『平家物語』の原文・現代語訳37:大衆、国分寺へ参り向ふ~

スポンサーリンク

13世紀半ばに成立したと推測されている『平家物語』の原文と意訳を掲載していきます。『平家物語』という書名が成立したのは後年であり、当初は源平合戦の戦いや人物を描いた『保元物語』『平治物語』などと並んで、『治承物語(じしょうものがたり)』と呼ばれていたのではないかと考えられているが、『平家物語』の作者も成立年代もはっきりしていない。仁治元年(1240年)に藤原定家が書写した『兵範記』(平信範の日記)の紙背文書に『治承物語六巻号平家候間、書写候也』と書かれており、ここにある『治承物語』が『平家物語』であるとする説もあり、その作者についても複数の説が出されている。

兼好法師(吉田兼好)の『徒然草(226段)』では、信濃前司行長(しなののぜんじ・ゆきなが)という人物が平家物語の作者であり、生仏(しょうぶつ)という盲目の僧にその物語を伝えたという記述が為されている。信濃前司行長という人物は、九条兼実に仕えていた家司で中山(藤原氏)中納言顕時の孫の下野守藤原行長ではないかとも推定されているが、『平家物語』は基本的に盲目の琵琶法師が節をつけて語る『平曲(語り本)』によって伝承されてきた源平合戦の戦記物語である。このウェブページでは、『大衆、国分寺へ参り向ふ~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。

参考文献
『平家物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),佐藤謙三『平家物語 上下巻』(角川ソフィア文庫),梶原正昭・山下宏明 『平家物語』(岩波文庫)

楽天AD

[古文・原文]

座主流の事(続き)

大衆、国分寺へ参り向ふ。先座主大きに驚かせ給ひて、「凡そ(およそ)勅勘(ちょっかん)の者は、月日の光にだに当たらずとこそ承れ。いかにいはんや、時刻を回らさず(めぐらさず)急ぎ追ひ下さるべしと、院宣・宣旨のなりたるに、少しもやすらふべからず。衆徒とうとう帰り上り給ふべし」とて、端近く居出でて宣ひけるは、「三台槐門(さんだいかいもん)の家を出でて、四明幽渓(しめいゆうけい)の窓に入つしより以来、広く圓宗(えんしゅう)の教法を学して、顕密両宗を学びき。

ただ吾が山の興隆をのみ思へり。又国家を祈り奉る事も疎かならず。衆徒を育む志も深かりき。両所三聖定めて照覧し給ふらん。身に過つ事なし。無実の罪によつて、遠流の重科を蒙れば、世をも人をも神をも仏をも恨み奉る方なし。まことに遥々とこれまで訪ひ(とぶらい)来り給ふ衆徒の芳志こそ、生々世々にも報じ尽くし難けれ」とて、香染(かおりぞめ)の御衣の袖をしぼりもあへさせ給はねば、大衆も皆鎧の袖をぞ濡しける。

已に(すでに)御輿(おんこし)さしよせて、「とうとう召さるべう候へ」と申しければ、先座主宣ひけるは、「昔こそ三千の衆徒の貫首(かんしゅ)たりしか。今はかかる流人の身となりて、いかでか、やんごとなき修学者、智慧深き大衆達にかき捧げられては上るべき。たとひ上るべきなりとも、藁沓(わらぐつ)などいふものを縛りはいて、同じ様に歩み続いてこそ上らめ」とて、乗り給はず。ここに西塔の住侶(じゅうりょ)、戒浄坊(かいじょうぼう)の阿闍梨(あじゃり)祐慶(ゆうけい)と云ふ悪僧あり。

長(たけ)七尺ばかりありけるが、黒革縅(くろかわおどし)の鎧の大荒目に金まぜたるを、草摺長(くさずりなが)に着なし、甲(かぶと)をば脱いで法師ばらに持たせつつ、白柄の長刀(なぎなた)杖につき、大衆の中を押し分け押し分け、先座主の御前に参り、大の眼を見怒らし、先座主をしばし睨まへ奉つて、「その御心でこそ、かかる御目にも逢はせ給ひ候へ。とうとう召さるべう候」と申しければ、先座主、恐ろしさに急ぎ乗り給ふ。大衆取り得奉る事の嬉しさに、賤しき法師ばらにはあらず、やんごとなき修学者どもが、かき捧げ奉つて上る程に、人は替われども祐慶は替わらず、前輿(さきごし)かいて、輿の轅(ながえ)も長刀の柄もくだけよと取るままに、さしも峻しき(さかしき)東坂、平地を行くが如くなり。

大講堂の庭に御輿かきすゑて、大衆又僉議す。「そもそも我等粟津に行き向つて、貫首をば奪ひ留め奉りぬ。但し、勅勘を蒙りて遠流せられ給ふ人を、貫首に用ひ申さん事、いかがあるべからん」と評定す。戒浄坊の阿闍梨祐慶、又先の如く進み出でて僉議しけるは、「それわが山は日本無双(ぶそう)の霊地、鎮護国家の道場、山王の御威光盛んにして、仏法、王法牛角(ごかく)なり。されば衆徒の意趣に至るまで双(ならび)なく、賤しき法師ばらまでも、世以て軽しめず。いはんや智慧高貴にして三千の衆徒の貫首(かんしゅ)たり。徳行重うして一山の和尚たり。罪なくして罪を蒙り給ふ事、山上洛中の憤、興福・園城の嘲りにあらずや。

この時我等顕密の主を失つて、数輩(すうはい)の学侶、永く蛍雪の勤め怠らん事心憂かるべし。詮ずる所、祐慶張本に称せられ、禁獄・流罪にも及び、首を刎ねられん事、今生の面目、冥途の思い出なるべし」とて、双眼より涙をはらはらと流しければ、数千人の大衆も、皆「もっとももっとも」とぞ同じける。それよりしてこそ、祐慶をば怒坊(いかめぼう)とは言はれけれ。その弟子慧慶(えけい)律師をば、時の人小怒坊(こいかめぼう)とぞ申しける。

スポンサーリンク

[現代語訳・意訳]

座主流の事(続き)

大衆が国分寺に向かうと、先代の座主・明雲は衆徒らを見てとても驚いて、「大体、勅勘の者は月日の光に当たることさえ許されないというのを知っているのか。まして、今回はすぐに都を追い出せという院宣・宣旨が出ているのだぞ。ここに少しも留まることなく、みんな即刻、比叡山へと帰りなさい」と寺の軒端まで出てきて申された。

「三台槐門という大臣になれる家柄に生まれながら、それを捨てて比叡山の僧坊に入ってから今まで、幅広く天台宗の教義を学んで顕教・密教の両方の学問を学んだ。ただ我が山の興隆だけを願って来た。そして、国家安泰を祈ることも疎かにしたことはないのだ。衆徒達を教育する気持ちも深かった。両所三聖と呼ばれる山王七社の大宮・二の宮の神々もご覧になっておられるはずだ。私の身には過ちはない。無実の罪によって流刑と言う重罪に処せられてしまったが、世の中や人、神、仏を恨むような気持ちはない。本当にここまで遥々と訪ねてきてくれた衆徒たちの誠実な気持ちこそ、未来永劫その気持ちに報いようと思っても報いきれるものでもない」と言って、香染の僧衣の袖を涙で濡らすと、大衆もみんな涙を流して鎧の袖を濡らしました。

やがて御輿を近づけて、「さあ、急いで早くこれにお乗り下さい」と申し上げると、先代の座主の明雲は「私は昔こそ三千の衆徒をまとめる座主の立場にありました。しかし今は、このような流人の身であり、どうして素晴らしい修学者や知恵の深い大衆に担がれて御輿などに登ることができましょうか。たとえ上るとしても、草鞋を履いて、みんなと同じように歩き続けてから上りましょう」と言って、御輿にはお乗りになりませんでした。ここに西塔に住む法師である戒浄坊の阿闍梨祐慶という悪僧がいました。

身長が七尺ばかりもある大男ですが、黒革縅の鎧を大荒目の金色が混じった糸で造り、草摺を長めに垂らして着け、脱いだ兜を法師に持たせて、白柄の長刀を杖にして、大衆の中を押し分け押し分けて座主の前に参上し、目を大きく見開いて、明雲をしばらく睨みつけていましたが、「そんなお気持ちでおられるから、このような酷い目に遭ってしまわれるのです。早く輿に乗って下さい」と申し上げると、先代の座主は恐ろしくなって急いで輿に乗られました。衆徒は、明雲を取り返したことの嬉しさに、身分の低い僧ではなくて、立派な身分のある修学者たちがその輿を担ぎ上げて座主が登りました。担ぐ人たちは交代しましたが、祐慶は代わらずに御輿の前のほうを担いで、輿の轅の棒も長刀の柄も砕けてしまえとばかりに、あんなに険しい東坂を担いで行くのが、まるで平地を行くような速さでした。

比叡山東塔にある大講堂の庭に御輿を据えて、衆徒たちはまた議論をしました。「そもそも我々は粟津に向かって行き、そこで座主を奪い返したのだ。しかし、院の勅勘を受けて流刑になった人を、座主に推挙すればどうなるのだろうか」という問題について話し合いました。戒浄坊の阿闍梨祐慶が、先ほどのように進み出てきて言ったのは、「そもそも我が比叡山は、日本無双の霊地で、国家鎮護の道場であり、山王の御威光は盛んで、仏法と帝の政治は共に互角のものである(どちらかだけが優れているとも言えない)。だから衆徒の意向も、他に並ぶものがないほど優れており、身分の低い法師までも、世間で軽視されてはいないのだ。まして明雲様は知恵が優れて高貴であり、三千の衆徒を率いる貫主であられるのです。徳と修行を積んでおり、一山を統率する和尚なのです。無実の罪を着せられたのは、比叡山だけではなく、洛中も憤慨しているのであり、他の宗派の興福寺や園城寺もそれを嘲笑したりなどは決してしません。

このような時に、我らの顕教と密教の師である座主を失って、数多くの学僧の勉学の努力・勤勉が妨げられてしまうのは、非常に憂うべきことなのです。行き着く所、この祐慶を強訴の張本人にしてしまえば良いのであり、私は禁獄・流罪に処せられるだけでなく、きっと頭(首)も刎ねられることになるでしょう。しかしこれは、今生の誇りであり、冥土への思い出にもきっとなることなのです」と言って、両目から涙を流すと、数千人の大衆もみんな「もっともなことだ、もっともなことだ」と同意しました。それから、祐慶のことを「怒坊(いかめぼう)」と人々は言うようになりました。祐慶の弟子である恵慶律師のことを、当時の人々は「小怒坊(こいかめぼう)」と呼びました。

スポンサーリンク
楽天AD
Copyright(C) 2013- Es Discovery All Rights Reserved