兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。
『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の22段~24段が、このページによって解説されています。
参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)
[古文]
22段.何事も、古き世のみぞ慕わしき。今様(いまよう)は、無下(むげ)にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の匠の造れる、うつくしき器物(うつわもの)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。
文の詞(ふみのことば)などぞ、昔の反古どもはいみじき。ただ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古は、「車もたげよ」、「火かかげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数立て(とのもりょうにんじゅたて)」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝講(さいしょうこう)の御聴聞所(みちょうもんじょ)なるをば「御講の廬(ごこうのろ)」とこそ言ふを、「講廬(こうろ)」と言ふ。口をしとぞ、古き人は仰せられし。
[現代語訳]
何事も、古い世が慕わしく感じる。今風のものは、何かひどく卑俗なものになっていくようだ。あの木の職人(匠)が造った美しい器物も、古風な姿にこそ情趣があるのだ。
手紙の内容なども、昔の人が書き損じた手紙のほうがまだ素晴らしい。普段の話し言葉ですら、残念でつまらないものになっていく。昔は、「車もたげよ(牛車の轅を持ち上げよ)」、「火かかげよ(灯火の光を明るくせよ)」と言っていたのが、今では、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言っている。「主殿寮人数立て(主殿寮の役人に列席して式場を松明で照らせという命令)」と言うべきを、「松明で明るく照らせ」と言い、四大寺(東大寺・興福寺・延暦寺・園城寺)の僧を集めて天下太平を祈る最勝講の儀式に、天皇が講義を聞かれる御座所は「御講の廬」と言うべきを「講廬」と言っている。情けないことだと、古事・慣習に通じた老人はおっしゃっている。
[古文]
23段:衰へたる末の世とはいへど、なほ、九重(ここのえ)の神さびたる有様こそ、世づかず、めでたきものなれ。
露台(ろだい)・朝餉(あさがれい)・何殿(なにでん)・何門(なにもん)などは、いみじとも聞ゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀(こじとみ)・小板敷(こいたじき)・高遣戸(たかやりど)なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣に夜の設(もうけ)せよ」と言ふこそいみじけれ。夜の御殿(おとど)のをば、「かいともしとうよ」など言ふ、まためでたし。上卿(じょうけい)の、陣にて事行へるさまはさらなり、諸司の下人(しもうど)どもの、したり顔に馴れたるも、をかし。さばかり寒き夜もすがら、ここ・かしこに睡り居たる(ねぶりいたる)こそおかしけれ。「内侍所(ないしどころ)の御鈴の音は、めでたく、優なるものなり」とぞ、徳大寺大政大臣(おおきおとど)は仰せられける。
[現代語訳]
朝廷の権威が衰えた末法の武士の世とは言っても、今なお、幾重もの門に囲まれた宮中の神々しい様子は素晴らしいものである。
板張りの廊下である露台、天皇が食事を召し上がる部屋を朝餉の間というが、何とか殿、何とか門などと聞くだけでも、神々しいもののように聞こえてしまう。どこの家にでもあるような、板組みの小窓や板の間、開き戸であっても、宮中で「小蔀・小板敷・高遣戸」と言っていれば、特別に素晴らしいもののように聞こえる。
警護の役人が「陣に夜の寝る準備をせよ」などと言っているのを聞けば、物々しい威厳を感じる。
夜に天皇の御寝所を警護する者が、明かりを灯そうとして「かいともしとうよ(油火の燈籠を早く灯せよ)」とか言うのだが、それもまた洗練されている。宮廷行事を担当する公卿が、詰め所で行事進行の命令を下すのもかっこいい。宮廷の警護の下級役人たちが、自分はよくやっているという得意顔をしているのも面白い。更に、とても寒い真冬の夜に、警護の役人たちが、そこかしこで眠り込んでしまっている様子もおかしい。「(天皇が聞くことになる)内侍所の御鈴の音は、めでたく、優なるものなり」と、徳大寺大政大臣(=藤原公孝)は仰っている。
[古文]
24段:斎宮の、野宮におはしますありさまこそ、やさしく、面白き事の限りとは覚えしか。「経」「仏」など忌みて、「なかご」「染紙」など言ふなるもをかし。
すべて、神の社こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。もの古りたる森のけしきもただならぬに、玉垣しわたして、榊に木綿懸けたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢・賀茂・春日・平野・住吉・三輪・貴布禰(きぶね)・吉田・大原野・松尾・梅宮。
[現代語訳]
斎宮(伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女)が、伊勢神宮に下る前に心身を清めるための野宮(仮所)に滞在しておられるご様子は、優美であり、非常に趣き深いものに感じられました。伊勢神宮の神域では、仏教や経文を忌み嫌っており、「染紙」「なかご」などと違う言葉に言い換えられていたのも趣きがある。
そのように、すべての神社は捨て難いものであり、魅惑的なものなのだ。鬱蒼と古木が生い茂った森の景色も普通ではない。石垣が張り巡らされていて、榊の木に御幣がたなびいている状況は、神秘的な情趣を感じさせる。特に素晴らしい神社は、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪、貴布禰、吉田、大原野、松尾、梅宮である。
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