『枕草子』の現代語訳:60

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『中納言まゐりたまひて、御扇たてまつらせたまふに~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

98段

中納言まゐりたまひて、御扇たてまつらせたまふに、(隆家)「隆家こそ、いみじき骨は得てはべれ。それを張らせてまゐらせむとするに、おぼろけの紙は、え張るまじければ、求め侍るなり」と申し給ふ。「いかやうにかある」と問ひ聞こえさせ給へば、「すべていみじう侍り。『さらに、まだ見ぬ骨のさまなり』となむ、人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ」と、言高くのたまへば、「さては、扇のにはあらで、海月(くらげ)のななり」と聞ゆれば、「これは隆家が言にしてむ」とて、笑ひ給ふ。

かやうの事こそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一つな落しそ」と言へば、いかがはせむ。

[現代語訳]

98段

中納言隆家が中宮様のところに参上して、御扇を献上なさる時に、「この隆家が、とても素晴らしい扇の骨を手に入れました。それに紙を張らせて差し上げようと思うのですが、普通の紙では(骨の品質と釣り合わずに)張ることができませんので、ふさわしい紙を探しているところです」と申し上げた。「どのような骨なのですか」と中宮様がご質問になると、「それは非常に素晴らしいものです。『全く、今まで見たことのない骨の様子だ』と家来の者たちも申しています。本当にこれほどの物は見たことがありません」と、声高におっしゃられるので、「それでは、扇の骨ではなくて、海月(くらげ)の骨なのでしょうね」と清少納言が申し上げると、「これは隆家の言葉(秀句)にするとしましょう」と言ってお笑いになる。

このような事は、「かたはらいたきこと(傍から見て聞き苦しいこと・気の毒なこと)」の中に入れるべき話だろうが、「一事も書き落とすな」と人が言うので、どうしたものか。

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[古文・原文]

99段

雨のうちはへ降るころ、今日も降るに、御使にて、式部の丞信経(しきぶのじょう・のぶつね)まゐりたり。例のごと、茵(しとね)さし出でたるを、常よりも遠く押しやりて居たれば、(清少納言)「誰が料ぞ(たがりょうぞ)」と言へば、笑ひて、(信経)「かかる雨にのぼり侍らば、足形つきていと不便(ふびん)に汚くなり侍りなむ」と言へば、(清少納言)「など、せんぞく料にこそはならめ」と言ふを、「これは、御前にかしこう仰せらるるにあらず。信経が、足形の事を申さざらましかば、えの給はざらまし」と、かへすがえす言ひしこそ、をかしかりしか。

「はやう、中后(なかきさい)の宮に、ゑぬたきといひて、名高き下仕(しもづかへ)なむありける。美濃の守にて失せける藤原の時柄(ときから)、蔵人(くろうど)なりけるをりに、下仕どものある所に立ち寄りて、(時柄)『これや、この高名のゑぬたき。など、さしも見えぬ』と言ひける答へに、(ゑぬたき)『それは、時柄にさも見ゆるならむ』と言ひたりけるなむ、『敵に選りても(えりても)、さる事はいかでかあらむ』と、上達部(かむだちめ)、殿上人まで、興あることにのたまひける。また、さりけるなめり。今日までかく言ひ伝ふるは」と、聞えたり。(信経)「それまた、時柄が言はせたるなめり。すべてただ題からなむ、詩(ふみ)も歌もかしこき」と言へば、「げに、さもあることなり。さは、題出ださむ。歌詠み給へ」と言ふ。「いとよきこと。ひとつはなせむに、同じくはあまたをつかう奉らむ」など言ふほどに、御返り出で来ぬれば、「あな恐ろし。まかり逃ぐ」と言ひて出でぬるを、「いみじう、真名も仮名もあしう書くを、人の笑ひなどすれば、隠してなむある」と言ふも、をかし。

作物所(つくもどころ)の別当(べっとう)するころ、誰が許にやりたりけるにかあらむ、物の絵様(えよう)やるとて、「これがやうにつかうまつるべし」と書きたる真名のやう、文字の世に知らずあやしきを見つけて、その傍に、「これがままにつかうまつらば、異様(ことよう)にこそあるべけれ」とて、殿上にやりたれば、人々、取りて見て、いみじう笑ひけるに、おほきに腹立ちてこそ、にくみしか。

[現代語訳]

99段

雨が毎日のように降る頃、今日も降っているのに、帝のお手紙の使いとして、式部の丞信経が中宮様の所に参上した。いつものように、敷物を差し出すと、普段よりも遠くに敷物を押しやって座っているので、清少納言が「誰のお座りになる敷物ですか」と問うと、信経が笑って、「こんな雨の時に敷物の上に上れば、足跡がついてとても不都合であり汚くもなりましょう」と言うので、「どうして、洗足(せんぞく)のお役には立つでしょうに」と言った。「これは、あなたが御前で賢くおっしゃったことではありませんよ。この信経が、足跡の事を申し上げなかったら、そういった言葉をおっしゃることができなかったでしょう」と、何度も言ってきたのは面白かった。

「昔、中后の宮に、ゑぬたきという名前の有名な下仕(しもづかえ)の者がいました。美濃守の時に亡くなった藤原時柄(ふじわらのときから)が蔵人だった時に、下仕の者たちがいる所に立ち寄って、『これが、あの有名なゑぬたきか。どうして、まったくそのような者には見えないが』と言ったその答えに、ゑぬたきが『それは時節がら、時柄様にはそう見えるのでしょう』と言ったのだが、『相手を選りすぐっても、こんな受け答えはとてもできないだろう』と、上達部や殿上人まで、面白いことだなとおっしゃっていた。また、そのように面白くあったのでしょう。今日までこのように言い伝えられているのですから」というような話を聞いた。信経が「それもまた、時柄が言わせたようなものではないですか。大体、お題が良ければ、詩でも歌でも素晴らしくなるものです」と言うと、清少納言が「本当に、そのようなこともあるでしょうね。それでは、私がお題を出しましょう。歌を詠んでください」と言う。信経が「それはとても良いことですね。一首だけでは意味がない、同じ詠むのであれば沢山お詠みしましょう」などと言ううちに、中宮様の御返事が出てきたので、「あぁ、恐ろしい。これで退散させて頂きます」と言って信経が退出したのを、女房たちが「あの人は漢字でも仮名でもとても悪筆なのを、人が笑いものにするので、筆跡は隠しておいでなのですよ」と言っていたのも面白い。

信経が作物所(つくもどころ)の別当をしていた頃、誰の所にやったものか知らないが、何かの絵図のようなものを持っていかせて、「この絵図のように作ってみよ」と書いた漢字の書きよう、文字が世にも奇怪なのを見つけて、その側に、「この通りに作ったら、異常なものが出来上がるでしょう」と言って、殿上の間にやったところ、殿上人の人たちがこれを手に取って見て、大笑いしたので、とても腹を立てて、私(清少納言)を憎んだことがあった。

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