『枕草子』の現代語訳:52

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『なまめかしきもの~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

85段

なまめかしきもの

ほそやかに清げなる君たちの直衣姿(なほしすがた)。をかしげなる童女の、表(うえ)の袴などわざとにはあらで、ほころびがちなる汗袗(かざみ)ばかり着て、卯槌(うづち)・薬玉(くすだま)など長くつけて、高欄(こうらん)のもとなどに、扇さし隠して居たる。

薄様の草子(うすようのぞうし)。柳の萌えいでたるに、青き薄様に書きたる文付けたる。三重がさねの扇。五重(いつえ)はあまり厚くなりて、もとなどにくげなり。いと新しからず、いたうもの古りぬ檜皮葺(ひわだぶき)の屋に、長き菖蒲(しょうぶ)をうるはしう葺きわたしたる。青やかなる簾(す)の下より、几帳の朽木形(くちきがた)のいとつややかにて、紐の吹きなびかされたる、いとをかし。

白き組の細き。帽額(もこう)のあざやかなる。簾の外、高欄に、いとをかしげなる猫の、赤き首綱(くびつな)に白き札つきて、碇の緒、組の長きなどつけて引きありくも、をかしうなまめきたり。

五月の節の菖蒲(あやめ)の蔵人。菖蒲(しょうぶ)のかづら、赤紐の色にはあらぬを、領布(ひれ)、裙帯(くたい)などして、薬玉、親王(みこ)、上達部(かんだちめ)の立ち並み給へるに奉れる、いみじうなまめかし。取りて、腰にひきつけつつ、舞踏し、拝し給ふも、いとめでたし。

紫の紙を包み文にて、房(ふさ)長き藤に付けたる。小忌(おみ)の君たちも、いとなまめかし。

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[現代語訳]

85段

優美なもの

細くて清らかな貴公子たちの直衣姿。可愛らしい童女が、表の袴をわざとらしく付けないで、脇を多く開けた汗袗(かざみ)だけを着て、卯槌・薬玉の飾り紐を長く垂らして、高欄の所などで扇を差して顔を隠して座っている姿。

薄く漉いた紙で作った本。柳が芽吹いたものに、青い薄い紙に書いた手紙を付けたもの。三重がさねの檜扇。五重のものは厚くなり過ぎて、手元が見苦しくなってしまう。新し過ぎず、それほど古過ぎもしない檜皮葺きの家に、長い菖蒲を綺麗に葺きわたしている様子。青々とした簾の下から、几帳の帷子(かたびら)の朽木形の模様がとてもつやつやと輝いていて、紐が風で吹き流されている様子もとても風情がある。

白くて細い組糸。簾の帽額で目に鮮やかなもの。簾の外、高欄の所に、とても可愛らしい猫がいて、赤い首綱に白い札が付いている。重りの紐や長い組糸などを付けて、猫がそれを引っ張って歩いている姿も可愛くて優美である。

五月五日の節句の時期の蔵人。菖蒲のかつらをつけ、赤紐の目立たない色のものを付けて、領布(ひれ)や裙帯(くたい)などを身にまとい、薬玉を、親王や上達部が立ち並んでいる所に差し出す様子、とても優美なものである。薬玉を取って、その紐を腰に巻きつけながら、帝に対して踊って拝礼している様子もとても美しいものである。

紫の紙を包み文にして、房の長い藤に付けたもの。小忌(おみ)の役の貴公子たちも、非常に優美な姿をしている。

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[古文・原文]

86段

宮の五節(ごせち)出ださせ給ふに、かしづき十二人、異所(ことどころ)には、女御(にょうご)、御息所(みやすどころ)の御方の人出だすをばわろき事になむすると聞くを、いかにおぼすにか、宮の御方を十人は出ださせ給ふ。今二人は、女院、淑景舎(しげいしゃ)の人、やがてはらからどちなり。

辰の日の夜、青摺の唐衣(あおずりのからぎぬ)、汗袗(かざみ)を、皆着せさせ給へり。女房にだに、かねてさも知らせず、殿人にはまして、いみじう隠して、皆装束したちて暗うなりにたるほどに、持て来て着す。赤紐をかしう結び下げて、いみじうやうしたる白き衣、型木(かたぎ)のかたは絵に描きたり。

織物の唐衣どもの上に着たるは、誠に珍しき中に、童女(わらわ)はまいて今少しなまめきたり。下仕(しもづかへ)まで出でゐたるに、殿上人、上達部、驚き興じて、小忌(おみ)の女房とつけて、小忌の君たちは、外に居てものなど言ふ。

「五節の局を、日も暮れぬに皆壊ち(こぼち)すかして、ただ怪しうてあらする、いと異様(ことよう)なることなり。その夜までは、なほうるはしながらこそあらめ」と、のたまはせて、さも惑はさず、几帳どものほころび結ひつつ、こぼれ出でたり。

小兵衛(こひょうえ)といふが、赤紐の解けたるを「これ、結ばばや」と言へば、実方(さねかた)の中将、寄りてつくろふに、ただならず。

あしひきの山井の水はこほれるをいかなる紐の解くるなるらむ

と言ひかく。

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[現代語訳]

86段

中宮が五節の舞姫の出し物を為される時に、お世話係の女房を12人出すことになる。他の所では女御や皇太子妃(東宮妃)に仕えている人を出すことを悪いことだと考えていると聞いているが、何をお思いになったのか、中宮に仕えている女房を10人お出しになられる。後の2人は、女院と淑景舎の女房で、この二人は姉妹である。

節会がある辰の日の夜、青摺の唐衣と汗衫をみんなにお着せになられた。このことは、女房たちにも事前に知らせず、お屋敷の人には更にお隠しになられて、みんなが衣裳を着終わって暗くなった頃に、持ってきて着させている。赤紐を綺麗に結んで下げて、とても艶がある白い衣に、版木で摺った模様は絵に描いてある。

織物の唐衣を着た上にこれらを着た姿は本当に珍しいものだが、その中で汗衫を着た童女は更に優美なものである。下仕えの女まで、これを着て並んで座っているので、殿上人や上達部は驚いて面白がり、小忌(おみ)の女房と名前をつけて、小忌の貴公子たちは、簾の外に座って女房たちと話をしている。

「五節の局を、日も暮れないうちからすべて取り壊して中が見えるようにして、ただみすぼらしい姿にしてしまうのは、本当におかしいことです。辰の日の夜までは、まだ建物を綺麗な状態のままにしておきたい」とおっしゃって、舞姫たちを惑わせず、几帳のほころびを綴じ合わせながら、簾の外へと袖口を出していらっしゃる。

小兵衛という女房が、赤紐の結び目が解けたのを「これを結びたいの」と言うと、小忌の実方の中将が、簾に寄ってきて結びなおしてあげるのだが、普通の様子ではない。

あしひきの山井の水はこほれるをいかなる紐の解くるなるらむ

と実方の中将が歌を詠みかけた。

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