清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
73段
内裏の局(うちのつぼね)は、細殿(ほそどの)いみじうをかし。上の蔀(かみのしとね)上げたれば、風いみじう吹き入れて、夏もいみじう涼し。冬は、雪、霰(あられ)などの、風にたぐひて降り入りたるも、いとをかし。狭くて、童(わらはべ)などののぼりぬるぞ、あしけれども、屏風のうちに隠し据ゑたれば、異所(ことどころ)の局のやうに声高くゑ笑ひなどもせで、いとよし。
昼なども、たゆまず心づかひせらる。夜は、まいて、うちとくべきやうもなきが、いとをかしきなり。沓(くつ)の音、夜一夜(よひとよ)聞ゆるが、とどまりて、ただ指一つして叩くが、その人ななりと、ふと聞ゆるこそをかしけれ。いと久しう叩くに、音もせねば、寝入りたりとや思ふらむと、ねたくて、すこしうちみじろく衣(きぬ)のけはひ、さななりと思ふらむかし。冬は、火桶にやをら立つる箸の音も、忍びたりと聞ゆるを、いとど叩きはらへば、声にても言ふに、かげながらすべり寄りて聞く時もあり。
また、あまたの声して、詩誦じ(しょうじ)、歌など歌ふには、叩かねどまづあけたれば、此処(ここ)へとしも思はざりける人も、立ち止まりぬ。居るべきやうもなくて、立ち明すも、なほをかし。
御簾(みす)のいと青くをかしげなるに、几帳のかたびらいとあざやかに、裾のつまうち重なりて見えたるに、直衣(なほし)の後にほころび絶えすきたる君たち、六位の蔵人(くらうど)の青色など着て、うけばりて遣戸(やりど)のもとなどに、そば寄せてはえ立たで、塀の方に後おして、袖うち合せて立ちたるこそ、をかしけれ。
また、指貫(さしぬき)いと濃う、直衣あざやかにて、色々の衣どもこぼし出でたる人の、簾を押し入れて、なから入りたるやうなるも、外より見るはいとをかしからむを、きよげなる硯引き寄せて文書き、もしは鏡乞ひて鬢(びん)かき直しなどしたるも、すべてをかし。
三尺の几帳を立てたるも、帽額(もかう)の下にただすこしぞある、外に立てる人と内にゐたる人と、もの言ふが、顔のもとにいとよくあたりたるこそ、をかしけれ。たけの高く短からむ人や、いかがあらむ、なほ世の常の人は、さのみあらむ。
[現代語訳]
73段
宮中にある女房の局の中では、細殿という建物が非常に趣きがある。上の蔀が上げてあるので風が強く吹き込んできて、夏でもとても涼しい。冬は雪や霰などが風と一緒に降り込んでくるが、これも非常に風流である。狭い所だが、子供などがやって来ている時には、具合が悪い時でも屏風の中に静かに座らせておくと、他の局の時のように子供たちが大声で笑い声を立てたりなどしないのも、非常に良いことである。
昼間でも油断せずに気配りをしていなければならない。まして夜は、ゆったりと眠ることができないのも、とても趣きがある。外で靴の音が一晩中聞こえているが、その靴の一つがふと止まって、ただ指一本だけで戸を叩く、それだけであの人だとすぐに分かるのが面白い。とても長い時間にわたって戸を叩いているが、こちらからは返さないので、相手はもう寝てしまっていると思っているだろう。それも恨めしいので、わざと少しだけ身動きして衣擦れの音を立てる、相手もこちらの意図を察しているだろう。冬は火鉢にそっと突き刺す箸の音も、そっと外に聞こえないようにしていると相手の男は思っていて、更に強く戸を叩いて声でも呼びかけているが、物陰から静かに近寄ってその声を聞くこともある。
また、大勢の声で詩を朗読したり歌を歌ったりする時には、叩かないでもこちらから遣戸を開けてしまうのだが、特にここを訪ねようと思っていなかった人も、ここに立ち止まってしまう。座る場所がなくて、外に立ったままの男が夜を明かすのも、また面白くて情趣がある。
局の御簾は真っ青で風情がある、几帳の帳(とばり)も色鮮やかで、女房たちの裾先が重なって見えているが、そこに直衣の後ろの綻びが裂けて下着が見えている貴公子たち、また青色の上着を着た六位の蔵人がやって来て、遣戸のところに身を寄せて立つことまではせずに、塀の方で裾を合わせて背をもたれて立っている、その様子は情趣があるものだ。
また、指貫(さしぬき)の濃い紫に直衣の色が鮮やかであり、色々な色の下着を外に出した人が、戸口の簾を中に押し入れて、身体が半分だけ部屋の中に入ったような姿も、外から見ればとても面白い姿ではある。そんな人が、綺麗な硯(すずり)を引き寄せて手紙を書いたり、あるいは鏡を求めて鬢(びん)を直していることなど、すべて趣き深いものである。
戸口には三尺の几帳が立ててあるが、簾の帽額の下と几帳の間には、少しだけ空間(隙間)がある。外に立っている男と室内の女房が話をする時に、この隙間が二人の顔のところに当たっているのも面白い。背が高すぎたり低すぎたりすればどうだろうか(上手くいかないかもしれない)、しかし世の中の大半の人は上手くいっているようだ。
[古文・原文]
73段(続き)
まいて臨時の祭の調楽(ちょうがく)などは、いみじうをかし。主殿寮(とのもり)の官人(かんにん)の長き松を高くともして、頸(くび)はひき入れて行けば、さきはさしつけつばかりなるに、をかしう遊び、笛吹き立てて、心ことに思ひたるに、君たちの、日の装束して立ち止まり、もの言ひなどするに、供の随身(ずいじん)どもの、前駆(さき)を忍びやかに短う、おのが君たちの料に追ひたるも、遊びに交りて常に似ずをかしう聞ゆ。
なほあけながら帰るを待つに、君たちの声にて、「荒田に生ふるとみ草の花」と歌ひたる、このたびは今少しをかしきに、いかなるまめ人にかあらむ、すくすくしうさし歩みて出でぬるもあれば、笑ふを、「暫しや、『など、さ、世を捨てて急ぎ給ふ』とあり」など言へど、心地などやあしからむ、倒れぬばかり、もし人などや追ひて捕ふると見ゆるまで、まどひ出づるもあめり。
[現代語訳]
73段(続き)
まして、賀茂の臨時のお祭りの調楽の時などには、とても面白いことになる。主殿寮(とのもり)の役人が長い松明を高く掲げて、寒そうに首を襟の中に引っ込めて行くので、松明の先が物につきそうになる。楽しく遊んで笛を吹いている、いつも以上に浮かれている貴公子たちが、束帯の正装をして局の前で立ち止まり、女房たちに話しかけている。貴公子にお供している随身たちが、声をひそめて短く、自分たちの主人のために先払いの声を掛けているのも、音楽にその声が混じっていて、いつもとは違った感じで面白く聞こえる。
遣戸を開けたまま帰りを待っていると、先ほどの貴公子たちの声で、「荒田に生ふる富草の花」と歌っているが、今度はいつもより面白い歌のように聞こえる。いったいどんなに真面目な人なのだろうか、局の前をさっさと行き過ぎてしまう者もいるのでそれを笑うと、貴公子の誰かが、「しばらくお待ちください。『どうしてそんなにこの世が嫌になったというように急ぐのか』と女房たちが言っていますよ。」などと言ったりする。気分でも悪いのだろうか、まるで倒れるかのように、誰かが追いかけて捕まえようとしているのではないかと思われるほど、急いで遠ざかっていく者もいるようだ。
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