『荘子(内篇)・斉物論篇』の10

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荘子(生没年不詳,一説に紀元前369年~紀元前286年)は、名前を荘周(そうしゅう)といい、字(あざな)は子休(しきゅう)であったとされる。荘子は古代中国の戦国時代に活躍した『無為自然・一切斉同』を重んじる超俗的な思想家であり、老子と共に『老荘思想』と呼ばれる一派の原型となる思想を形成した。孔子の説いた『儒教』は、聖人君子の徳治主義を理想とした世俗的な政治思想の側面を持つが、荘子の『老荘思想』は、何ものにも束縛されない絶対的な自由を求める思想である。

『荘子』は世俗的な政治・名誉から遠ざかって隠遁・諧謔するような傾向が濃厚であり、荘子は絶対的に自由無碍な境地に到達した人を『神人(しんじん)・至人(しじん)』と呼んだ。荘子は『権力・財力・名誉』などを求めて、自己の本質を見失ってまで奔走・執着する世俗の人間を、超越的視座から諧謔・哄笑する脱俗の思想家である。荘子が唱えた『無為自然・自由・道』の思想は、その後の『道教・道家』の生成発展にも大きな影響を与え、老子・荘子は道教の始祖とも呼ばれている。荘子は『内篇七篇・外篇十五篇・雑篇十一篇』の合計三十三篇の著述を残したとされる。

参考文献
金谷治『荘子 全4冊』(岩波文庫),福永光司・興膳宏『荘子 内篇』(ちくま学芸文庫),森三樹三郎『荘子』(中公文庫・中公クラシックス)

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[書き下し文]

斉物論篇 第二(続き)

天下に秋豪(しゅうごう)の末(さき)より大いなるものは莫し(なし)。大山(泰山,たいざん)も小さしと為す。殤に(わかじに)せし子より寿き(いのちながき)ものは莫し。彭祖(ほうそ)も夭し(いのちみじかし)と為す。天地も我と並んで生き、万物も我と一つなり。

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[現代語訳]

天下に秋の獣の毛の先よりも大きなものはない。大山(泰山)さえも小さいものになる。早死に(若死に)した子供よりも寿命が長いものはない。(800歳も生きたとされる)彭祖さえも寿命が短いものとなる。天地も私と並んで生き、万物も私と同一のものである。

[解説]

荘子の世界観は『絶対的な道』に依拠したもので、『相対的な差』に囚われることがないものである。その絶対的な道においては、『秋の獣の細い毛の尖端』が最大のものとなり、山東省にある『巨大な泰山(大山)』でさえ小さなものにもなる。

『幼くして早死にした子供』が最も寿命が長いものとなり、『800歳まで生きた伝説的な彭祖』でさえ寿命が短いものとなる。最大と最小が同じであり、最長と最短が同じであるという『絶対的な道』がそこにはあり、悠久無限に思える天地さえも『我』と同一で等しいものとなるのである。『万物の多』と『自我の一』とが同一の境地であり、『永遠と瞬間の差異』が消滅した世界がそこには広がっている。

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[書き下し文]

斉物論篇 第二(つづき)

既に已に(すでに)一なり、且も(そも)言(ことば)有るを得んや。既に已に之(これ)を一と謂う(いう)。且も言(ことば)無きを得んや。一と言と二と為し、二と一と三と為す。此れより以て(もって)往く(ゆく)は、巧歴(こうれき)も得る能わず(あたわず)。

而る(しかる)を況んや(いわんや)其の凡におけるをや。故に無より有に適きて(ゆきて)以て三に至る。而るを況んや有より有に適くをや。適くこと無し。是に因る(よる)のみ。

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[現代語訳]

既に一である、そもそも一という言葉(概念)があると言えるだろうか、いや言えない。既にこれを一といっている。そもそも一という言葉(概念)が無いと言えるだろうか、いや言えない。一と言葉(概念)と二があることになり、二と一と三があることにもなる。三より以上を考えていけば、膨大な数の計算の達人(暦の計算が巧みな者)であっても数え尽くすことはできない。

まして(数学の達人ではない)凡人の我々においては数えることなどできない。だから、無(一の道)から有(多)にいって三へと至る。まして有から有にいくのであればなおさら限りがない。多の世界にいくことはない。絶対的な一の道に拠るだけである。

[解説]

荘子の『絶対的な一=実在』の世界について説明されたやや難解な哲学的言説である。『無(一)の世界』は絶対的な揺らがない世界であり、『有(多)の世界』は相対的な揺らぎ続ける世界であるが、無(一)の世界は有の存在が生み出される前の混沌とした世界でもある。

有(多)の世界においては、絶対的な一の道の『実質』とそれを表現するための『言葉(概念)』の対立が生じてしまうので、一(実質)と一(言葉)を合わせて『二』という多の概念(個別化の作用)が生起することになる。更に、概念を活用する知的な判断が発生する前の無(一)の純粋体験を含めれば、二に一を加えた『三』の概念まで出現してきて、個別から個別へと展開していく有(多)の世界は『無限の分裂』に陥ってしまうのである。

荘子の絶対的な一(無)を導出する認識論の哲学が展開されており、『万物の有・多の個別性』に対峙する『道の無・一の普遍性』の優位がここで明らかにされている。荘子にとって重要なのは分裂や混乱に陥らない『普遍的な一』であって、そこから個別(個物)を次々に増やしていく『一→二→三………無限』という万物の多数性は虚構的な仮りそめの数概念に過ぎないのである。

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