清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
53段
殿上(てんじょう)の名対面(なだいめん)こそ、なほをかしけれ。御前に人さぶらふをりはやがて問ふもをかし。足音どもして、くづれ出づるを、上の御局の東面(ひがしおもて)にて、耳をとなへて聞くに、知る人の名のあるは、ふと例の胸つぶるらむかし。また、ありともよく聞かせぬ人など、この折に聞きつけたるは、いかが思ふらむ。「名のり、よし」「あし」「聞きにくし」など定むるも、をかし。
果てぬなり、と聞くほどに、滝口の弓鳴らし、沓の音し、そそめき出づると、蔵人のいみじく高く踏みこほめかして、丑寅(うしとら)の隅の高欄(こうらん)に、高膝(たかひざ)まづきといふゐずまひに、御前の方に向ひて、後ざまに「誰々か、侍る」と問ふこそ、をかしけれ。高く細く名のり、また、人々さぶらはねば、名対面仕う奉らぬよし奏するも、「いかに」と問へば、障る事ども奏するに、さ聞きて帰るを、方弘(まさひろ)聞かずとて、君たちの教へ給ひければ、いみじう腹立ち叱りて、勘へて(かんがえて)、また滝口にさへ笑はる。
御厨子所(みづしどころ)の御膳棚(おものだな)に、沓置きて、言ひののしらるるを、いとほしがりて、「誰が沓にかあらむ。え知らず」と主殿司(とのもづかさ)、人々などのいひけるを、「やや、方弘が汚き物ぞ」とて、いとど騒がる。
[現代語訳]
53段
殿上の名対面(点呼)というのは、やはり面白いものである。帝の御前に人が伺候している時には、その人が『誰だ』と問うのも面白い。大勢の足音がして参集してくるのを、上の御局の東側で耳を澄まして聞いているのだが、知っている人の名(好きな人の名)が呼ばれている時には、ふといつものように胸が潰れるような思いがするものだ。また、うんともすんとも言ってこない恋人などがいて、この時にその名前を聞いた時には、どのように思うだろうか。「名乗り方が良い」「悪い」「聞きにくい」などと女房たちが判定するのも面白い。
殿上人の点呼が終わったようだと聞いているうちに、滝口の者どもが弓の弦を鳴らし、靴の音をさせてざわざわと出てくると、蔵人がとても高い足音を出して板敷きを踏み鳴らして、東北の隅の高欄の所に、高ひざまづきという座り方をして、帝の御前の方角に向かって、滝口に背を向けて、「誰かいらっしゃいますか」と問うている姿も面白い。あるいは声高にあるいは細い声で名乗り、また、人々の数が規定通りに揃わなければ、名対面を申し上げないということを帝に奏上するのだが、蔵人が「どうしてか」と聞くと、滝口が人が揃わないという事情について申し上げる。それを聞いて蔵人は帰るのだが、方弘がその事情を聞かなかったと言うので、若君たちが事情を教えたのだが、逆に非常に腹を立てて滝口たちを叱り付けて、罰則まで考えて、また滝口の者たちにさえ笑われてしまった。
(この方弘はどこか抜けているところがあり)台所の御膳棚に靴を入れてしまって、誰の靴かと騒動になっていると、(殿司・女房たちが)可哀想だと思ってかばって、「誰の靴なのでしょうか。私たちは知りません」と言ってくれたのに、「やあやあ、これは方弘の汚い靴だ」と自ら言って、更に騒ぎになってしまった。
[古文・原文]
54段
若くてよろしき男の、下衆(げす)女の名、呼びなれて言ひたるこそ、にくけれ。知りながらも、何とかや、片文字(かたもじ)は覚えで言ふは、をかし。
宮仕へ所の局(つぼね)に寄りて、夜などぞ、悪しかるべけれど、主殿司(とのもづかさ)、さらぬただ所などは、侍ひなどにある者を具して来ても、呼ばせよかし。手づから声もしるきに。はした者、童(わらはべ)などは、されどよし。
[現代語訳]
54段
若くて身分のある男が、下働きの卑しい女の名前を、呼びなれている感じで呼んだのは、憎たらしい。下女の名前を知っていながら、何と言っただろうかという感じで、名前の半分は覚えていないという風に言うのは、風情がある。
宮仕えをしている者の局(部屋)に寄って、夜などは、曖昧な名前の呼び方では悪いだろうけれど、宮中では主殿司がいて、そうではない所では、侍所などにいる人に呼んできて貰うようにすれば良い。自分で呼べば、声で誰か分かってしまうので。はした者や子供(童女)などは、名前をはっきり呼んでも良いが。
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