『徒然草』の129段~132段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の129段~132段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第129段:顔回は、志、人に労を施さじとなり。すべて、人を苦しめ、物を虐ぐる事、賤しき民の志をも奪ふべからず。また、いときなき子を賺し(すかし)、威し(おどし)、言ひ恥かしめて、興ずる事あり。おとなしき人は、まことならねば、事にもあらず思へど、幼き心には、身に沁みて、恐ろしく、恥かしく、あさましき思ひ、まことに切なるべし。これを悩まして興ずる事、慈悲の心にあらず。おとなしき人の、喜び、怒り、哀しび、楽しぶも、皆虚妄なれども、誰か実有の相に著(じゃく)せざる。

身をやぶるよりも、心を傷ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし。病を受くる事も、多くは心より受く。外より来る病は少し。薬を飲みて汗を求むるには、験(しるし)なきことあれども、一旦恥ぢ、怖るることあれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額を書きて白頭の人と成りし例、なきにあらず。

[現代語訳]

(孔子が最も期待して愛した弟子とされる)顔回は、人に苦労をかけないことを志した。全ての人や動物を苦しめたり、虐げたりしてはいけないし、身分の低い卑賤の者でもその意志を侵害してはならない。また、まだ幼い子供をおどしたりすかしたりして、言い恥ずかしめて面白がる人もいる。

大人なら相手が本気ではないことが分かっているので何でもないという風に思えるのだが、幼い心には身に沁みるし、恐ろしくて恥ずかしくて情けない思いをさせられるのは切実な問題である。幼い子供を悩ませて楽しむような人間には、慈悲の心が無い。大人の喜び、怒り、悲しみ、楽しみなどの感情も(仏教的観点からは)みんな虚妄に過ぎないのだが、大人でさえも現実にある本当の感情だと信じ込んでしまうものである(子どもであれば尚更、それらの感情を実在のものとして受け取ってしまうだろう)。

身体を傷つけられるよりも、心を痛めつけられることのほうが、人間の傷の深さは深くなってしまうこともあるのだ。病気になる時も、多くは心の悩みが原因であり、外部からやってくる病気は少ない。汗をかいて熱を下げるという薬を飲んでも、汗を出す効果が全くでないことがあるが、恥じたり恐れている時に必ず汗をかくのは心の仕業だということを知っておくべきだろう。とても高い場所で『凌雲の額』を書かされて、そこから下りてきた時には白髪になってしまったという例も無いわけではない。

[古文]

第130段:物に争はず、己れを枉げて(まげて)人に従ひ、我が身を後にして、人を先にするには及かず(しかず)。

万の遊びにも、勝負を好む人は、勝ちて興あらんためなり。己れが芸のまさりたる事を喜ぶ。されば、負けて興なく覚ゆべき事、また知られたり。我負けて人を喜ばしめんと思はば、更に遊びの興なかるべし。人に本意なく思はせて我が心を慰めん事、徳に背けり。睦しき(むつましき)中に戯るるも、人を計り欺きて、己れが智のまさりたる事を興とす。これまた、礼にあらず。されば、始め興宴(きょうえん)より起りて、長き恨みを結ぶ類多し。これみな、争ひを好む失なり。

人にまさらん事を思はば、ただ学問して、その智を人に増さんと思ふべし。道を学ぶとならば、善に伐らず(ほこらず)、輩(ともがら)に争ふべからずといふ事を知るべき故なり。大きなる職をも辞し、利をも捨つるは、ただ、学問の力なり。

[現代語訳]

人というものは他人と争わず、自分を曲げてまでも人に従い、我が身を後にして人に先を譲るというのが(処世の業としては)良い。

いろいろな遊びの中でも勝負事を好む人は、相手に勝って満足を感じようとするものだ。自分の技芸が優れていることを喜ぶものだ。であれば、負けてしまえば面白くないと感じることもまたよく知られたことである。自分がわざと負けて相手を喜ばせようなんて思えば、全く遊びの面白みが無くなってしまう。しかし、相手に残念だ悔しいと思わせて自分の心を慰めようとすることは、徳性には背いているんだよ。

親しい相手と勝負事で戯れている時に、あれこれ策略を巡らして欺いたりすることで、自分の知恵が勝っていることを楽しもうとすることもある。これもまた、礼には背いている。だから、宴会から始まった勝負事がもとで、長年の恨みに発展してしまうことも多い。これは、争いごとを好むが故の過失だけどね。

他人よりも優れたいというのであれば、学問でもして知識・知恵を増やしたほうがいいと思うよ。学問の道を学んでいけば、善行を誇るようなこともなくなり、友達と争ってはいけないということを知ることが出来るだろう。また、名誉ある官職を辞したり目先の利益を捨てられるというのも、学問の力だ。

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[古文]

第131段:貧しき者は、財をもて礼とし、老いたる者は、力をもて礼とす。己が分を知りて、及ばざる時は速かに止むを、智といふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強いて励むは、己れが誤りなり。

貧しくて分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。

[現代語訳]

貧しい者は、財力を礼節だと勘違いをし、老いた者は、体力を礼節だと勘違いしやすい。自分の能力の分を知って、できない時には速やかにあきらめるのが知恵である。そういった諦めを許さないというのは、人が陥りやすい誤りである。自分の分をわきまえずに無理やりに頑張るのは、自分の誤りというべきことである。

貧しくて分を知らなければ盗みを働き、力が衰えているのに分を知らなければ病気になってしまう。

[古文]

第132段:鳥羽の作道(つくりみち)は、鳥羽殿建てられて後の号にはあらず。昔よりの名なり。元良親王(もとよししんのう)、元日の奏賀(そうが)の声、甚だ殊勝にして、大極殿より鳥羽の作道まで聞えけるよし、李部王(りほうおう)の記に侍るとかや。

[現代語訳]

鳥羽の作道という新しい道路は、鳥羽の御殿が建てられた後の名ではない。昔からの名である。元良親王が元日に、臣下に掛けられる祝賀の声がたいへん立派で素晴らしく、大極殿から鳥羽の作道のところまで聞こえたという。李部王の日記にそのことが書いてあるとかいう。

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