『枕草子』の現代語訳:83

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『とりどころなきもの 容貌にくさげに、心あしき人~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

136段

とりどころなきもの

容貌(かたち)にくさげに、心あしき人。みそひめのぬりたる。これ、いみじうよろづの人のにくむなる物とて、今とどむべきにあらず。また、あと火の火箸といふこと。などてか、世になきことならねば、皆人知りたらむ。げに、書きいで、人の見るべきことにはあらねど、この草子を、人の見るべき物と思はざりしかば、あやしき事もにくき事も、ただ、思ふことを書かむと思ひしなり。

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[現代語訳]

136段

取り得のないもの

顔かたちが憎たらしくて、性格が悪い人。みそひめの塗りたくったもの。これは、ひどくてみんなが嫌う物であるが、今、書かないでいるわけにはいかない。また、送り火の火箸ということ。どうして、これは世の中にありふれたものだから、みんな、知らないという人はいない。本当に、これを書き出しても、人が見るべき価値のあるものにはならないのだが、この草子は、人に見せるための物ではないと思っていたので、不思議な事も憎たらしい事も、ただ、心に思うことを書こうと思ったのである。

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[古文・原文]

137段

なほめでたきこと、臨時の祭ばかりの事にかあらむ。試楽も、いとをかし。

春は空のけしきのどかに、うらうらとあるに、清涼殿の御前に、掃部司(かもんづかさ)の、畳を敷きて、使は北向きに、舞人は御前の方に向きて、これらは僻事(ひがごと)にもあらむ、所の衆どもの、衝重(ついがさね)取りて、前ごとに据ゑわたしたる、陪従(ばいじゅう)も、その庭ばかりは、御前にて出で入るぞかし。

公卿、殿上人、かはりがはり盃取りて、果てには屋久貝(やくがい)といふ物して飲みて立つすなはち、とりばみといふ者、男(をのこ)などのせむだに、いとうたてあるを、御前には女ぞ出でて取りける。思ひかけず、人あらむとも知らぬ火焼屋(ひだきや)より、にはかに出でて、多く取らむと騒ぐ者は、なかなかうちこぼしあつかふほどに、軽らかにふと取りて去ぬる者には遅れぬ。かしこき納殿(おさめどの)には火焼屋をして、取り入るるこそ、いとをかしけれ。掃部司の者ども、畳取るや遅きと、主殿寮(とのもり)の官人、手ごとに箒取りて、砂(すなご)ならす。

承香殿(しょうこうでん)の前のほどに、笛を吹きたて、拍子打ちて遊ぶを、疾く出で来なむと待つに、有度浜(うどはま)歌ひて、竹の籬(ませ)のもとに歩み出でて、御琴打ちたる程、ただ、いかにせむとぞおぼゆるや。一の舞の、いとうるはしう袖を合せて、二人ばかり出で来て、西に寄りて向ひて立ちぬ。次々出づるに、足踏みを拍子に合せて、半臂(はんぴ)の緒つくろひ、冠、衣の領(きぬのくび)など、手もやまずつくろひて、「あやもなきこまやま」など歌ひて舞ひたるは、すべてまことにいみじうめでたし。

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[現代語訳]

137段

やはり素晴らしいことは、臨時の祭などのことであろうか。試楽の音楽も、とても面白い。

春は空の様子ものどかで、うららかな天気となるが、清涼殿の御前に、掃部司が畳を敷いて、勅使は北向きに、舞人は帝の御前の方を向いて、これらは間違った記憶かもしれないが、所の衆の連中が衝重(ついがさね)を持ってきて、席の前ごとにずっと並べていくが、陪従たちもこの御前の庭で神饌(しんせん)を賜る時だけは、帝の御前で出入りするのである。

公卿、殿上人が代わる代わる盃を取って、最後には屋久貝という物で酒を飲んで席を立つとすぐに、とりばみという連中が、男がするのもとても嫌なことだが、帝の御前では女が出て取るのであった。思いがけず、人がいるとは知らなかった火焼屋(ひたきや)から急に人が出てきて、沢山取ろうと慌てる者は、なかなか取れずに取りこぼしているうちに、軽妙にさっと取って行ってしまう者に遅れてしまう。大事なものの保管場所には火焼屋を使って、そこに運び込んでいくのがとても面白い。掃部司の連中が畳を引き取るや否や、遅いとばかりに、主殿寮の役人たちが、手に手に箒を持って、砂を馴らしていく。

承香殿(しょうこうでん)の前の辺りで、笛を吹きたて、拍子を打って遊んでいるので、早く出てくればいいのにと待つ間、有度浜(うどはま)を歌って、呉竹の台の所まで歩み出て、御琴を鳴らした時は、ただどうしようかと思っていた。一の舞が、とてもきちんとしていて袖を前に合わせて、二人ほど出てきて、西に寄って(御に近づく形で)向き合って立った。次々に舞人が出てくると、足踏みを拍子に合わせて、半臂(はんぴ)の緒を繕ったり、冠、衣の領(きぬのくび)なども手を休めずにまず繕って、「あやもなきこまやま」などを歌って舞った姿は、本当に素晴らしくて優雅なものである。

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