『竹取物語』の原文・現代語訳7

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『竹取物語』は平安時代(9~10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学であり、子ども向けの童話である『かぐや姫』の原型となっている古典でもあります。『竹取物語』は、『竹取翁の物語』『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。竹から生まれた月の世界の美しいお姫様である“かぐや姫”が人間の世界へとやって来て、次々と魅力的な青年からの求婚を退けるものの、遂には帝(みかど)の目にも留まるという想像力を駆使したファンタジックな作品になっています。

『竹取物語』は作者不詳であり成立年代も不明です。しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。このウェブページでは、『かかるほどに、男ども六人連ねて~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。

参考文献
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫)

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[古文・原文]

かかるほどに、男(をのこ)ども六人連ねて、庭に出で来たり。一人の男、文挟みに文をはさみて申す。『内匠寮(たくみづかさ)の工匠(たくみ)漢部内麻呂(あやべのうちまろ)申さく、玉の木を作り仕う(つかう)まつりしこと、五穀を絶ちて、千余日に力を尽くしたること少なからず。然るに禄(ろく)いまだ賜はらず。これを賜ひて、悪しき家子(けこ)に賜はせむ』といひて捧げたり。

竹取の翁、『この工匠らが申すことは何事ぞ』と傾き居り。皇子は、われにもあらぬ気色にて、肝消え居給へり。これをかぐや姫聞きて、『この奉る文を取れ』と言ひて見れば、文に申しけるやう、

皇子の君、千日いやしき工匠らともろともに同じ所に隠れ居給ひて、かしこき玉の枝を作らせ給ひて、官(つかさ)も賜はむと仰せ給ひき。これをこの頃案ずるに、御使ひとおはしますべきかぐや姫の要じ給ふべきなりけりと承りて、この御屋(みや)より賜はらむ。

と申して、『賜はるべきなり』と言ふを聞きて、かぐや姫、暮るるままに思ひわびつる心地笑ひ栄えて、翁を呼び取りて言ふやう、『まこと、蓬莱の木かとこそ思ひつれ。かくあさましき虚言(そらごと)にてありければ、はや返し給へ』と言へば、翁答ふ。『さだかに造らせたる物と聞きつれば、返さむこといと易し』とうなづき居り。

かぐや姫の心ゆき果てて、ありつる歌の返し、

まことかと 聞きて見つれば 言の葉を 飾れる玉の 枝にぞありける

と言ひて、玉の枝も返しつ。

竹取の翁、さばかり語らひつるが、さすがにおぼえて眠り居り。皇子は立つもはした、居るもはしたにて居給へり。日の暮れぬれば、すべり出で給ひぬ。

[現代語訳]

そうこうしていると、六人の男たちが連れ立って、庭にやって来た。一人が文挟みに手紙をつけて差し出してこう言った。

『内匠寮の技官をしている漢部内麻呂が申し上げます。注文された玉の枝を造った事ですが、食べるものも食べず、千日以上にわたって大変な努力をしました。それなのに、まだ報酬をお支払いして貰っていません。報酬を頂いて、不肖の門弟たちにも賃金を支払いたいのですが。』と言って、手紙を差し出している。

竹取の翁は、『この技官たちが話していることは、どういう事なのか。』と首を傾けている。皇子は、我を忘れたような様子であり、肝っ玉が潰れそうな感じで座っている。かぐや姫はこの事を聞いて、『差し出している手紙を取りなさい。』と命じて見てみると、その文面には、

皇子様は、千日間にわたって私たち身分の低い技官と一緒に隠れ家で生活していて、立派な玉の枝を造り上げて、官位を与えようともおっしゃいました。この事を今から考えてみますと、皇子様を遣わしているお姫様の要求している事だと分かりましたので、このお屋敷から報酬を頂きたいと思いまして。

と書いてある。『当然に報酬を支払うべき』と言うのを聞いて、かぐや姫は日が暮れるに従って皇子との結婚を思って落ち込んでいたのだが、その気持ちがすっかり回復して笑いながら、翁を呼んで言った。『本物の蓬莱の木だと思っていました。このようにあきれた嘘の結果だと分かった以上、早くこれを返してきて下さい。』と。翁は、『確かに技官に作らせた偽物だと分かった以上、返すのは簡単な事です。』と頷きながら言った。

かぐや姫は満足した様子で、先ほどの皇子の歌に返歌をした。

本物の玉の枝だと信じていましたが、言葉で飾り立てただけの偽物だったのですね。

と言って、玉の枝を返してしまった。

竹取の翁は、あれだけ懇意に皇子と話していたのだが、決まりが悪くなって寝た振りをしている。皇子は立っても座っても落ち着かない様子である。日が落ちると、滑り出すように屋敷を出て行ってしまった。

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[古文・原文]

かの愁訴(うれへ)せし工匠(たくみ)をば、かぐや姫呼びすゑて、『うれしき人どもなり』と言ひて、禄いと多く取らせ給ふ。工匠らいみじく喜びて、『思ひつるやうにもあるかな』と言ひて帰る。道にて、庫持の皇子、血の流るるまで打(ちょう)ぜさせ給ふ。禄得しかひもなく、みな取り捨てさせ給ひてければ、逃げ失せにけり。

かくてこの皇子は、『一生の恥、これに過ぐるはあらじ。女を得ずなりぬるのみにあらず、天の下の人の見思はむことの恥づかしきこと』とのたまひて、ただ一所深き山へ入り給ひぬ。宮司、侍ふ人々、皆手を分かちて求め奉れども、御死(おほんし)にもやし給ひけむ、え見つけ奉らずなりぬ。皇子の、御供に隠し給はむとて、年頃見え給はざりけるなりけり。これをなむ、『たまさかる』とは言ひ始めける。

[現代語訳]

あの訴え出てきた技官をかぐや姫は呼び寄せて、『嬉しい人たちです』と言って、褒美をたくさん与えた。技官たちはとても喜んで、『思った通りの報酬を得ることができたなあ』と言って帰った。だが帰り道で、庫持の皇子とその手下が待ち伏せをしており、血が流れるまで殴りつけられた。技官たちは褒美を頂いた甲斐もなく、全部を皇子から取り上げられて捨てられてしまい、逃げ去っていった。

こうしてこの皇子は、『人生における恥でこれ以上のものはない。かぐや姫を妻にできなかったばかりでなく、世間の人が自分のことをどう思うかと想像すると非常に恥ずかしい』とおっしゃって、たった一人で深山の奥へと入っていった。屋敷の執事や家臣たちが、みんなで力を合わせて皇子の行方を探したのだが、深山で亡くなられてしまったのだろうか、遂に皇子の姿を見つけ出すことは出来なかった。皇子は恥ずかしさの余り家来たちの前から姿を隠そうと思って、何年間か敢えて姿を見せなかったのだった。それから、こういった突然の失踪のことを『たまさかる(魂離る)』と言い始めたのである。

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