『枕草子』の現代語訳:79

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『わざと呼びも出で、あふ所ごとにては、「などか、まろを~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

130段(終わり)

わざと呼びも出で、あふ所ごとにては、(斉信)「などか、まろを、まことに近くは語らひ給はぬ。さすがににくしと思ひたるにはあらずと知りたるを、いと怪しくなむおぼゆる。かばかり年ごろになりぬる得意の、疎くてやむはなし。殿上などに明暮(あけくれ)なきをりもあらば、何事をか思ひ出でにせむ」とのたまへば、(清少納言)「さらなり。かたかるべき事にもあらぬを、さもあらむ後には、えほめ奉らざらむが、口惜しきなり。上の御前などにても、役とあづかりてほめ聞ゆるに、いかでか。ただおぼせかし。かたはらいたく、心の鬼出で来て、言ひにくくなり侍りなむ」と言へば、

(斉信)「などて。さる人しも、よそ目より外に、ほむるたぐひあれ」とのたまへば、(清少納言)「それが、にくからずおぼえばこそあらめ。男も女も、け近き人思ひかた引き、ほめ、人のいささかあしき事など言へば、腹立ちなどするが、わびしうおぼゆるなり」と言へば、「頼もしげなの事や」と、のたまふも、いとをかし。

[現代語訳]

130段(終わり)

頭の中将(とうのちゅうじょう)・藤原斉信は、わざわざ私を呼び出したりして、会う度ごとに、「どうして、私と本当に親しく語り合って下さらないのか。さすがに私を嫌ってはいないということは分かっているのだが、(どこか距離があるような付き合いしかして下さらないので)本当に不思議に思っているのだ。これほど長年にわたって付き合っているのに、よそよそしい関係で終わるというのは無いだろう。私がいつも殿上の間に出仕しないようになってしまったら、何を貴女との思い出にしたら良いのだろう」とおっしゃるので、清少納言は「言うまでもないことです。あなたと親密になるのは難しい事ではないですが、そうなってしまった後には、(近しい間柄になり過ぎて遠慮もなくなり)あなたの事をお褒めすることが出来なくなるのが残念なのです。帝の御前などでも、自分の役目だと心得て、あなたのことをお褒め申し上げているのに、どうして親密な間柄になどなれるでしょうか。ただ私のことを恋しく思って下さるだけで良いではないですか。(親密な男女の仲になどなれば)体裁が悪くなって、心の鬼(自分の悪い面)も出やすくなってしまって、あなたのことを良く言うことが難しくなってしまいますから」

「どうしてそうなるのか。そんな親密な女が、他人以上に思う男のことを褒めるという例もあるだろうに」とおっしゃると、清少納言は「それが、私にとって憎たらしく思わないのであればいいのですが。私は男でも女でも、親密に思っている相手のことを特別に贔屓にして、褒めて、他人が少しでもその人のことを悪く言えば腹を立てたりするのが、(二人きりの世界に閉じこもり人に対して公平に接することができずすぐに感情的になるのが)情けないことのように思えてしまうのです」は答えた。頭の中将が「頼ることのできないこと(女)だなあ」とおっしゃっているのも、とても面白い。

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[古文・原文]

131段

頭の弁(とうのべん)の、職(しき)にまゐり給ひて物語などし給ひしに、夜いと夜いたう更けぬ。(行成)「明日、御物忌なるに、籠るべければ、丑(うし)になりなば悪しかりなむ」とて、まゐり給ひぬ。

つとめて、蔵人所(くろうどどころ)の紙屋紙(こうやがみ)ひき重ねて、(行成)「今日は、残り多かる心地なむする。夜を通して昔物語も聞え明さむとせしを、鶏の声に催されてなむ」と、いみじう言多く書きたまへる、いとめでたし。御返りに、(清少納言)「いと夜深く侍りける鶏の声は、孟嘗君(もうしょうくん)のにや」と聞えたれば、立ち返り、(行成)「孟嘗君の鶏は、函谷関(かんこくかん)を開きて、三千の客僅かに去れりと、あれども、これは、逢坂の関(おうさかのせき)なり」とあれば、

(清少納言)「夜をこめて 鶏の虚音(そらね)は はかるとも 世に逢坂の 関は許さじ 心かしこき関守侍り」と聞ゆ。また立ち返り、

(行成)逢坂は 人越え易き 関なれば 鶏鳴かぬにも あけて待つとか

とありし文どもを、はじめのは、僧都の君(そうづのきみ)、いみじう額(ぬか)をさへつきて取り給ひてき。後々のは、御前(おまえ)に。

[現代語訳]

131段

頭の弁・藤原行成が職の御曹司に参られて、私と会話をしておられたのだが、そのうちに夜もすっかり更けてしまった。「明日は帝の御物忌(おものいみ)なので、御所に籠っていないといけないので、丑の刻になったら悪いだろう」と言って、宮中へとお帰りになられた。

翌日の早朝、蔵人所の紙屋紙を重ねて、「今日は、とても心残りがしています。夜通し、昔話でも話しながら夜を明かそうと思っていたのですが、鶏の声に急き立てられてしまって」と、とても多くの言葉を言い訳がましくお書きになられている、行成らしくその筆蹟はさすがに立派なものである。御返事に、「まだ夜が深い頃に鳴いたという鶏の声は、あの孟嘗君が部下に泣かせた偽物(鳴き真似)の鶏の声でしょうか」と申し上げると、それに答えてすぐに、「孟嘗君の鶏は、函谷関を開いて、三千の食客と共に危うく逃げ去ることができたと古典にはありますが、私が言っているのは逢坂の関(男女が逢瀬を遂げて深い仲になるために越える関)のことです」と返事があったので、

清少納言は「夜をこめて 鶏の虚音(そらね)は はかるとも 世に逢坂の 関は許さじ しっかりと番をしている関守がいますから」と申し上げる。またすぐに返事があって、

逢坂は 人越え易き 関なれば 鶏鳴かぬにも あけて待つとか

と書いてきたお手紙を、初めのものは、僧都の君が、ひどく額をつけるほどに拝み倒して自分の物にしてしまった。後の二通は、中宮様がお手元にお持ちになられた。

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