っては敬に止まる。人の子と為っては孝に止まる。人の父と為っては慈に止まる。国人と交わっては信に止まる。

[現代語訳]

『詩経(大雅文王の篇)』にいわく、深遠な趣きで質朴な文王は、ああ、徳治を終わりなく継続しており少しも悪徳に覆われることがない場所に止まっていたという。人君となっては仁に止まる。人臣となっては敬意(忠誠)に止まる。人の子となっては孝行に止まる。人の父となっては慈愛に止まる。国人と交わる場合には、信義に止まるのである。

[補足]

周王朝の理想的な聖王である文王を引き合いに出して、『君主・家臣・子ども・父親』としての立場における徳を説明している。君主であれば、仁の思いやりの親愛感情を家臣に施すべきであり、家臣であれば、忠誠心を尽くして主君に仕えるべきである。子どもであれば、親に孝行を尽くすべきであり、親(父)であれば、子どもに慈しみの無償の愛情を注ぐべきである。天下国家を憂う国人と交流するときには、お互いに相手を裏切らずに誠実さを尽くすという信義を忘れてはいけない。儒教の封建的な身分秩序の徳の根本を記した部分である。

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