兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。
『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の39段~41段が、このページによって解説されています。
参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)
[古文]
39段.或人(あるひと)、法然上人(ほうねんしょうにん)に、「念仏の時、睡(ねぶり)にをかされて、行を怠り侍る事、いかがして、この障りを止め侍らん」と申しければ、「目の覚めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。
また、「往生は、一定と思へば一定、不定と思えば不定なり」と言はれけり。これも尊し。
また、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた尊し。
[現代語訳]
ある人が、法然上人に『念仏を唱えている時に、睡魔に襲われてしまい、称名念仏の勤行を怠ってしまうのですが、どのようにして、この障害を乗り越えればよろしいのでしょうか?』と質問した。すると、法然上人は『目が覚めている時に、念仏をしなさい』と答えられた、とても尊いことである。
また、『極楽往生は、確実(必然)と思えば確実(必然)であるが、不確実(偶然)と思うならば不確実(偶然)でもある』とおっしゃられた。これもまた尊いことである。
また、『疑う気持ちがありながらも、念仏を唱えていれば極楽往生することができる』ともおっしゃった。これもまた尊いお言葉である。
[古文]
40段.因幡国(いなばのくに)に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、ただ、栗(くり)をのみ食ひて、更に、米の類を食はざりければ、「かかる異様の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。
[現代語訳]
因幡国(現在の鳥取県)に、何とか入道という者の娘が、容姿端麗な美人だと評判になっていて、大勢の男が求婚をしたが、この娘は、ただ栗ばかり食べていて、まったく米・穀物の類を食べなかった。『このような変わった者は、よそ様の家の嫁にはやれない』と、親は結婚を許さなかったという。
[古文]
41段:五月五日、賀茂(かも)の競べ馬(くらべうま)を見侍りしに、車の前に雑人(ぞうにん)立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、埒(らち)のきはに寄りたれど、殊に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。
かかる折に、向ひなる楝(あうち)の木に、法師の、登りて、木の股についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたう睡りて(ねぶりて)、落ちぬべき時に目を醒ます事、度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ者かな。かく危き枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、我が心にふと思ひしままに、「我等が生死の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「まことにさにこそ候ひけれ。尤も愚かに候ふ」と言ひて、皆、後を見返りて、「ここへ入らせ給え」とて、所を去りて、呼び入れ侍りにき。
かほどの理(ことわり)、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸に当りけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。
[現代語訳]
5月5日に、上賀茂神社の競べ馬を見に行ったが、牛車の前に大衆が立ちはだかっていた見えなかったので、それぞれ車を降りて柵の側まで寄って見たのだが、人が余りに多くてそれ以上前へ行けそうにもない。
そんな状況の中で、向かいの栴檀(せんだん)の木の上に登った法師が、木の枝に座って特等席で見物している。法師はその木の枝に取り付きながら、たいそう眠たい様子で居眠りをしているのだが、『あっ、落ちそうだ』という瞬間に目を覚ましてしがみつくことを、何度も繰り返している。人々は法師のそんな様子をあざけり笑って見ていた。『バカな坊さんだな。あんな危ない木の枝の上で、安らかに熟睡できるなんて』などと言っている。
しかし、自分の気持ちの赴くままに、『私たちの生死の境目も、まさに今起こるのかもしれない(私たちも、今日死ぬことになる可能性がある)。その事を忘れて、祭り見物で一日をつぶしている。愚かなのは我らとて同じようなものだ』と言ってみると、前にいる人たちが『まことにおっしゃる通りですね。私たちも愚かなものですな』と答えてきた。みんなが自分のいる後ろを振り返り、『ここに入りなさい』と少しばかり場所を空けてくれて、競べ馬が見やすい前列へと招いてくれた。
このくらいの理屈は誰でも思いつくものだろうが、こういった状況で不意に言われると、思いがけない気持ちがして心を打たれたのだろう。人間は、非情な木石ではないので、時機・関係に応じて、いたく物事に感動することがあるのである。
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