兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。
『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の141段~144段が、このページによって解説されています。
参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)
[古文]
第141段:悲田院尭蓮上人(ひでんいんのぎょうれんしょうにん)は、俗姓は三浦の某とかや、双なき武者なり。故郷の人の来りて、物語すとて、『吾妻人こそ、言ひつる事は頼まるれ、都の人は、ことうけのみよくて、実なし』と言ひしを、聖、『それはさこそおぼすらめども、己れは都に久しく住みて、馴れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて、心柔かに、情ある故に、人の言ふほどの事、けやけく否び難くて、万え言い放たず、心弱くことうけしつ。偽りせんとは思わねど、乏しく、叶はぬ人のみあれば、自ら、本意通らぬ事多かるべし。吾妻人は、我が方なれど、げには、心の色なく、情おくれ、偏にすぐよかなるものなれば、始めより否と言ひて止みぬ。賑はひ、豊かなれば、人には頼まるるぞかし』とことわられ侍りしこそ、この聖、声うち歪み、荒々しくて、聖教の細やかなる理いと辨へずもやと思ひしに、この一言の後、心にくく成りて、多かる中に寺をも住持せらるるは、かく柔ぎたる所ありて、その益もあるにこそと覚え侍りし。
[現代語訳]
孤児や老人を療育する寺院である悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦の何とかといい、並ぶ者のない強い武者だったらしい。ある日、尭蓮上人のところへ、故郷の相模国から知人がやって来て語り合った。『東の人は言う事が信頼できる。京の都の人は、受け答えの印象は良いのだが、真実(誠実さ)がない』と故郷の知人はいう。それに対して、尭蓮上人はこう言った。『それはそうだと思いますが、京の都に久しく住み慣れていますと、京の人の心が東の人よりも劣っているとは思えないのです。京の人は、おしなべて心優しくて情のある人が多く、人の頼みを簡単に断ることができず、言いたいことも言えず、押しに負けて頼みを引き受けてしまったりします。騙そうと言う意図などはなくて、ただ貧しくて、約束を守りたいという本意があっても、その本意を貫けないことが多いのです。東の人は、自分の故郷の人ですが、実際には心の優しさがなくて、人情味にも疎く、愛想もないので、初めから嫌だと言って断ってしまいます。東の人は、家も栄えていて豊かなので、無理な頼みを断ったとしても、まだ他の人に頼ることができるのです』と。
このように世の道理を語られた。尭蓮上人のことを発音に関東なまりがあって、荒々しい素振りで、仏の精細な教えもわきまえていない人物と見ていた知人は、この一言によって逆に心を惹かれたのである。多くいる僧侶の中で、尭蓮上人が寺をまかせられて住職としての地位に就いているのも、柔和な性格の魅力があるからで、そのことによるご利益もあるからなのだろうと思った。
[古文]
第142段:心なしと見ゆる者も、よき一言はいふものなり。ある荒夷(あらえびす)の恐しげなるが、かたへにあひて、『御子はおはすや』と問ひしに、『一人も持ち侍らず』と答へしかば、『さては、もののあはれは知り給はじ。情なき御心にぞものし給ふらんと、いと恐し。子故にこそ、万のあはれは思ひ知らるれ』と言ひたりし、さもありぬべき事なり。恩愛の道ならでは、かかる者の心に、慈悲ありなんや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。
世を捨てたる人の、万にするすみなるが、なべて、ほだし多かる人の、万に諂ひ(へつらい)、望み深きを見て、無下に思ひくたすは、僻事(ひがごと)なり。その人の心に成りて思へば、まことに、かなしからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしつべき事なり。されば、盗人を縛め、僻事をのみ罰せんよりは、世の人の餓ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恒の産なき時は、恒の心なし。人、窮まりて盗みす。世治らずして、凍餒(とうたい)の苦しみあらば、科(とが)の者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはん事、不便のわざなり。
さて、いかがして人を恵むべきとならば、上の奢り、費す所を止め、民を撫で、農を勧めば、下に利あらん事、疑ひあるべからず。衣食尋常なる上に僻事せん人をぞ、真の盗人とは言ふべき。
[現代語訳]
心がないかのように見える者でも、良い事を言うものだ。ある恐ろしげな東国の荒武者が、かたわらの人に向かって、『あなたには子どもがおりますか?』と問うた。『いや、子どもは一人もいません』と答えた。
荒武者は『それでは物の哀れさをお知りにならないでしょうな。情愛のないお心を持っているというのはとても恐ろしいことです。子どもがいるからこそ、万物の哀れさ(同情心)を知ることができるのですから』と言った。当然のことではある。妻子に対する恩義や愛情の道があればこそ、このような荒くれ者にも、慈悲の心が芽生えたのである。親孝行の心を持たない者も、子どもを持つことで、親の気持ち(恩愛)について知るものである。
世捨て人が、家族のいない独り身であるのは当たり前だが、一般に、係累(親族)の絆が多い人は、家族のためにあらゆることにへつらい、欲望が深くなるものだが、これを見て無闇に見下すのは間違ったことである。その人の気持ちになって考えてみれば、本当に愛して思いやっている親や妻子のためならば、恥を忘れて盗みでさえも働くだろう。であれば、盗人を縛り上げて間違いだけを厳しく罰するよりは、為政者は世の中の人が飢えないように、寒くないようにする政治を心がけて欲しいものである。人間は安定した生活(収入・収穫)がないと、安定した正しい気持ちを持つことができない。人間は困って追い詰められたから盗みを働いてしまうのだ。世の中が治まらずに、飢えや寒さの苦しみが蔓延しているならば、家族のために罪を犯す者は絶えないだろう。人を苦しめて、法律を犯さざるを得ない状況にして、犯罪者を罰するというのは、可哀想な仕打ちである
では、どのようにして人を幸せにすれば良いかということだが、貴族の支配階層が贅沢や浪費をやめて、人民に思いやりを持って農業に注力させることが大切である。そうすれば、下の民衆の生活に利益があることは疑いがない。衣食住が足りていながらも、敢えて盗みをする者が本当の盗人なのである。
[古文]
第143段:人の終焉の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、ただ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚かなる人は、あやしく、異なる相を語りつけ、言ひし言葉も振舞も、己れが好む方に誉めなすこそ、その人の日来の本意にもあらずやと覚ゆれ。
この大事は、権化の人も定むべからず。博学の士も測るべからず。己れ違ふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。
[現代語訳]
人の臨終の時の素晴らしかった様子などを人から聞くと、ただ静かに安らかに亡くなったとでも言ってくれれば趣き深く感じるのに、愚かな人は、不思議な様子を加えて異なるように大袈裟に語ってしまう。故人の語った言葉も振舞いも、自分が好きな方向に作為を加えて褒めちぎるのだが、その故人の普段の様子からすると、そういった(事実とは異なる)大袈裟な作為は本意ではないのではないかと思ったりもする。
人間の死という重大事は、神仏の権化であっても定めることなどできない。博学の有識者であっても、人の寿命は予測できないものだ。死にゆく人が、自分の普段の本意と異なることなく亡くなっていくのであれば、他人の見聞によってその故人の評価をすべきではないのだ。
[古文]
第144段:栂尾(とがのお)の上人、道を過ぎ給ひけるに、河にて馬洗ふ男、『あしあし』と言ひければ、上人立ち止りて、『あな尊や。宿執開発の人かな。阿字阿字と唱ふるぞや。如何なる人の御馬ぞ。余りに尊く覚ゆるは』と尋ね給ひければ、『府生殿の御馬に候ふ』と答へけり。『こはめでたき事かな。阿字本不生にこそあなれ。うれしき結縁をもしつるかな』とて、感涙を拭はれけるとぞ。
[現代語訳]
栂尾の上人(明恵上人)が、道を歩いている時に、川で馬を洗っている男を見かけたが、男は『足、足』と言いながら、馬の足を上げさせようとしている。
明恵上人は立ち止まって、『なんと尊いことだ。あなたは前世で功徳を積んだ方の生まれ変わりであろうか。馬を洗う時にまで阿字阿字とマントラを唱えている。その馬はどなたの馬なのでしょうか。その馬もとても尊い馬のように思える』とお尋ねになった。馬を洗っていた男は、『府生殿(検非違使の下級役人)の馬でございます』と答えた。『これは素晴らしいことである。「阿字不生」ですか。「阿字」は全ての根源であり、悟りにつながる仏法の奥義です。僧侶としてはこの上なく嬉しいご縁を結ぶことができた』と言って、明恵上人は感涙を拭われたという。
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