『荘子(内篇)・斉物論篇』の13

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[書き下し文]

斉物論篇 第二(続き)

故に昔は堯・舜に問うて曰く、「我れ宗(すう)と膾(かい)と胥敖(しょごう)とを伐たんと欲す。南面して釈然たらざるは、其の故何ぞや。」

舜の曰く、「夫の(かの)三つのくにの子(きみ)は、猶(なお)蓬艾(よもぎう)の間に存り(あり)。若(なんじ)の釈然たらざるは何ぞや。昔は十の日の並び出て、万物皆照らされぬ。而るを(しかるを)況や(いわんや)徳の日よりも進むものをや。」と。

[現代語訳]

だから昔、古代の聖人君主である堯が舜に尋ねて言った、「私はまつろわぬ宗と膾と胥敖とを伐ちたいと思っている。私は皇帝として南面しているが(武力を用いて他国を伐つことが)釈然としないのは、なぜなのだろうか。」

舜は言った。「あの三つの国の王は、まだ蓬が生い茂っている未開の地にあります。あなたが釈然としないのはなぜなのでしょうか(徳で未開の蛮族の王を教化すべきなのに、武力で無理やりに制圧しようとしているからではないですか)。昔は十個の太陽が並び出て、万物がみんな照らされたといいます。それなのに、ましてや王者の徳が太陽よりも劣っていることがあるでしょうか。」と。

[解説]

荘子が古代の聖人君子である堯と舜のやり取りを題材にして、『絶対者・王者の徳の威光=徳治主義の有効性』について語っている部分である。堯は皇帝としての自分の統治権にまつろわない宗と膾と胥敖を武力で伐とうとしているが、その自分のやろうとしている武力による征伐に釈然としないでいる。

釈然としない理由について、堯が舜の問いかけに答えていう。釈然としないのは『徳による教化』ではなく『武力による支配』をしようとしているからで、皇帝の徳によって万物を遍く照らすような徳治主義を理想とすべきであると。荘子の思想としては珍しく儒教の『徳治主義』を説いており、王者の徳の光は十個の太陽の光よりも眩しくて偉大であるとしている。

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[書き下し文]

斉物論篇 第二(つづき)

齧欠(げっけつ)、王倪(おうげい)に問いて曰く、「子(あなた)は物の同じく是なるところを知るか。」と。

曰く、「吾れ(われ)悪ぞ(なんぞ)之(これ)を知らん。」と。

子(あなた)は子の知らざる所を知れるか。

曰く、「吾れ悪ぞ之を知らん。」と。

然らば(しからば)則ち物は知らるること無きや。

曰く、「吾れ悪ぞ之を知らん。然れども嘗試に(ためしに)之を言わん。なにを庸ってか(もってか)吾が謂う所の知ることの知らざるに非ざるを知らんや。なにを庸ってか吾が謂う所の知らざることの知るに非ざるを知らんや。

[現代語訳]

齧欠(げっけつ)が師の王倪(おうげい)に尋ねて言った。「先生は万物が同じように是となり肯定される道を知っておられますか。」と。

王倪が言った。「私がどうしてそんなことを知っているだろうか。」と。

齧欠が先生は先生が知らないということは知っておられるのでしょうか。

王倪は答えた。「私がどうしてそんなことを知っているだろうか。」と。

それならば、物について人は知ることができないのでしょうか。

王倪は答えた。「私がどうしてそれを知っていようか。しかし試しにそれについて少し話してみよう。どうやって、私がいう『知っていること』が『知らないこと』ではないと知ることができるのだろうか。どうやって、私がいう『知らないこと』が『知っていること』ではないと知ることができるのだろうか。」

[解説]

弟子の齧欠(げっけつ)と師の王倪(おうげい)という二人の仮想の人物の質疑応答を通して、『人間の知ること』とは何なのかを分かりやすく説明している。齧欠(げっけつ)とは『噛み砕く』という意味であり、王倪(おうげい)とは『偉大なる一つ』という意味である。

人間の偏見と独断を排除すると、『知ること』と『知らないこと』の差異や対立が消失して、絶対者の超越的な視点が浮かび上がってくる。師の王倪は一貫して『知ること』についても『知らないこと』についても、『私がどうしてそんなことを知っているだろうか』とそっけない返事を返すばかりである。王倪の真意は『知ることの言語概念による表現の限界=相対主義の普遍的な判断軸(知ることと知らないことの相即性)』を示すことにあったのである。

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荘子(生没年不詳,一説に紀元前369年~紀元前286年)は、名前を荘周(そうしゅう)といい、字(あざな)は子休(しきゅう)であったとされる。荘子は古代中国の戦国時代に活躍した『無為自然・一切斉同』を重んじる超俗的な思想家であり、老子と共に『老荘思想』と呼ばれる一派の原型となる思想を形成した。孔子の説いた『儒教』は、聖人君子の徳治主義を理想とした世俗的な政治思想の側面を持つが、荘子の『老荘思想』は、何ものにも束縛されない絶対的な自由を求める思想である。

『荘子』は世俗的な政治・名誉から遠ざかって隠遁・諧謔するような傾向が濃厚であり、荘子は絶対的に自由無碍な境地に到達した人を『神人(しんじん)・至人(しじん)』と呼んだ。荘子は『権力・財力・名誉』などを求めて、自己の本質を見失ってまで奔走・執着する世俗の人間を、超越的視座から諧謔・哄笑する脱俗の思想家である。荘子が唱えた『無為自然・自由・道』の思想は、その後の『道教・道家』の生成発展にも大きな影響を与え、老子・荘子は道教の始祖とも呼ばれている。荘子は『内篇七篇・外篇十五篇・雑篇十一篇』の合計三十三篇の著述を残したとされる。

参考文献
金谷治『荘子 全4冊』(岩波文庫),福永光司・興膳宏『荘子 内篇』(ちくま学芸文庫),森三樹三郎『荘子』(中公文庫・中公クラシックス)

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