臨床心理学の歴史とL.ウィットマー

このウェブページでは、『臨床心理学の歴史』の用語解説をしています。

L.ウィットマーによる近代的な臨床心理学の誕生


臨床心理学に対する精神分析と心理測定学の影響

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L.ウィットマーによる近代的な臨床心理学の誕生

人間の抱える精神障害や心理的苦悩を客観的に測定して改善しようとする近代的な『臨床心理学(clinical psychology)』の歴史は短いが、人類は太古の昔から人間の心理現象や精神異常に関心を持ち、それぞれの地域や文化、宗教、民間伝承に特有の精神治療を実践してきた。

文明の技術や科学知識が進歩する以前には、原初的なアニミズム(精霊崇拝)や超能力的なシャーマニズム(霊能者・呪術の信仰)によって、人間の精神機能の異常や問題が治療されていた事もあり、現代でもアフリカや南米の一部の部族ではそういった伝統的な宗教療法(シャーマンによる治療)が続けられている。

精神疾患や意識の異常、神経症・心身症の症状の原因が“科学的・客観的”に解明されてきたのは、20世紀半ば以降の話でありその歴史はかなり短い。19世紀以前には目に見えない精神の病気や異常の原因は、『悪魔の憑依・キツネ憑き・悪霊の祟り・前世の因縁(悪業)』などの迷信的・宗教的な原因に求められており、その治療法も悪魔祓いのエクソシストや祈祷師・宗教家のお祓いなど科学的根拠のない催眠・洗脳に近いものであった。

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古代ギリシアの医師ヒポクラテス(B.C.468年‐377年)や古代ローマの医師ガレノス(131年‐199年)は、身体を流れる体液のバランスによってその人の精神状態や性格傾向が変わるという類型論の『四大体液説(血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁)』を展開したりした。

1950年代になると、それまで心や魂の病気とされてきた精神疾患を『脳の機能障害・脳内ホルモンの分泌調節障害』として解釈する“生物学的精神医学”が誕生したが、1952年に世界初となる抗精神病薬クロルプロマジンが開発されるまでは、精神疾患の科学的治療法(薬物療法)はかなり限られていたのである。

客観的に観察することができない『精神(心)』を、観察可能な『脳の活動(化学物質・神経伝達活動)』に置き換えて研究するという姿勢は、近代的自我を確立したルネ・デカルト(1596年‐1650年)『心身二元論・機械主義的人間観』に由来していると考えられる。

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現代の臨床心理学につながる科学的な研究方法や測定方法の起点は、W.ヴント(Wilhelm Max Wundt, 1832年-1920年)がドイツのライプチヒ大学に1879年に開設した『心理学実験室』にある。アメリカのペンシルヴェニア大学の心理学者L.ウィットマー(Lightner Witmer, 1867年-1956年)がW.ヴントの下で1892年に学位を取得した後、1896年に『心理クリニック(psychological clinic)』を開設した。

このL.ウィットマーの心理クリニックは、現在の精神科クリニックや心理カウンセリング(カウンセリングルーム)とは異なるものであり、主に知的障害や学習障害を持つ子どものアセスメントと教育支援を行っていた。心理測定学(知能検査)やモンテッソーリ教育と深い関係を持った心理クリニックでもあった。

心理学史では、L.ウィットマーがペンシルヴェニア大学に心理クリニックを開設して、アメリカ心理学会の総会で初めて『臨床心理学(clinical psychology)』という言葉を用いて講演した“1896年”を臨床心理学の誕生の年としている。

だが、L.ウィットマーは各心理学派を超えて心理臨床の実践と研究、教育の活動に関わる全体を『臨床心理学(clinical psychology)』と呼んだわけではない限界があり、厳密には『初めて臨床心理学という用語を使用した心理学者』として理解されるべきだろう。一方、ウィットマーは心理クリニックでの臨床活動を大学院の単位として認める制度を創設したり、臨床心理学の研究と臨床のバランスが取れたカリキュラムを整備したりもした。1907年に、『心理学的クリニック(The Psychological Clinic)』という臨床心理学の専門的な学術誌を創刊している。

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臨床心理学に対する精神分析と心理測定学の影響

L.ウィットマーは心理学の歴史で初めて『臨床心理学』という言葉を用いたが、臨床心理学の分野における心理療法(カウンセリング)や精神病理学、心理アセスメント(心理テスト)に最も大きな影響を実際に与えたのは“精神分析(力動的心理学)”“精神測定学(心理検査)”である。

IQ(知能指数)を測定するビネー式知能検査の開発者として有名なアルフレッド・ビネー(Alfred Binet, 1857年-1911年)は、1885年にフランスで初めての心理学実験室を創設した人物でもある。A.ビネーは医師のT.シモン(1873年‐1961年)と共に、文部省所属の専門機関『異常児問題研究委員会』の嘱託を受け、1905年に初等教育で児童の知能の発達水準を測定して精神遅滞児(知的障害児)をスクリーニングするための『ビネー式知能検査』を開発した。

1916年には、アメリカのスタンフォード大学の心理学者L.M.ターマン(1877年‐1956年)が、ビネー式知能検査を標準化して改良し、知能指数(IQ)を測定できる『スタンフォード・ビネー式知能検査』を開発したが、こういった個人の知能や性質、心理状態、病理症状の差異を測定するための『心理テスト(心理測定尺度)』の作成も臨床心理学の歴史では重要な役割を担ってきた。

アメリカでは1909年に、W.ヒーリー(1869年‐1963年)がシカゴの少年審判所に『青少年病理学研究所(juvenile psychopathic institute)』を開設して、少年の非行問題に心理臨床的な対応・矯正治療をしようとした。W.ヒーリーの青少年の非行・犯罪に対する心理臨床活動を受けて、その後、全米に『児童指導クリニック(child guidance clinic)』が設置される流れができた。子どもの心理的・社会的・犯罪的な問題に対して医師・心理士・看護師などの専門家たちが、チームアプローチでの治療・教育を実践していく『児童指導運動(child guidance movement)』が広まっていったのである。

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19世紀後半には、フランスの精神科医であるT.A.リボー(1839年‐1916年)P.ジャネ(1859年‐1947年)らが、四肢の麻痺やけいれん、失声・失明などさまざまな症状を示す神経症患者に対する催眠療法を実施していたりしたが、彼らの研究成果は精神病理学・病理的心理学(pathological psychology)として蓄積されていた。そういったフランスを中心とする精神科医の治療法に対抗する形で急速に普及したのが、精神構造論を前提にして『無意識の心理学と病理学・リビドーの充足と抑圧による神経症症状の形成』を説いたジークムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856年-1939年)の精神分析(力動的心理学)であった。

S.フロイトもP.ジャネも、19世紀のフランス精神医学会(精神神経疾患の治療)の権威であったJ.M.シャルコー(1825年-1893年)の神経病理学や催眠療法の影響を受けているが、P.ジャネは“下意識(sub-conscient)”、S.フロイトは“無意識(unconsciousness)”という通常の意識領域とは異なる自分でも気づくことが難しい領域を仮定した。P.ジャネはフロイトの精神分析の理論や精神構造を批判したりもしたが、P.ジャネとS.フロイトの精神療法の治療機序(作用メカニズム)は類似したものであり、『ありのままの出来事・感情を率直に物語ることの効果』を重視するものだった。

フロイトの精神分析の治療法はその初期には『心の煙突掃除・対話療法』と呼ばれていたが、精神分析の心理面接は『自由連想・夢の分析』によって進められ、心に思い浮かんだ事は遠慮せずに何でも話すということが神経症治療の上で重要になっていた。

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P.ジャネもS.フロイトも過去の心的外傷(トラウマ)の記憶・感情の抑圧(忘却・瞬間冷凍)が、神経症・心身症をはじめとする精神疾患の原因になるという仮説を立てており、その抑圧された記憶や感情を対話療法で解放し言語化(意識化)することで各種の精神症状が改善されると考えていた。1895年にはS.フロイトとE.ブロイエルがアンナ・Oをクライエントとする『ヒステリー研究』を発表して“精神疾患の心因論(心理的原因による神経症の発症)”を主張したが、これを実質的な臨床心理学の誕生と見なす研究者もいる。

精神分析は『力動的心理学(力動的精神医学)』と呼ばれることもあるが、ここでいう『力動(dynamic)』とは“エス・自我・超自我の精神機能の各装置”がそれぞれにぶつかってせめぎ合っている事である。そして、自我の現実的な調整機能・合理的な状況判断が、無意識的なエス(本能)や超自我(倫理)によって過度に阻害されてしまった時に、神経症・心身症・強迫性障害をはじめとする様々な精神疾患が発症するのである。

この無意識的なエス(本能)や超自我(倫理)の強化には、幼少期の親子関係の歪みやトラウマ的な心的外傷体験が関与している事が多く、精神分析では無意識領域に抑圧された『トラウマティックな記憶・感情』を言語化することで癒していくことを目指す。

1906年にP.ジャネがアメリカを訪問し、1909年には正統的な精神分析学派を代表するS.フロイトとC.G.ユングがアメリカに渡って講演し、20世紀におけるアメリカでの『精神分析ブーム』の契機となった。20世紀半ばまでの臨床心理学あるいは心理療法の三大勢力は、『精神分析(力動的心理学)・行動療法(C.L.ハルやB.F.スキナー)・クライエント中心療法(カウンセリングの神様と呼ばれたC.R.ロジャーズ)』であった。

現在ではアルバート・エリスの論理情動行動療法アーロン・ベックの認知療法をはじめとする“エビデンス・ベースドな心理療法”が中心になっており、カウンセラーや心理臨床家は“科学者-実践家モデル(scientist-practitioner model)”に依拠することが期待されるようになっている。

更に、個人の相互的な言語や主観的な認識が社会的な現実(客観的に見える現象)を構成していくというK.J.ガーゲン『社会構成主義』、人生を自分固有の物語的・対人関係的な流れの展開として解釈するM.ホワイトやエプストンの『ナラティブ・セラピー(物語療法)』などの立場が出てきている。

臨床心理学の歴史的プロセスでは、『科学性・実証性・根拠』を重視するエビデンス・ベースドな基礎心理学・精神測定学を汲む流れと、『実践性・経験性・効果』を重視する臨床介入的な精神療法(心理療法)・精神分析を汲む流れとの二つがある。

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