『史記 淮陰侯列伝 第三十二』の現代語訳:5

中国の前漢時代の歴史家である司馬遷(しばせん,紀元前145年・135年~紀元前87年・86年)が書き残した『史記』から、代表的な人物・国・故事成語のエピソードを選んで書き下し文と現代語訳、解説を書いていきます。『史記』は中国の正史である『二十四史』の一つとされ、計52万6千5百字という膨大な文字数によって書かれている。

『史記』は伝説上の五帝の一人である黄帝から、司馬遷が仕えて宮刑に処された前漢の武帝までの時代を取り扱った紀伝体の歴史書である。史記の構成は『本紀』12巻、『表』10巻、『書』8巻、『世家』30巻、『列伝』70巻となっており、出来事の年代順ではなく皇帝・王・家臣などの各人物やその逸話ごとにまとめた『紀伝体』の体裁を取っている。このページでは、『史記 淮陰侯列伝 第三十二』の5について現代語訳を紹介する。

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参考文献
司馬遷『史記 全8巻』(ちくま学芸文庫),大木康 『現代語訳 史記』(ちくま新書),小川環樹『史記列伝シリーズ』(岩波文庫)

[『史記 淮陰侯列伝 第三十二』のエピソードの現代語訳:5]

項王から逃亡した将軍・鐘離眛(しょうりばつ)の家は伊廬(いろ,湖北省)にあったが、鐘離眛は元々韓信と親しかった。項王の死後に、亡げて(にげて)韓信に帰属した。漢王は眛を怨んでいて、それが楚にいることを聞き、楚に詔して眛を捕えさせようとした。信は領国に赴いたばかりで、県邑(けんゆう)を巡行するのに、警備兵を連れて出入りした。

漢の六年、ある人が上書して、「楚王信が謀反をしました。」と密告した。高帝は陳平の計によって、諸侯の国を巡狩する際に、諸侯と会同しようとした。南方に雲夢(うんぼう,湖北省)という沢があるが、そこで使者を出して諸侯に告げた。「我はまさに雲夢へと巡幸する。」 実際は信を襲撃しようとしたのである。信はそれを知らなかった。高祖がやがて楚に至ると、信は兵を発して謀反を起こそうかとも思ったが、自分で何度も考えても自分は無罪であった。上(高祖)に謁見しようかとも思ったが、擒(とりこ)にされることを恐れた。

ある人が信に言った。「眛を斬って上(高祖)に謁見すれば、上は必ず喜ぶので、あなたの憂患は無くなるでしょう。」 信が眛に会って相談すると、眛は言った。「漢が攻撃して楚を取らないのは、私があなたの元にいるからです。もしあなたが私を捕えて自ら漢に媚びたいとお望みであれば、私は今日にも死にますが、あなたも私に続いて亡びることになるでしょう。」 更に信を罵って言った。「あなたは有徳者ではありません。」 ついに自ら首を刎ねてしまった。信はその首を持参して、陳で高祖に謁見した。

上は武装兵に命じて、信を縛り上げて後車に乗せた。信は言った。「果たして世の人の言う通りだ。『素早い兎が死ぬと、良い猟犬は烹殺され(にころされ)、高く飛ぶ鳥が尽きてしまうと、良い弓はしまいこまれ、敵国が破れると、謀臣は亡ぼされてしまう』という。天下は既に定まっており、私が烹殺されるのは当然なのだろう」 上は言った。「お前の謀反を密告してきたのだ。」 遂に信に枷をはめて縛り上げた。だが洛陽に至ると、信の罪を赦して、王から地位を下げられて淮陰侯となった。

韓信は漢王が自分の才能を畏れて憎んでいることを知って、常に病気と称して参朝せず、また上に従行もしなかった。これによって信は日毎に漢王を怨むようになり、怏怏(おうおう)として楽しまず、絳侯・周勃(こうこう・しゅうぼつ)、灌嬰(かんえい)と同列であることを羞じて(はじて)いた。信はかつて樊カイ(はんかい)将軍の家に立ち寄ったが、その時、樊カイは跪いて拝礼し、敢えて自分で送迎して信に対して臣と自称してから言った。「大王は、よくぞ臣の家にご来臨くださいました。」

信は門を出てから自嘲で笑ってから言った。「生きてはいるが、私は樊カイらと同列になってしまったのだな。」 上(高祖)がかつてくつろいで信と諸将の能力・不能について語り、それぞれに等級をつけたことがある。上は問うて言った。「私はどれだけの兵に対して将になることができるだろうか?」 信は言った。「陛下はせいぜい10万の兵の将であるに過ぎないでしょう。」 上は言った。「お前はどうなのか?」 信は言った。「私は兵が多ければ多いほどますます能力を発揮できて良いでしょう。」 上は笑って言った。「多ければ多いほどますます良いというのに、どうして私の捕虜になったのだ?」 信は言った。「陛下は兵に将たることはできませんが、将に将たることがおできになるのです。これが私が陛下の捕虜にされた理由です。更に陛下は天授の才能を受けておられるので、人力の及ぶところではございません。」

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陳キ(ちんき)が鉅鹿(きょろく)の太守に任じられ、淮陰侯(韓信)に暇ごいをした。淮陰侯はその手を取り、左右の者を退けて、共に庭を歩きながら天を仰いで嘆いて言った。「相談の相手になってもらえるか?そなたに話しておきたいことがあるのだ。」 陳キは言った。「どうぞ、ご命令ください。」 淮陰侯は言った。「そなたが太守となって居住する所は、天下の精兵が集まっている所である。そしてそなたは陛下が信任している寵臣だ。誰かがそなたが背いたと告げても、陛下は決してその密告を信じないだろう。だがその知らせが再び届けば、陛下も疑いを持たれるだろう。三度到着すれば、陛下は必ず怒って自ら将として征伐なさるだろう。だが、私がそなたのために都で内応すれば、天下を握ることができる。」

陳キは元々信の才能を知っていたので、この策を信じて言った。「謹んでお教えに従いましょう。」 漢の十年、陳キが果たして謀反した。上は自ら将として出軍した。信は病気中で従軍しなかった。密かに人を陳の所に送って言った。「ただ兵を挙げよ。私がすぐにあなたを助けに行く。」 そして信は謀略を巡らし家臣と共に、夜に詔だと偽って諸官に属していた犯罪者を赦免し、兵を発して呂后と太子を襲撃しようとした。部署の配置は既に終わって、陳キからの報告を待っていた。そこに舎人(家来)の中で信に対して罪を犯した者があり、信は捕えてこれを殺そうとした。するとその舎人の弟が変事を訴えでて、信が謀反を起こそうとしていることを呂后に告げたのである。

呂后は信を召喚しようとしたが、信があるいは召喚に応じないのではないかと恐れた。蕭何(蕭相国)と相談して、人に命じて上からやってきた振りをさせ、「陳キは既に刑死してしまいました。」と言わせた。列侯・群臣はみな祝賀した。蕭相国が信を欺いて言った。「病気中であっても、強いて参内して祝賀の意を表すように。」 信が参内すると、呂后は武装兵に命じて信を捕縛し、韓信を長楽宮の鐘室(しょうしつ)で斬った。信は斬られる時に言った。「カイ通の計略を採用しなかったことが悔やまれる。それで女子らに欺かれてしまったが、これも天命なのだろうか。」 遂に信の三族は皆殺しにされた。

高祖は陳キの征伐から帰って、国都に至り、信が死んでいるのを見て、かつ喜びかつ憐れんで、信の死に様について問うた。「信は死ぬ際に何か言い残したのか?」 呂后は言った。「信はカイ通の計略を用いなかったのが残念であると申していました。」 高祖は言った。「そのカイ通という者は、斉の弁士である。」 斉に詔してカイ通を捕えさせた。カイ通が至ると、上は言った。「お前は淮陰侯に謀反せよと教えたのか?」 答えて言った。「そうです。確かに私が教えました。しかしあの小僧は私の策を用いなかったので、自ら滅ぼされてしまったのです。もしあの小僧が私の計を用いていたら、陛下はどうしてあの男を滅ぼすことができたでしょうか?」

上は怒って言った。「こいつを烹殺せ(にころせ)。」 カイ通は言った。「あぁ、烹殺されるようだが私は冤罪です。」 上は言った。「お前は韓信に謀反を教えたのだ、どうして冤罪なのか?」

答えて言った。「秦の綱紀が断ち切れて政令が緩むと、山東の地は大いに乱れ、秦と異姓の人々が並んで起こり、英俊の士が烏のように集まりました。秦がその鹿(ろく=帝位)を失い、天下は共にこれを逐った(おった)のです。そして丈の高く足の疾い器量に優れた人(高祖)が、まずその鹿を射止めました。盗石(とうせき,古代の大盗賊)の犬が堯(ぎょう)に吠えるのは、堯が不仁だからではございません。犬は本来、その主人でない人に吠えるものです。当時、私は韓信だけを知っていて、陛下のことは知りませんでした。かつ天下の精鉄を研ぎすまし、鉾を持って、陛下のされた天下の統一を我もしたいと思った者はとても多かったのですが、顧みると陛下以外の者は能力がなかっただけのことなのです。その連中をすべて尽く烹殺すことができるでしょうか?」 高帝は言った。「刑をやめよ。」 そしてカイ通の罪を赦した。

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太史公曰く――私は淮陰に行ったことがあり、その時に淮陰の人が私に言った。韓信は無位無官の民であった時から、その志が衆人と異なっていた。その母が死んだ時、貧乏で葬式すらできなかったが、高くて開けた土地に墓を作り、将来はその傍らに一万戸の墓守を置くことができるようにしていた。私がその母の墓を見ると、本当にその通りであった。

もし韓信が道を学んで謙譲であり、自分の功績を誇らず、能力を矜らなかった(ほこらなかった)ならば、漢の王室に対する韓信の勲功は、周公・召公・太公望が周王室に対して成し遂げた勲功と比較されるほどのもので、子々孫々にわたって祭祀を受けたことは間違いがない。こうした無難な道に務めずに、天下が既に定まってから反逆を企んでしまったのだから、宗族が絶滅させられてしまったのも仕方ないことであろう。

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